5-3「遊ぶには金が必要だ。だが、おれの持ち合わせは十分じゃない」
空は青く、大地は赤い。ラッセルは行軍にそんな感想しか持てなくなっていた。軍の進軍は想像していたより過酷だった。移動の速度が極端に速いわけではない。おそらく、アルフォンと歩いていたときと変わらないだろう。しかし支給された武器や防具を持ち運び、さらに交代で攻城兵器を動かす。特に長柄の槍が重い。身長の二倍もある槍をまっすぐ持ち歩くのは重労働だった。
十日も立たぬうちにラッセルの周りには顔色の悪い者たちが出始めた。ついこないだまで、剣も持ったことのなかった農民や商人たちなのである。ラッセルと同年代の若い者たちも多い。そのほとんどは混血だった。
ラッセルはジャハーラ指揮下の東方面軍に配置されていた。一万五千を数える兵数だという話だったが、ラッセルの見立ててで半数近くは実戦の経験もない者たちで構成されている。そのせいもあってか、陽の高いうちは進軍した上に、夕方は二日おきに交代で調練が行われた。調練はいつも実戦形式で、騎馬隊の動きを遮る為の動きについてだった。
槍衾を作り騎馬隊をせき止める。布陣が甘ければ、騎馬隊は躊躇なく新兵たちを蹴散らした。日中の歩き詰めで疲れ果てた足腰で、何とかラッセルは耐えた。
「馬に乗ってるやつらは良いよな。こっちは歩き詰めでへとへとだって言うのに、遠慮の欠片もない!」
耐えきれなくなった一人が愚痴をこぼした。その新兵は鞭で打たれた上に、丸二日食事が与えられなかった。それを見ていた他の者たちは口をつぐんだ。反抗はただ体力を消耗するだけだ。
訓練のない日は、交代で夜間の見張りにつくことになっていた。疲労と睡眠不足、それに冬の寒さで、新兵たちのほとんどは言葉を交わす体力さえ失いつつある。
「なあ、東に行くってことは王国軍と戦うってことだよな。こんな新兵ばかりでどうするっていうんだ」
行軍中、ラッセルの横を歩く兵士がぼやいた。ラッセルは答えなかった。誰かに聞かれでもしたら罰を受けるだろう。巻き添えはごめんだった。
「やっぱり間違いだったのかな、帝国軍に入ったの。結局、命令するやつらが人間から魔族に変わっただけで、おれたち混血は下働きさ。前線に送られて、使い捨てにされるだけだ」
エリザはそんなことをしない。ラッセルは喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。
こんなことで音を上げてどうする、と言いたい。世界の在り方を変える。できないと思っていたことを覆すなら、このくらいの試練には耐えるべきだった。エリザは本気で世界を変えるつもりでいる。もっと多くの「つらい」を飲み込んで、前に進もうともがいている。
だが、それはエリザを知っているから言えることじゃないのか。歩きながら、ぼんやりとラッセルは考えた。エリザの過去を知り、覚悟の決まった眼を見て、スラムの変化を目にしてようやくラッセルも信じられたのだ。エリザを信じられなければ、そう思うのも無理はないのかもしれない。新兵のほとんどは混血だ。魔族中心の騎馬隊に、調練のたびに打ち据えられていれば恨み言の一つも口に出したくなっても不思議じゃない。
隣を歩く男も、もう愚痴るのをやめたようだ。黙って足を動かしている。ラッセルはそれ以上考えるのをやめて、また足を動かし始めた。
魔都を出て二十日が経った。新兵たちの顔はげっそりとやつれ、眼の輝きも薄れつつある。ラッセルも疲れていることを自覚した。何の為に足を動かしているのか、わからなくなってきている。
「止まれ」
風が吹き、声が響いた。前を歩く兵士が止まったのを見てラッセルも足を止めた。この声には聞き覚えがある、ジャハーラだ。風の精霊に命じて声を広げているに違いない。
「このまま二、三日も進めばリズール川に出る。リズール川を渡れば、もうクイダーナの地ではない」
