5-1「はいはい、命は助けてあげるから安心してよね」
湖港に、怪しげな人影が五つ浮かび上がっている。月明かりも頼りない冬の夜。港沿いに設置されたルーン・アイテムの街灯も、男たちの姿をぼんやり映し出すにとどまっている。濃い霧の中である。船の一つに、男たちは木箱を運び込んでいた。
「約束の物は持ち出してくれたんだろうな」
「ああ、安心しろ。全部入ってる」
「疑うのは後にしろ。自由都市についてからでも遅くない」
男たちは声を潜めて会話すると、また木箱を運び出す作業に戻り始めた。船に最初の荷を運び終えると、倉庫に戻って次の荷を運び出す。倉庫を出たところで、男たちの足が止まった。船へ向かう途中に、少女の影が浮かび上がっている。腰には剣を佩いている。年の頃はまだ十一、二と言ったところだろう。男たちの胸あたりまでしか身長がない。
「ふーん。そこに隠してたんだ」
少女が口を開いた。場に似つかわしくない、何とも明るい声だった。
「中身、見せてもらってもいいかしら?」
男たちは顔を見合わせ頷きあうと、木箱をその場に置いてそれぞれ剣を抜いた。少女が何であれ、見られたからには始末する他になかった。霧の中で、一人の少女と五人の男たちが対峙する。
「デュラー、ピピーディア、出番よ」
武器を取り出した男たちに向けて、楽しそうに少女は言った。
「人使いの荒い姫様だ、まったく」
「あら、そこが気に入ってるんでしょ? 文句言わない」
男女の声が響く。少女には仲間がいたのか。男たちは辺りを見渡す。耳をつんざく程の轟音が上がり、火炎の弾が男たちに襲い掛かった。悲鳴を上げる間もなかったことだろう。二人の男が火炎に吹き飛ばされて湖に落ちる。
「なっ……精霊術師だと!」
残った男の一人が振り返って叫ぶ。そこへ黒い影が飛び出した。閃光が霧を切り裂き、男の腕が飛ぶ。戦斧の影が、霧の中に映る。男たちに接敵した戦士は、続いてもう一人を戦斧で叩きのめした。
最後に残った一人は舌打ちをすると、少女に向けて飛び掛かる。凄腕の戦士と精霊術師を相手にはできないが、少女を人質にとってしまえば……そう考えたに違いなかった。しかし男の一撃は少女に軽くいなされてしまう。立ち上がろうとした男の首筋に、むき出しの剣が突きつけられる。
「はいはい、命は助けてあげるから安心してよね」
霧の中で少女は笑う。息も感じられそうな距離になってようやく、男は少女の容姿を確認することができた。茶色の髪に、愛嬌のある顔立ち、くりくりっとした大きな瞳。邪気の欠片も感じさせない瞳だった。男は手に握った剣を落とした。カラン、と呆気ない音が響く。
「悪党の成敗完了! ぶいっ!」
少女は武器を落とした男を見て、戦意を失ったと思ったようだ。仲間に向けて人差し指と中指を突き立てて見せる。
「ラルニャ様、危ない!」
少女の慢心したすきに、男は武器を拾い上げようとする。その手の甲に、氷の矢が突き刺さった。男は氷の矢の突き刺さった手を抑えて悶絶する。
「油断は禁物、とこないだお父上様に言われたばかりでしょう。ラルニャ様、少しは御身を大切にしてください」
「はーい、ごめんなさい」
「まったく、胆が冷えましたぞ」
ラルニャは頬を掻きながら戦士デュラーと精霊術師ピピーディアに謝罪した。まったく反省の色が見えない姿に、デュラーとピピーディアは嘆息をつく。そばではまだ、倒された男たちが苦痛の叫びをあげている。
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整備された白い街並みに、朝日が差し込む。建物の影が次第にはっきりと形を持ち始めるが、霧のせいで遠くまではっきりとは見えない。城下の先にはもくもくと煙の立ち込めるアーナ湖がある。朝日を浴びてなお、煌めく水面を霧で覆い隠すさまは、まるでなかなか素肌を見せようとしない美女のようだ。
王都ルイゼンポルム。城の一室で、陽が昇る瞬間の景色を王弟ランデリードは見つめていた。何度見ても飽きることはない、幻想的な風景だった。ランデリードは戦場で迎える朝の次に、自室から王都の街並みを見下ろす朝が好きだった。
