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ユーガリア戦記  作者: さくも
第4章 北海の戦い
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4-28「指揮を放り出す為に、お前たちを戦場へ送り出したのではない」

 一千騎を率いて聖都ビノワーレに戻ったソリアだったが、リュイと合流することはできなかった。留守を預かる聖騎士シーデルからそれを聞くと、ソリアはまだパージュへ謁見を求めた。

 ビノワーレ城の会議室に入ったソリアの報告を、パージュはひと通り聞くと、静かに頷いた。


「すると、統率の聖騎士リュイは戦線を放棄して逃げ帰ったと、そういうのだな」


 パージュの言葉は辛らつだった。


「違います、パージュ様。リュイは親愛の腕輪の導きに従い、パージュ様の御身を心配されて戻ったのです」

「馬鹿者!」


 パージュは激昂した。


「緋色の聖騎士ソリア、聖騎士とあろう者が敵を前にして背を向けることが許されると思っているのか」

「処罰は、後でいかようにもなさってください。しかし、パージュ様が討たれることがあれば、この国は終わりなのです」

「たとえそれが真実で、私が討たれたとしても終わりはしない。我らは騎士、王国を守る為に身命を賭すと誓ったのではなかったか。騎士を守る為に、騎士が戦場を離れてどうする。――戦場へ戻るのだ、ソリア」


「パージュ様、どうか聞いてください。先に聖都へ向かったリュイがまだついていないということは、どこかで魔族の部隊と交戦しているかもしれないのです。連日の雪で視界は悪く、私たちの軍勢とは違う道で、いまも戦っているのかも」

「いい加減にするのだ、ソリア。もし敵がここ聖都にまできたとしても、聖都を守るのは聖騎士シーデルの役目である。それは、リュイが決めたことではなかったか。戦の最中に指揮を放り出す為に、お前たちを戦場へ送り出したのではない」


「しかし、パージュ様」

「戦場へ戻れ、ソリア。二つ名の聖騎士として、これ以上の醜態と失言を重ねるな」


 ソリアは頭を下げた。


「わかりました、私は戦場へ戻ります。しかし一千の騎士たちは聖都の守りに置かせてください」

「彼らに、戦場に立つ名誉を失えと命令するのか」

「私だけなら、戦場に戻るのも早くすみます」


 パージュは目を閉じ、深く息を吸った後に「いいだろう」と言った。


「もう陽が暮れる。明日の朝には発つが良い。武功を、期待している」


 翌日、朝日を待たずにソリアは聖都を出た。白の大地を疾駆する。見渡す限りの雪原。聖都へ向かう途中には降り続いていた雪も、もうやんでいる。リュイはいったいどこに消えたのか。雪景色に馬の足跡を残しながら、ソリアは駆け続けた。聖騎士の駿馬は、雪の中でも素早く走る。


 陽が傾き始めた頃、ソリアは雪景色におかしな跡を見つけた。引きずったような跡が、何本も線を伸ばしている。


(これは……そりの跡?)


 ソリアは馬を降りて、跡を確認した。線上に伸びる跡のそばに、馬の蹄跡が点在している。間違いない、そりの通った跡だ。雪が止んだ後についた物のようだ。蹄の跡から推測するに、北から南へ駆けていっている。ソリアはそりの続く先を目で追った。南には、北海がある。

 北海への物資の補給にそりを使ったのだろう、とソリアは思った。それ以上は気にせず、馬に跨る。しかし、違和感を覚えて、馬上からそりの跡をもう一度見た。


(そりが北海へ向かった。それはいい……。けれど、いったいどこから?)


 そりが来たであろう北の方角を向く。ソリアは馬を走らせた。そりの跡に沿って、丘を上る。風景に見覚えがある。嫌な予感がした。丘の頂上に出る。一面の雪景色に、そりの通った跡だけが線を引いている。

 その先にあるのは、ニノルの学院だ。学院のそばに、町や村はない。戦場へ物資を輸送するにも、ニノル学院を経由する意味はないだろう。


 ソリアはそれに気が付くと、無我夢中で馬を駆った。北海とは逆方向なのは百も承知である。


(リュイ……!)