クイダーナ地方を出る。ラッセルは身体が震えるのを感じた。生まれてこの方、赤い大地の上で生活をしてきた。知らない土地に出る、ということが怖い物なのだと、ラッセルは初めて知った。
「リズール川の手前にはジーラゴンという町がある。クイダーナとルノア大平原をつなぐ要所だ。交易の為に多くの商人が行き来するから、それだけ美女も多いし酒も旨い。肉料理も格別と聞くし、踊り子も多い。クイダーナを出る前に、そこで一日の休暇を取ろうと思う。ここまでの行軍に調練、新兵には特に厳しかったことだろう。良くついてきてくれた。王国軍との戦いの前に英気を養ってほしい」
歓声が上がりかけたのを、ジャハーラは「しかし」とせき止めた。
「遊ぶには金が必要だ。だが、おれの持ち合わせは十分じゃない」
結局、金を持ってる魔族だけが楽しめる休暇というわけか。新兵たちの空気が一気によどんだのを、ラッセルは感じた。
「ああ、そうだ。これはまったく関係のない話なのだが、ジーラゴンの手前にエリザ様に従わぬ都市が二つある。どちらも人間族の貴族どもが立て籠もっているらしい。やつらは傭兵を雇って立て籠もっているという話だ。これからルノア大平原に向かうにあたって、クイダーナに敵を残していくわけにはいくまい。まったく、傭兵を雇う程の金を持つ貴族どもだからなぁ」
ラッセルはぞくり、と寒気がした。行軍と訓練と見張りの日々で疲労した頭の中で、豪勢な食事と酒が映る。自分の意思とは関係なしに、強制的にイメージさせられているようだった。おかしい、と思ったのは一瞬で、すぐにその光景は自分が望んでイメージしているのだと置き換わった。
貴族の金を奪って、ジーラゴンで休暇を楽しむ。それは非常に魅力的だ。
「アーサー、カートの両指揮でそれぞれの都市を落とす。無抵抗の市民へ危害を加えた者は、それ相応の懲罰が待つとしれ」
今度こそ歓声が上がった。ラッセルは周囲を見渡す。先ほどまで虚ろな瞳をしていた者たちの眼に、生気が宿っている。
貴族の立て籠もる都市は、大きな都市ではなかった。
攻撃に移ってからわずか半日で門が開かれた。内にいる傭兵の一隊が門を開いたのだ。最初から内応が決まっていたとしか考えられない。開門のタイミングは、鮮やかだった。都市の三つの門がほぼ同時に開かれたのだ。
ラッセルたち新兵を中心とした五千兵は都市の中に雪崩れ込み、首謀者を捕らえた。町の有力者の屋敷を攻撃し、蔵を暴いて金品を巻き上げ、食糧を奪った。しかし五千人のうち、満足に略奪ができた者はそう多くなかった。不満を持った兵たちは、反抗していた貴族たち以外の家々にまで押し入ろうとした。
後方で指揮を執っていたアーサーの一隊が都市の中に入ってきたのは、住民にまで略奪の被害が出始めてからだった。市民に暴行を働いた者は、騎馬隊が発見次第に首を刎ねたようだ。馬蹄と悲鳴が入り混じり、町の中は混乱を極めた。
「我々は野盗ではない。市民に刃を向けた者は、ジャハーラ公の名の下に処罰されるということを忘れるな」
赤毛の指揮官は、町中を駆け回りながらそう言っていた。
ラッセルは辺りを見渡した。思い思いに略奪を働いた兵士たちの眼は、ギラギラと光っている。飢えの中で、目の前に食べ物を投げられた獣のようだ、とラッセルは思った。皆の顔つきが同じに見える。
熱狂の中で、ラッセルは虚しさが胸の中で広がるのを感じた。
(おれは金を持ってるじゃないか。奪う必要もなかったはずなんだ……)
両手に握りしめた宝石類が、急に汚らしい物に見えてラッセルは落としそうになった。どうして貴族たちからこれを奪おうと思ったのか、ラッセルは思い出すことができなかった。
狂乱の宴は、まだ続いている。身ぐるみを剥がされた貴族たちが広場で磔にされている。石を投げる者まで出始めた。
アーサーはそれを止めようとはしていない。
1週間おやすみいただきます。
次の更新は5/28(火)になります。




