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ユーガリア戦記  作者: さくも
第5章 王国の猛攻
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5-6「舞台からは、お客さんの顔が良く見えるんです」

 黒髪の少女はマリーナと名乗った。声は、ミンとは違った。ミンより少し高い。何より、話し方に少し訛りがあった。


「助けてくれてありがとうございます。今夜、私たちは広場で踊ることになっているんです。良かったら見に来てください」

「あ、ああ……」


 川辺で手を握られてそう言われた。言葉の端々の発音がぎこちない。ラッセルは胸が高鳴るのを抑えられなかった。ミンに似ている。大きな瞳、厚めの唇、柔らかそうな頬に、小麦色の肌。しゃべると白い歯がちらっと見える。だが、ミンとは違う……。別人なのはわかっていても、どうしてもミンに重ねてしまう。


「あの……」


 マリーナが手を離し、他の女性たちと共に背を向けてから、ようやくラッセルは声を絞り出した。


「踊り、見に行くよ」


 振り返った少女は嬉しそうに笑う。ミンは、こんな風に笑っただろうか。ラッセルは思い出せなかった。


「待ってるわね。本当に、本当にありがとう」


 マリーナが手を振る。ラッセルも手を振り返した。踊り子の衣装が夕陽を反射して、マリーナの身体を艶めかしく見せている。マリーナはしばらく手を振ると、仲間たちに置いていかれないように戻っていった。ラッセルはマリーナの姿が見えなくなるまで、じっと後ろ姿を見送った。


「あー……ごほん。取り込み中のところ申し訳ないのだが、そろそろいいだろうか」


 話しかけてきたのは、ラッセルを助けてくれた騎士だった。馬から降りてラッセルに話しかけている。ラッセルは振り返った。川辺には、先ほど騎士が倒したモンスターの死体が転がっている。


「おれはナーラン。帝国軍で千人長の立場にある。君も帝国軍の所属だな」

「はい、ラッセルと言います」


 ラッセルは膝をつき、頭を下げた。精霊術を使い、部下も従えているからそこそこの位にあるとは思っていたが、千人長だとは思わなかった。まだ十代の半ばだろう。ラッセルやアルフォンと外見年齢はそう変わらない。


「ラッセルか。ワニを相手に見事な戦いだった。民の為に兵が戦う、そういう勇敢な姿が見れて私は嬉しく思う。……だが、あのルーン・アイテムはどういうことだ? 一介の兵が持っているような物だとは思えないが」


 宿舎から飛び降りるときに使った、ルーン・アイテムのことを言っているのだろうとラッセルは思った。そしてモンスターはワニというらしい。ラッセルは竜の眷属だと思っていた。


「……おれはトレジャーハンターをしていました。その時に手に入れた物です」

「その歳でトレジャーハンターだと? それもルーン・アイテムを手に入れているとは」

「ヨモツザカに潜っていました」

「あのダンジョンに……。そうか、それなら納得がいく。帝国軍に加入してくれたこと、嬉しく思う。だが、ルーン・アイテムはすべて軍に管理させるべきだ。帝国軍に籍を置くのであれば、軍が利用した方が全体の利益になることは理解してもらえるだろう。これは軍で引き取る」


 ラッセルが顔を上げると、ナーランが二本の短剣を見せていた。ワニに投げつけた短剣だ。そうか、あれもルーン・アイテムだったのか。ラッセルは短剣の柄にルーンが掘られていたことを今更思い出した。それにしても、一本はワニの口の中に刺さっていたはずだ。死んだとはいえ、そこから取り出したのか。ラッセルはワニと対峙した時を思い出して、鳥肌が立った。恐怖は遅れてやってくるものだ。


