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ユーガリア戦記  作者: さくも
第5章 王国の猛攻
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5-5「英気を養い、王国軍との戦いに備えるように」

 都市の略奪を終えたアーサーの部隊がジーラゴンに到着した時、まだカートの部隊は到着していなかった。ジャハーラの命で、先に到着していたアーサーの部隊は先んじて休暇を与えられることになった。


「明日いっぱいまで休暇とする。英気を養い、王国軍との戦いに備えるように」


 アーサーからの指示はそれだけだった。歓声が上がり、兵たちは町へ繰り出していった。まだ陽は高い。醒めぬ熱狂に、ラッセルはうすら寒い物を感じていた。兵たちの眼は飢えている。


「どうした、行かないのか」

「おれは後で良いよ。ちょっと眠りたい」


 話しかけてきた兵士にそう言って、ラッセルは宿舎に向かった。身体は疲れているが、それ以上に心が疲れていた。周囲の狂ったような熱量に、どうしてもついていけていない自分がいる。逆方向に駆けていく兵士たちは何を求めているのか。娯楽か、快楽か。熱狂に酔い続けるために必要なエネルギーを補充しに行っているのか。そのエネルギーは、きっと心を満たすことはない。ラッセルはそう思った。

 ふらつく足取りで宿舎へ向かう。宿舎としてあてがわれているのは、川沿いに並べられている石造りの建物だった。中に入る。個室どころか、五十人は収容できそうな大部屋だった。床には木が敷き詰められており、隅には毛布が積み重ねられている。一階では既に何人かが横になっていた。ラッセルは二階に上がった。造りは一階と同じだった。二階にはまだ誰もいない。ラッセルは毛布を取って窓際に行くと、荷物を枕にして寝転がった。


 アルフォンのことを、考えた。魔都でアルフォンと別れてから、もうひと月になる。自分の選んだ道が間違っているとはラッセルには思えなかった。しかしそれでも、ああいう終わり方をしなくても良かったのではないか、という気もする。


(どうしてるかな、アルフォン……)


 またトレジャーハンターの生活に戻ったのか。いや、一人で生きていくには十分な金は稼いだはずだ。それを元手に何か商売を始めるかもしれない。いずれにしても、アルフォンなら上手くやるだろう。

 アルフォンとは最初は商売敵だった。酒場でテーブルクロスの下に隠れて、酔いどれたちから金の入った袋を盗んでいるときに、たまたま同じことをしているやつに出会った。同じことを考えるやつもいるんだな、と思ったのをよく覚えている。手振りで、別の酒場でやれよ、と合図すると、お前こそどっかいけ、とばかりの手振りを返された。それがいつしか、協力してスリをするようになった。


 それからミンに出会った。綺麗な子だと思った。長い黒髪に健康そうな小麦色の肌。美人というわけではないかもしれないが、それでも眩しい程に綺麗だった。大きな瞳で見つめられると、ラッセルはどうしようもなく心臓が高鳴るのを感じた。まっとうな手段でお金を稼いで、まっとうに生きていこうとするミンの姿勢に憧れてもいた。盗みをしてきたというと、ミンは怒った。怒らせるとわかっていた。わかっていて、ラッセルは必ずミンに見つかるようにした。盗んできたお金をわざとミンの見えるところに置いたり、子どもたちに見せびらかしたりしていた。


 バカなことをしていたとは、自分でも思う。だけどそれでも、ミンと何かを話していたかった。怒らせることをすれば、ミンは必ずラッセルの方を見てくれる。必ず怒ってくれる。それが本気でないことはラッセルにもわかった。怒りはしても、ミンは決して口を利いてくれなくなるわけではないのだ。ラッセルはそれが嬉しかった。


 爆発の日のことを思い出すと、ラッセルはどうしようもない気持ちになる。何が原因だったのか。なんでミンは死ななくちゃいけなかったのか。


 ――泣いている自分に気が付いて、ラッセルは目を覚ました。陽は、もう陰りかけている。ラッセルは涙を手で拭った。宿舎の二階には、ラッセルの他に誰もいなかった。誰にも涙を見せずに済んだことに、ラッセルは安心した。軍の中で変な噂でも立てられたら堪らない。

 ふう、と息を吐く。身体はずいぶんと軽くなっていた。行軍中の疲れがとれたわけではない。しかし心に溜まっていた物の一部は、涙と一緒に流れ出てくれたようだ。


 立ち上がって、窓の外をぼんやりと見つめた。夕焼けを反射するリズール川をじっと見つめる。遠くに見える岸は、リズール川の中州に過ぎない。そのさらに先、川を越えた先に大平原が広がっていると聞いている。


