☆5-8「ルージェ王国を背負う者としての未来を、です」
上段から放たれた斬撃をのけぞってかわし、相手の腹を思い切り蹴った。ちょっと堅い腹筋に、足がのめり込む。従兄は吹き飛んで芝生に腰を打った。
「……大丈夫?」
ラルニャは一瞬だけ不安になったが、いててて、と腰を押さえながらオールグレンが起き上がろうとするのを見て、手を差し出すのをやめた。オールグレンの鼻先に、ラルニャは木刀を突きつける。
「なっさけないわね。それでも男の子?」
「少しは手加減してくれよ」
困った顔をするオールグレンが情けなくなり、ラルニャは溜息をついて木刀を下げた。オールグレンが尻をはたきながら起き上がる。立ち上がるとラルニャより頭一つ分背が高いのだが、身長の高さをアドバンテージにできていない。ラルニャは何度かそれを教えてあげていたのだが、オールグレンは弱々しく笑うだけで本気で生かそうとしない。ラルニャと同じ、栗色の髪を男の子にしては長めに伸ばしている。くるくるっと巻き気味になっているのが可愛らしいと女官たちが噂しているのをラルニャは知っていた。
確かに甘いマスクをしている、とラルニャも思った。それに次期国王だ。女性たちに人気が出ないはずがない。それは分かるのだが……
(これでもう少し、中身がちゃんとしてたらなあ)
ラルニャは心底残念に思う。オールグレンは決して何に対しても才能がないというわけではない。ただ自信がないのだ。ラルニャにはそれが勿体ないことに思えていた。何に対しても本気で取り組もうとしない。
「負けて悔しくないわけ?」
「うーん、どうだろう。ちょっと悔しい、かな」
「いざ戦いになったときに、それじゃ自分の身も守れないわよ」
「僕が戦わなきゃならないことになったら、その時点でもう負けてるのと同じだよ」
「屁理屈言わないで、ほら」
ラルニャは転がっている木刀を拾い、オールグレンの足元に投げた。オールグレンは木刀を拾い上げると、渋々といった表情で再度構えた。ラルニャも構える。王城の中庭は、二人の稽古場になっている。
「まだやるのかい」
「そういうのは、私に一本取ってから言ってもらえない?」
「……手加減、頼むよ本当に」
弱気な発言をするオールグレンに向かって、ラルニャは打ちかかった。左上段から振り下ろすように一撃。オールグレンは右に身体を動かしてかわす。ラルニャは振り下ろした勢いのままに身体を一回転させた。足だけでステップを踏むようにして間合いを詰め、再度の攻撃。
「ぐっ」
オールグレンが自分の木刀で何とか攻撃を受け止めている。そのまま力の押し合いにならずにすむよう、ラルニャはふっと力を抜いて飛びずさった。
「少しは良い顔になってきたじゃない」
ラルニャは楽しくなってきている自分に気が付いた。オールグレンの顔は、さっきより本気に見える。少しずつ、少しずつ硬い殻を破っていく感覚。殻の中に隠しているオールグレンの本当の顔を、ラルニャは目覚めさせたかった。
「次は、本気で打ち込むからね」
宣言した直後、ラルニャはオールグレンの懐に飛び込んだ。中段に一閃。弾かれる。懸命に防ぐオールグレンの顔は汗だくだ。ラルニャは続けざまに斬撃を放った。手首で木刀を返し、休む間を与えずに打ち込み続ける。オールグレンは必死に守り続けている。押し切れる――そう思った瞬間だった。オールグレンの顔から飛び散った汗が、ラルニャの眼に入った。一瞬、力が抜けた。ラルニャの木刀が弾かれ、宙を舞い、芝生に落ちる。
「――そこまで」
中庭に入ってきて言ったのは、ランデリードだった。
涙が出て、眼に入った汗を流してくれる。だけど、父に涙を見せたくなくてラルニャは眼をごしごしとこすってごまかした。
「見事な剣筋でした、オールグレン殿下」
ランデリードが、汗だくのオールグレンに跪く。同じルージェ王家の人間でありながら、父ランデリードは国王ビブルデッドとその息子であるオールグレンには臣下の礼を取る。ラルニャには、どうして父がそこまで下に出るのかわからなかった。ビブルデッドと同じ血を引いているはずだ。兄に頭を下げるのは、まだわかる。だがオールグレンにまでどうして頭を下げるのか。
「そんなことはないですよ、叔父上。ラルニャに指導をつけてもらっていただけです」
「しかし、今の勝負は王子の勝ちでした」
「ラルニャの眼に異物が入らなければ、私が負けていました」
「それも含めて、実力ということです」
「剣術でラルニャに敵わないのは私自身が良く分かっています。……叔父上、どうか頭をあげてください」
オールグレンが言い、ようやくランデリードは立ち上がった。