「わかりました」

「すまないな、これも規則だ。代わりになるかはわからないが、多少の金は後で用意させる。休暇を楽しめ、ラッセル」


 ラッセルは再度頭を下げた。


 宿舎に戻ったラッセルは、置いていった荷物がなくなっていることに気が付いた。他にもルーン・アイテムがいくつか入っていたはずだ。宿舎の二階には、誰もいなかった。


「くそ……やられた」


 唯一、宿舎の二階から飛び降りるときに使った三角錐のついた糸だけ、そのまま放置されていた。これも盗もうとしたのかもしれないが、地面から抜けなかったのだろう。ラッセルは糸を手繰り寄せて三角錐を回収した。突き刺さってから半刻は抜けないが、それを過ぎてしまえば驚くほど簡単に抜けるのだ。糸を三角錐に巻き付け、懐にしまう。

 盗まれた荷物のことは、なぜだかもう気にならなくなっていた。それよりも……


「マリーナ……って言ったな」


 ラッセルは振り返って手を振ってくれた少女のことを思い出していた。ミンにそっくりな少女だった。だけど、ミンではない。ミンはあんな風に笑わない。わかっているのに、どうしてもマリーナのことが気になった。また会いたい。もう一度会って、話をしたい。

 決断は早かった。ラッセルは宿舎を出て、広場に向かった。


 広場は、既に酔っ払った兵士たちと踊り子で混雑していた。ラッセルは懐に残ったわずかな金で酒を注文すると、舞台が良く見える場所を何とか確保した。十組以上の芝居や踊りが終わり、ようやくマリーナが舞台に立った。ラッセルは立ち上がって拍手をした。


 黒い長髪が踊り、薄い空色のベールが舞う。舞台を包み込むように炎が暴れ、少女は祈りを捧げるように両手を組んだ。優雅な音楽を吟遊詩人が奏で、両手を組んだままの少女は歌い出した。ラッセルは手に持ったグラスを強く握りしめていた。小麦色の肌の少女は、あまりにも艶めかしく、美しく見える。気が付くと広場に集まった兵士たちの騒音も、驚くほどに聞こえなくなっている。

 少女が立ち上がると同時に、後ろから三人の女性が飛び出してきた。全員が鮮紅色のベールを纏い、ひらり、ひらりと蝶のように踊る。黒髪の少女は舞台の奥へ移動すると、赤いベールの女性たちに合わせて踊り始めた。青空色のベールが次第に赤みを増して、夕陽の色に変わる。吟遊詩人は曲調を変え、情調的な音楽を流し始めた。ラッセルは中央の少女をじっと見つめ続けていた。黒髪の少女と一瞬、目が合った。微かに口元だけ笑ってみせる。それだけのことで、胸が高鳴る。音楽が終わる。舞台を照らす炎が同時に消え、辺りは闇に染まった。


 広場に集まった観客たちから、割れんばかりの拍手が巻き起こった。舞台を照らす炎が一斉に灯り、四人の女性は笑顔で観客に手を振る。吟遊詩人が竪琴をぽろんと鳴らすと、四人は揃って頭を下げた。再度、炎が消え、観客たちはより一層大きな拍手を送った。


 喧騒が戻る。ラッセルはグラスの酒を一気に飲み干すと、近くを通りかかった売り子からさらにお代わりを買った。興奮が冷めない。素晴らしい演出だった。次のグループが舞台に上がり、踊り出す。マリーナの足元にも及ばないとラッセルは思った。良い物を見られた、という感動が残っている。


「きてくれたんですね」


 それが自分にかけられた声だと気が付くのに、ラッセルはしばしの時間を要した。グラスを持ち上げると、そこにマリーナがいた。


「どうして」


 ラッセルは自分が間抜けな顔をしているだろうな、と思った。


「舞台からは、お客さんの顔が良く見えるんです」


 そう言って、マリーナはにっこりと笑った。踊っていた時の衣装のままだ。ラッセルは気づかれないように胸元から目を逸らした。


「そうじゃなくて、どうしておれのところに」

「ちゃんとお礼を言いたかったんです。それに、名前もきけていなかったから」


 マリーナが顔を寄せてきた。ラッセルは口の中にたまった唾を飲み込む。微かに残った酒の味がした。


「ラッセル。おれの名前はラッセルっていうんだ」


 ラッセル……良い名前ね。そう言って少女は微笑んだ。ラッセルは、自分の心臓がバクバクと激しく音を立てていることに気が付いていた。マリーナの顔が近い。

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