4-30「最後の別れです。悔いのない時をお過ごしください」
エイリスを連れて聖都に戻ったソリアの報告を、パージュはすぐに信じなかった。一日を空けてニノル学院での惨劇の跡が確認され、ソリアはパージュに呼び出され会議室に入った。
パージュは生気をすっかりなくしていた。十年の時を一日で過ごしたように、身体中のしわが深みを増している。
「すまなかった……」
何に対する謝罪なのか、ソリアは意味をくみ取れなかった。ソリアを疑ったことか。戦場に戻れと叱責したことか。それともリュイが死んだことに対してか。ニノル学院の惨劇を防げなかったことか。
ソリアは黙っていた。
どれもパージュのせいではない。
ソリアは深い喪失感と絶望の中にいた。誰かを責めようという気持ちにも、怒りの感情も、湧いてこなかった。だから黙っていた。
それから数日が経ち、敵に奪われていたリュイの頭が聖都へ届けられた。パージュが検分し、次にソリアが検分した。木箱の中で、雪に埋められるようにしてリュイの顔があった。ソリアはそれを見て、再度泣いた。
パージュは、氷上に展開した聖騎士たちに撤退を命じたようだ。ラーケイルをはじめとした聖騎士たちが帰還する。二、三千騎程が戻らなかった。犠牲は少なくない。戦争は、深い爪痕をパージュ大公国に残した。パージュの後継と目されていたリュイの死は、聖騎士たちの帰還とともに瞬く間に聖都の中で広がった。そしてニノル学院の惨劇の噂が広がり、聖都ビノワーレは悲しみに包まれた。
その聖都ビノワーレを離れて、パージュはニノル学院へ向かった。ソリアは五百騎を連れて付き従った。北海で戦った騎士たちは、北海に面した港町を中心に、パージュ地方の各地へ散っていった。ほとんどの者たちが、もともとの配置に戻っている。
老齢のパージュは、すでに馬に乗ることもできなかった。そりを曳かせ、その速度に合わせて進んだ。ニノルの学院まで丸二日かかった。パージュの眼は窪んで輝きを失い、肌は生気を失って枯れ果てている。ソリアには、パージュの悲しみが全てわかるわけではなかった。それはパージュにも同じことが言えるのだろうと、ソリアは旅の道中でぼんやりと思った。同じ人を失った。だが悲しみは共有できない。ソリアの悲しみと、パージュの悲しみは、重なる部分もあるかもしれないが、決して同じではない。
ニノル学院についた。学院のそばに、巨大な穴が掘られている。パージュが先んじて手配していた者たちが、もくもくと穴を掘っている。
学院から、騎士見習いたちの死体が外へ運び出されている。
雪原に並べられたおびただしい数の死体。ソリアは思わず顔をそむけた。顔をそむけた先に、そりに腰を落とすパージュの姿があった。パージュは呆然と学院を見ている。
風が吹いた。死の臭いがする。ソリアは吐き気をこらえて、顔を伏せた。
ニノル学院で学ぶ騎士見習いの中で生き残ったのは、エイリスただ一人だという話を聞いている。そのエイリスはビノワーレ城の一室で看病されているが、放心状態で口もきけないという。しかし、この凄惨な現場を見れば、何が起きたのかを少女の口から聞き出す必要もなかった。
死体が埋められてゆく。ソリアはリュイの首を木箱から取りだし、胴のすぐそばに置いた。統率の聖騎士リュイは、最期まで高潔の騎士であり続けた。首と身体を離して埋葬するわけにはいかなかった。
ソリアは長い緋色の髪を後ろ手でまとめ、短刀でばっさりと切った。リュイの褒めてくれた緋色の髪。リュイの顔のすぐそばに、切った髪の束を置く。土をかける。千人を超す騎士見習いたちとともに、統率の聖騎士が埋められてゆく。
埋葬には大勢の領民が参加した。パージュが呼び集めたのではない。ニノル学院に子を預けていた親、彼らに食べ物を送っていた村の者、騎士見習いたちに剣を教えていた騎士や聖騎士、それにリュイを慕う人々が、自然と集まって来たのだった。
ニノル学院の内部から死体がすべて運び出され、埋葬が終わる。陽は暮れようとしていた。パージュは、集まった人々に墓石の建設を約束した。鎮魂の詩が捧げられ、雪が降り始めた。すすり泣きが聞こえる。ソリアはもう自分の涙の泉が枯れ果ててしまっていることに気が付いた。いまは泣きたい気持ちよりも、胸の空洞を何かで満たしたいという気持ちが強い。
だけどいったい、何で満たせばいいというのか。リュイの存在は、ソリアの胸の中であまりに大きかった。それに代わる物など、まったく思いつかない。
陽が暮れた。学院のそばに幕舎がいくつも張られた。ある者は悲しみを紛らわそうと酒を仰ぎ、ある者は泣き疲れて眠り、またある者は枯れた声でなお鎮魂歌を歌い続けている。
パージュに呼ばれ、幕舎に入った。
「これを、リュイの形見としてもらってほしい」
パージュが差し出してきたのは、親愛の腕輪だった。埋葬する前にリュイの腕から外され、パージュのもとへ届けられたのだろう。
「いいのですか」