「ラルニャがとんだご無礼を。お怪我などございませんか」
「大丈夫です。それに、ラルニャには感謝しているのです。ラルニャが誘ってくれなければ私は剣術の勉強などしませんから」
「お望みであれば、騎士団の者を指導にお付け致しますが……。ラルニャの剣術では学ぶことも少ないでしょう。それに、殿下に怪我などさせないかひやひやします」
ラルニャは口をとがらせていた。おせっかいにも程がある。それに、そうやってビブルデッドとランデリードが揃って甘やかすから、オールグレンはいつまでたっても弱気なままなのだ。殻を打ち破ってみたいとは思わないのか。オールグレンの殻の内側にある物を引っ張り出してみたいとは思わないのか。
「いえ、ラルニャとこうして身体を動かすのが好きなのです」
オールグレンはそう言って、にこにことラルニャの方を見た。ラルニャは口を尖らせたまま「ふんっ」と顔をそむけた。オールグレンが本心でそう言っているわけでないのは明らかだった。そう言っておけばランデリードにも角が立たないし、ラルニャの顔も立つ。そうやって丸く収めるのがオールグレンの得意技だった。殻にこもっていられるように、そうやって誰にでも良い顔をしようとする。
そうですか、とランデリードは頷き、それから本題に入った。
「魔族どもが反乱を起こしたという話は、殿下の耳にも入っていることと思います」
「ああ、クイダーナ地方の戦いのことですよね、話は聞いています。なんでも首謀者は十歳前後の少女だとか」
そうなんだ、とラルニャは思った。オールグレンはぼんやりとしているようで、情報はしっかりと自分で集めているようだ。
「はい、彼らはリズ公爵をはじめとするクイダーナ地方の貴族たちを殺害し、東へ向けて軍を出してきています。王国騎士団はその討滅の任に就きます」
「そうですか……苦労をかけます」
「ビブルデッド様より、王国騎士団の指揮をオールグレン王子に、と」
「ばかな! 父上は何をお考えなのだ。私に指揮など執れるはずがない」
オールグレンが珍しく感情を隠さずに怒鳴り、ラルニャは驚いた。ランデリードは眉を動かしただけで、取り立てて動揺した気配はない。
「ビブルデッド様は、王子に期待されているのです」
「戦場で死ぬことをか」
「――いいえ、ルージェ王国を背負う者としての未来を、です」
「私は、望んで王子になど生まれたわけではないのです」
「それは、王子に限った話ではありません。誰もが自分の生まれを選んできたわけではないのです」
オールグレンはくっと唇を噛みしめた。
「私が代わってあげよっか」
ラルニャは何の気なしにそう言った。オールグレンは一瞬、嬉しそうにラルニャを見た。
「お前は黙っていなさい」
ランデリードの言葉は厳しい。でも……とラルニャは言おうとして、ランデリードの気配を察して口をつぐんだ。真剣に、父は話をしている。
「王国騎士団は全力を尽くし、王子の御身をお守り致します。王子が軍を率いてくだされば、それだけで士気は高まります。そして勝った際には王子の力を認めぬ者はユーガリアにいなくなります」
「しかし、魔族が相手と聞きます。やつらは精霊術を使うのでは? 何の知識もない私が戦陣へ赴けば、ただ標的になるだけです」
「精霊術も、恐れる程の物ではありません。四十年前とは違うのです、研究も進んでいますし、ルーン・アイテムの数も圧倒的に我が軍が有利です。何より、軍勢の規模が違います」
「しかし」
「王子、世界は広いのです。王子の名の下に、どれだけの人々が集まるのか。それを知っておくことは、国を治めるために必要になります」
「そうだろうか」
まだ迷っているオールグレンに、ランデリードは深く頷いた。オールグレンは「わかった」と言った。覚悟を決めて言ったわけではない、とラルニャは思った。オールグレンは、また流されているだけだ。
「叔父上、補佐をお願い致します」
「もちろんです」
「お父様、私もついていっていい?」
ラルニャは二人の会話が終わったのを見計らって声をかけた。
「駄目だ」
ランデリードはきっぱりと言い切った。どうして、と言葉をかけようとして、また父は気配でそれを封じた。なんといっても許さない。そういう雰囲気を、全身から出している。
ラルニャはじっと従兄を見つめた。本人の意思とは関係なしに、人には役割がある。オールグレンは王子で、ラルニャはただ王族の小娘に過ぎない。オールグレンは嫌がっても戦に連れていかれるし、ラルニャは望んでも戦に連れて行ってもらえない。
「逆だったらいいのに」
ラルニャは小さく呟いた。