5-9「肉親の愛とはこういう物なのだと、よく感じるのです」
湖畔を見つめていた。もくもくと霧を吐き出し続けるアーナ湖に向かって、石を拾い、投げる。ぽちゃんと小さな音がして、石ころは霧の中に飲み込まれてしまった。ラルニャはもう一度石ころを拾いあげて、投げるのさえ面倒になってその場にしゃがみ込んだ。
王子オールグレンと、王弟ランデリード率いる王国騎士団が出動する。ラルニャはあれこれと騎士団に潜入してついていこうと試みたが、いずれも父に看破されて追い出されてしまった。それでアーナ湖のほとりでいじけているのだった。
「見送りにいかなくて良いのですか?」
しゃがみこんだラルニャの背に、声がかかった。ピピーディアだ。ラルニャは振り返らないまま「いいの」と答えた。騎士団は、もう王都を出る頃だろう。連れて行ってくれない父の顔も見たくないし、望んでもいないのに参加するオールグレンの顔を見るのも腹立たしかった。
「ピピーディアこそ、いいの? 騎士団についていかなくて」
「私は外されたのです。敵は魔族ですから、当然でしょう。裏切るかもしれない者を連れていけない……というのは表向きの話で、ランデリード様の配慮だと感じていますよ」
ピピーディアは魔族の出身だ。同郷の者と殺しあうことにならないですむよう、ランデリードが調整をしたのだろう。
「じゃあ、ルーン・アイテムの盗難の件を追うの?」
「ええ。ラルニャ様にもお手伝いいただければ幸いなのですが」
「いいの?」
ラルニャは笑顔で振り返った。霧の中に、ピピーディアの桃色の髪が薄く映っている。
「はい。ランデリード様にも危険のない範囲であれば、と言われておりますし……」
ピピーディアが苦笑しながら近づいてくる。ラルニャは隣に座れるようにスペースを空けた。ピピーディアはラルニャに並ぶようにしてしゃがみこんだ。ほのかに香水の匂いがする。ラルニャはドキッとしてピピーディアの顔を見つめた。ピピーディアの横顔は、大人の女性という感じがする。こういう大人になりたい、とラルニャは漠然と思った。
「ランデリード様は、ラルニャ様のことをとても大事にお考えですよ」
「……そう?」
「そうです。私は時々羨ましくなるくらいです」
「羨ましいかなあ」
ラルニャは首をひねった。ピピーディアはそんなラルニャの様子に微笑すると、話を続けた。
「肉親の愛とはこういう物なのだと、ランデリード様とラルニャ様を見ているとよく感じるのです。両親のいない私にとって、それは眩しい程です」
「あれもダメ、これもダメ、女の子なんだから剣なんて振り回すな、もっとお行儀良くしなさい……。あーだこーだ、うるさいだけだと思うけど?」
「ラルニャ様のことを考えていなければ、そうあれこれと口出しもしませんよ」
「うーん……」
ラルニャは少し考えた。手にまだ石ころを握っていることを思い出し、湖に放り投げる。
「でも、オールグレンは連れていってもらえる」
「遊びに行くわけではないのです。命を懸けて、国を守る為に剣をふるいに行くのです」
「オールグレンより、私の方が役に立つわ」
「ラルニャ様……。人にはそれぞれ、役割というものがあります。それは自分で決められることもありますが、たいていのことは自分の意志では動かせないものです。国王には国王の役割があり、ラルニャ様にはラルニャ様の役割があります。ランデリード様は、ラルニャ様に王都に残るという役割を託されたのです」
「王都に残るっていう、役割?」
「そうです。それも立派な役割なのですよ。ラルニャ様がここに残っているからこそ、ランデリード様は安心して戦えるのです」
「どういうこと?」
「たとえ自分が死んでも、ラルニャ様は王都に残る。ランデリード様はそうお考えなのではないですか」
ラルニャは全身に寒気が走るのを感じた。魔族の反乱、戦に向かう父。兵力差があるから楽観的に考えていたが、戦争に行くのだ。死ぬことだって十分に考えられる。そのことが、今になって現実感を帯びて襲ってきた。
「行かなきゃ」
ラルニャが立ち上がると、ピピーディアも倣った。
「まだ、ランデリード様は出発されていないでしょう。挨拶なら、まだ間に合うはずです」
「ピピーディア、ありがと!」
ラルニャはそう言い残すと、王都に向かって駆けだしていく。
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走っていくラルニャを、ピピーディアは見送った。世話の焼ける娘だ、と思う。しかしそういうところを含めて、ピピーディアはラルニャを気に入っているのだった。デュラーも同意見だろう。
「ずいぶん、入れ込んでいるんだな」
耳元で囁かれた。ピピーディアは反射的に距離を取る。霧の中に、黒い影が浮かんでいる。その姿を確認して、ピピーディアは肩の力を抜いた。
「そういう現れ方、やめてって言わなかった?」
「すまない。癖でな……」
現れた黒づくめの男は、ヴァイムという。デュラーと同じ王国騎士団の一員で、ランデリードの部下の一人だ。しかし騎士団の表向きの仕事にはほとんど関与せず、裏の仕事を中心にこなしている。
ヴァイムは全身を黒装束で覆っている。気配もなく、音もたてずに背後に立っているヴァイムのことが、ピピーディアは苦手だった。しかし、そうやって生きざるを得なかったのだろうな、ということは理解している。ヴァイムの身体にはルーン・アイテムが埋め込まれているのだ。それがどういう効力を持つのかはピピーディアには見破れなかったが、そのせいで表の世界から姿を消さざるを得なかったことは想像がついた。
「それで、何か用?」
「これを渡しに来た」
ヴァイムが差し出した布切れを、ピピーディアは受け取った。布には貴族家の名前と、ルーン・アイテムの名が列挙されている。
「これって……」
「王都を出るにあたって、ランデリード様がルーン・アイテムを貴族たちに出させた。そこに書いてあるのは、集まらなかったルーン・アイテムだ」
貴族たちは自分たちが管理しているルーン・アイテムを紛失したと思われたくない。たとえば貸し出しているとか、修復に出しているとか、様々な理由をつけてルーン・アイテムを軍に提供するのを拒んだのだろう。
「調べろってことね」
「盗難にあったのか、それとも隠し持っているのか、本当にどこかに預けているのか……それを調べておいてほしい」
「それにしても多いわね。予想よりずっと多い。王都に居を構えるほとんどの貴族になるじゃない」
「ああ……。いくら何でも異常だ。ただの盗難とも思えない」
「最悪の可能性は?」
「言わなくても分かっているはずだ。十分に注意してくれ、というのがランデリード様からの伝言だ」
「わかったわ。ヴァイム、あなたも十分に気を付けて」
ピピーディアがそう言い終わる前に、ヴァイムの姿は霧の中で薄らぎ、消えてしまった。ヴァイムは影のように移動する。闇の中で生きるうちに身に着けた技術なのだろう。気配を感じさせない。
「人の話は、最後まで聞きなさいよね」
ピピーディアは渡された布切れに再度目を通した。書かれている貴族家を頭の中に叩きこみ、火をつける。布切れから煙が上がり、アーナ湖の霧と混ざった。布切れが燃え尽きる直前、湖の中に投げ捨てる。
じゅっ、と僅かな音を残して、炎は消えた。