パージュは頷き、ソリアは親愛の腕輪を受け取った。腕に嵌める。リュイは手首の辺りにつけていたが、ソリアは肘の手前でちょうどいい太さだった。
ソリアはパージュに礼を言い、幕舎を出た
「ソリア様、パージュ様の警護は私たちに」
幕舎を出た先にベリルをはじめとする十名の騎士がいた。ベリルは北海での戦いから帰還後、ソリアの副官の位置に戻っている。
「気を使わないで。パージュ様の身は、私が守る」
「パージュ様を護ることのできる騎士は、ここに大勢おります。しかし、リュイ様の魂を慰められるのはソリア様しかおりません」
「リュイは亡霊になって化けて出たりしないわ」
ベリルは冗談だと思ったのだろう。軽く笑った。乾いた笑い方だった。
ソリアの気を少しでも紛らわせたいという思いが、透けて見えるようだ。気を使われている。
「最後の別れです。悔いのない時をお過ごしください」
ベリルはそう言って、鞘に入ったままの剣を地面に突き立てた。意地でも自分たちは動かないという意味のようだ。ソリアは礼を言い、その場を離れた。
リュイを埋めた場所に立ち、祈りを捧げた。雪の中だというのに、他にも祈りを捧げている人たちが何人もいた。泣き崩れている人もいる。ソリアは気が滅入ってしまいそうだと思った。遠くで火が焚かれている。学院を襲撃した、魔族とダークエルフたちの死体を燃やしているのだ。瘴気が漂っている。ソリアはひどい寒さを感じて、自分の身体を抱いた。
ずきん、と腕が痛んだ。ソリアは自分の身体を抱く腕をほどいた。幻覚だ。胸の空白も、寒さも、痛みも、どれも心の傷であって、身体が痛みを訴えているわけではない。そう理解さえすれば痛みはやわらぐはずだった。
また、腕が痛んだ。
ソリアは痛む腕を見た。親愛の腕輪。まさか、とソリアは思った。腕輪が何かを教えてくれようとしているのか。
ソリアは目を閉じて、身体中の力を抜いた。腕輪はどこかへ導こうとしてくれている。それは大切な物を守れるように、というよりも、行かねば後悔するぞ、と言っているようだ。
松明に火を灯し、馬に乗る。腕輪が導いているのは、ニフルの森である。
夜の森を、緋色の聖騎士は駆けた。
後ろ髪を切ったせいで、うなじが寒い。ソリアは以前にも、こうやって夜の森を走っていたことを思い出した。聖騎士パールボーの死に耐え切れず、馬を駆ったのだ。今度は、リュイの死に馬を駆っている。
モンスターの気配がして、ソリアは剣を抜いた。子どもの頃は恐ろしかったモンスターも、今のソリアなら敵ではない。馬を駆けさせながら、向かってくるモンスターだけ斬る。
痛みが強くなった。ソリアは馬を下りた。松明をかざす。親愛の腕輪が導く場所は近い。ソリアはゆっくりと歩いた。
「ここは……?」
見覚えがあるような気もするが、どこにでもある風景、という気もする。しかし夢の中でリュイが助けに来てくれたあの場所と、微かに重なる。
幼い日の記憶をたどりながら、ソリアは歩いた。夜を徹して、ソリアを守り続けてくれたリュイの姿は、今でもはっきりと思い出せる。
ソリアは自分が寄りかかって、助けを待った樹の幹を見つけた。森の中の景色なんて、どこもそう変わらないというのに「ここだ」という直感がある。
樹に近づいたソリアは、幹に穴が空いているのを見つけた。松明で照らす。布で巻かれた何かが置いてある。腕の痛みが強くなっている。これを見つけさせるために、親愛の腕輪はここに導いてくれたんだ、とソリアは思った。樹の幹に手を入れ、それを取り出した。
何重にも巻かれた布をほどいてゆくと、小さな木箱が出てきた。滑らかになるまで磨き上げられた木箱は、それだけで高価な物だとわかる。
ソリアは木箱を開いた。
箱の中に入っていたのは、指輪だった。波のようなデザインの入った、銀の指輪。内側を覗くと「愛するソリアへ」と刻印されている。
「約束だから、なんでも言うこと聞いてあげる」
「そうだな、ニフルの森でデートでもしてもらおうか」
「いいけど……いいの、そんなことで?」
「そんなことじゃないよ、そうしたいんだ」
戦いの前にリュイとそう約束したのを思い出し、ソリアはその場でへたり込んだ。
(ねえ、リュイ……。どうして……どうして死んでしまったの)
声は出ない。言葉はまとまらない。
(どうして私の指に、これを嵌めてくれなかったの)
恨み言を言うんじゃない。ソリアは自分に言い聞かせようとした。
(どうして私を残して逝ってしまったの)
せめて軍を率いて戻ってくれれば。せめて一緒に戦っていられたら。
(どうして、どうして、どうして……!)
もうすっかり涙は枯れたと思っていたのに、とめどなく涙が溢れ出してくる。ソリアは森の中で泣き崩れた。言葉にならない叫びをあげる。樹の幹を何度も何度も、ソリアは殴りつけた。手が切れて血が滲む。涙はなかなか止まない。
緋色の髪に、雪が降り注ぐ。
4章終了となります。
次の更新から5章に入ります。宜しくお願い致します。