 川を一艘の小船が渡ってこようとしていた。五人乗っている。旅芸人か何かなのだろうか、派手な衣装に身を包んだ女性が四人。一人は必死に櫂で船を操っている。ラッセルは小舟の動きをしばらくぼうっと見ていたが、あまりに櫂を操る男が懸命に漕いでいるので不審に思った。


「まさか……」


 船の後ろに、何かが浮き出ている。ラッセルはそれがモンスターの頭だと気が付いた。間違いない、あの水から出ているのは細長い口だ。あの小船はモンスターに狙われている。


 ラッセルは枕にしていた荷物から糸と輪っか型の短剣を取り出した。糸の先には三角錐の形状をした金属が取り付けられている。ラッセルはそれを川辺に向かって投げた。川辺に、三角錐の先が突き刺さる。土の精霊の力を持ったルーン・アイテムだ。一度地面に突き刺さったら半刻は抜けない。そして糸の部分は細いくせに、信じられない程の強度がある。ラッセルは一度引っ張ってみて、しっかりと固定されたのを確かめた。糸を張り詰めさせ、窓の手すりに巻き付ける。宿舎の二階から、川辺にかけて糸が張った。


 輪っか型の短剣を糸に引っかける。ラッセルは窓の外に身を投げた。両手で短剣の柄を握りしめる。滑走、というより糸に沿って落下したという方が正しかった。川辺に落ちる瞬間、ラッセルは短剣の柄を離した。川辺でごろんごろんと転がり、立ち上がる。

 小船は今まさに川辺に上陸したところだった。櫂を漕いでいた男が小船から降り、女性たちを逃がそうとしている。モンスターも陸地へ上がって来た。四本の足でずんぐりとした巨体を支えている。尻尾の先は、まだ水の中だ。角質ばった鱗で背中は覆われており、竜を思わせる巨大な頭と獰猛そうな瞳をしている。


 モンスターが口を開いた。信じられない程の大きな口だった。ぎっしりと生えた歯は、小舟を操っていた男でも十分に一飲みにできそうだ。


「あたれぇ!」


 ラッセルは腰の短剣を抜くと、モンスターに目掛けて投げた。口の内部、上側に短剣が刺さった。モンスターは喉を大きく揺らしのたうった。


「逃げろ! 早く!」


 ラッセルはそのすきに小舟に駆け寄り、短剣を抜いた。一本投げてしまったから、もう一本しかない。手が震える。護身用にと持っていた短剣が、ひどく頼りない物に思える。モンスターがラッセルを見ていた。口が開く。ラッセルはもう一本の短剣も投げつけた。しかし、モンスターは既に口を閉じていた。鱗に弾かれ、短剣は宙を舞った。


(喰われる……!)


 モンスターが口を開き、信じられない速度で噛みつこうとしてくる。ラッセルは死を覚悟して目を閉じた。


 炎の音が轟き、熱風が走った。続いて、水しぶきが身体にかかる。ラッセルはおそるおそる目を開けた。


 モンスターが川の中にひっくり返っていた。何が起きたのか、ラッセルはわからなかった。唾を飲み、息をする。生きていることだけは確かだった。


「大丈夫か」


 後ろから声をかけられて、ラッセルは振り返った。十人程の騎士が、川辺に降りてきている。その先頭にいる男は、ジャハーラに似た灼熱を思わせる赤い髪と瞳をしている若い男だった。助けられたのだ、とラッセルは理解した。精霊術でモンスターを吹き飛ばしてくれたのだ。


 ラッセルは何か答えようとしたが、荒い息をしただけで声が出せなかった。小舟にいた女性たちが、口々に感謝の言葉を投げている。ラッセルは深く呼吸をすると、小舟に視線を戻した。幸いにして、誰も怪我をせずに済んだようだ。櫂を漕いでいた男が、一人ずつ女性たちに手を貸して川辺に降ろしている。

 女性たちは踊り子のようだ。冬だというのにひらひらとした薄い衣装に身を纏い、華やかに着飾っている。へそを出している者までいる。


 ラッセルは踊り子の一人から、目を離すことができなくなった。黒い長髪が、夕日を浴びて煌めている。小麦色の健康そうな肌はきめ細かく、大きな瞳は愛らしい。


「ミン……?」


 ようやく落ち着き始めた心臓が、再度激しく音を立て始める。

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