 パージュに叱責されようが、たとえ二つ名を剥奪されようが構わなかった。そりの跡に沿って、馬を駆る。ニノル学院で何かがあった。このそりの跡は、敵がつけた物なのか。だとしたらリュイは無事なのか。ディシュワードは、騎士見習いたちは、無事なのか。


 陽が落ちても、構わずにソリアは駆け続けた。馬が足を踏み外し、雪の中に投げ出される。ソリアは立ち上がると、転んで暴れる馬をあやし、立ち上がらせた。手綱をとる。手が凍り付いたように冷たくなっていることに、ソリアはようやく気が付いた。荷から松明を取り出し、火をつけた。馬に跨る。雪の中を、再度走り出す。吐く息が白い。


 ニノル学院の輪郭が、月明かりでおぼろげに浮かびだされる。その先には、ニフルの森が広がる。不気味ささえ感じて、ソリアは息を飲んだ。馬を進ませる。

 学院は、しんと静まり返っていた。深夜だからではない。人の気配が一切しないのだ。ソリアは門をくぐると、馬を降りた。空気に、微かな血の臭いが混じっている。


 ソリアは腰の剣を確認すると、そっと学院に近づいた。松明をかざす。学院の正面入り口のガラスが割れている。その先に、血まみれの聖騎士たちが倒れている。ソリアは割れたガラスの間から、学院の中に入った。むせかえる程の死臭が鼻につく。三十人程の死体が、入り口に転がっていた。肌の黒いエルフ族の死体や、魔族と思しき男の死体、馬の死体もある。松明の火に、それぞれの死に顔が照らし出される。


「なんてこと……」


 ソリアは吐き気を堪えて、聖騎士の鎧をつけている死体を照らしながら進んでいった。学院の奥にも、まだ死体は転がっているのか。騎士見習いたちは、無事なのか。リュイはどこにいるのか。


 二階に上がる階段の前で、馬が死んでいた。大勢の者たちに踏みつけられたようだ。無残な死体だった。ソリアは唾を飲んで、階段を上った。首のない死体が、階段の途中に転がっていた。ソリアは死体に近づいていった。見覚えのあるマント、鎧の傷。わなわなと唇が震えるのを感じる。嘘だ、と思いこもうとしても、目の前の光景に変化はない。


 手を伸ばし、マントを剥がした。握っている剣は、確かにリュイの物だ。そして手首より少し下に親愛の腕輪をつけている。もはや、疑いようはなかった。魔族はニノル学院を急襲し、それに気づき駆けつけたリュイは、返り討ちにあった。


 間違いはなかった。

 だが受け入れられるかどうかは別の問題だった。ソリアはリュイの名を呼ぼうとしたが、唇が震えただけだった。首のない死体を、抱きしめる。冷たい。冷たいけれど、間違いなくリュイの身体だ。


 震える唇から、嗚咽が漏れだした。次第に抑えきれなくなり、ソリアはわんわんと泣き出した。松明を立てかけ、リュイの身体を抱く。涙が鎧に落ちる。どうして、どうして……。言葉にはならない。しばらくの間、ソリアは泣き続けた。すべて守ってみせると言ったじゃない。パールボーのように、私を悲しませないと言ったじゃない。恨み言も、どれも声にはならない。泣き声だけが響く。


 ガタン、と二階の奥から物音がした。ソリアはどうにか泣くのを抑えると、リュイの身体を離して立ち上がった。誰か生き残った人がいるのかもしれないが、敵の可能性もある。震える手で涙をぬぐい、松明を手に取った。剣を抜き、階段を上る。


 階段を上り終えた先に、青ざめた顔で亡霊のように立っている少女がいた。血だらけの稽古着、薄い金髪。ソリアは少女のことを知っていた。


「エイリス……。あなたは無事だったのね」


 ソリアはエイリスに近づくと、震える手で少女の頭を撫で、胸に抱いた。エイリスは何も答えない。ソリアは一度エイリスを身体から離した。青い瞳は、虚ろになっている。エイリスの稽古着についた血は、彼女の物ではなかった。エイリスはどこかに隠れていて無事だったのか、とソリアは思った。騎士を目指す者としては恥ずべきことだが、ソリアはそれで良かったと思った。エイリスの身体は細い。この地獄絵図に、少女は耐えきれなかったことだろう。


 ソリアはもう一度、エイリスを強く抱きしめた。エイリスは、なされるままにしている。エイリスの身体は温かい。冷たくなったリュイの身体を思い出して、ソリアはむせび泣いた。

 エイリスは何も答えず、涙も流さなかった。ただ、ソリアに抱きしめられるままにしている。

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