部屋の扉がノックされた。
「ランデリード様、宜しいでしょうか」
「デュラーか。どうした?」
「ルーン・アイテムの密売にかかわっていた者たちを捕らえました。麻薬の類も扱っていたようで、いま詳しい内容を調べさせています」
「そうか、よくやった。ラルニャは無茶をしてないだろうな」
「えー……はい、大丈夫です」
デュラーの歯切れの悪い回答に、ランデリードは溜息をついた。
「どうしても、というからお前たちを警護につけさせている」
「わかっております。何があってもラルニャ様はお守りします」
「違う、そうではない。ラルニャがお前たちの仕事の邪魔をするようなら、いつでも外すという意味だ。足を引っ張るだけだろう」
「そんなことは。昨夜の密売グループの確保にも、ラルニャ様は活躍されました」
「まさか賊と斬り結んだのではなかろうな?」
「あ、えー、その……そんなことは」
ランデリードは頭を抱えた。一人娘のラルニャは、今年で十二歳になる。明朗闊達という言葉のよく似あう子に育ったのは良いのだが、どうにも好奇心が先行しすぎて自ら危険に飛び込む癖があるのが困りものだった。八歳を過ぎてからは剣を振り回すようになり、悪党を退治するなどと言って騎士団の仕事に混ざろうとしてくる。
やはり無理にでもやめさせるべきではないのか。ランデリードは何度もそう思ったが、ラルニャに悲しそうな表情をされると言い出せないのだった。最近はルイゼンポルムに暮らす民の中では『騎士姫』などと呼ばれるようになり、ラルニャに騎士ごっこをやめさせる機会を失してしまいつつもある。
「……まあいい。それより、取引相手は割り出せたのか」
「いえ、アーナ湖を抜けて自由都市まで運び込むのが彼らの仕事だったようです。そこから先は調べてみない事には」
「やはり魔法都市が怪しいか」
「可能性は低くない、と思います。ピピーディアもそう考えているようです」
魔法都市ポニルクは、精霊術の研究の為にルーン・アイテムを収集している。それはルージェ王国側としても理解していた。しかし、ルーン・アイテムは強力な武器にもなる。すべてを魔法都市に集めるわけにはいかなかった。特に強力な効果を持つルーン・アイテムに関しては、各地への抑止力として王都ルイゼンポルムに保管されている。
とはいえ、そのすべてを王家が保管しているわけではない。王都に住む有力貴族たちが権力の証として所有していたり、教会で所蔵していたりと、それぞれが複雑な事情で分散して管理されているのが実情だった。
ルーン・アイテムを所有する貴族家である、ということは爵位と併せて貴族たちのステータスを表す。だからこそ、たとえ盗難にあっても表ざたにはしない。ルーン・アイテムを盗まれた家だと後ろ指を指されることを嫌う権力者は多い。そのため、ルーン・アイテムの盗難被害が表に出るのはずいぶん遅くなったようだ。王国騎士団が把握しているだけでも、十を超える貴族や教会からルーン・アイテムが盗まれている。
盗まれたルーン・アイテムはどこへ運ばれているのか。また、どれだけのルーン・アイテムがすでにセントアリアにないのか。それを洗い出すことは王国騎士団の急務だった。
「クイダーナでは魔族が反乱を起こしたという」
「魔法都市とつながっている、とランデリード様はお考えですか」
「そうだったら最悪だな」
西は魔族、東は魔法都市と、両面に敵を抱えることになる。
「さすがに魔族の反乱は別の事案でしょう……。それに、魔族にはかつての力はありませんから、鎮圧は時間の問題ですよ。そろそろリズ公爵から鎮圧の報が入っても良さそうなものですが」
ランデリードも同じ考えだった。いくら何でも、魔族に勝ちの芽がある戦いには思えない。リズ公爵に対して溜まった不満が爆発しただけだろう。クイダーナ地方にいる兵だけで十分に対応できるはずだ。とすると、やはり急いで対応すべきは王都内でのルーン・アイテムの盗難事件である。
クイダーナ帝国復活の報が届いたのは、その日の昼過ぎだった。