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ユーガリア戦記  作者: さくも
第4章 北海の戦い
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4-27「追え! やつらを敵陣に合流させるな! 仇打ちだ」

 氷上での戦いは膠着を示し、ラーケイルは包囲の姿勢を崩さなかった。もう三日も快晴が続いている。それなのに北海の氷は割れる気配さえ見せない。リュイの部隊が敵陣に突っ込んだ際、塹壕の部分の氷が割れて、巨大な蛸が出現した後だけが、ぽっかりと穴を開けている。

 敵後方へ圧力をかけるソリアの部隊から一千騎が抜けた。ラーケイルは敵後方への圧力に不足を感じていた。敵の後方へもっと兵を回し、その退路と補給路を断つことができれば、後は敵が退却するタイミングで攻め込むだけである。


(リュイ殿も、ソリア殿も、勝手な動きをされることだ)


 聖都ビノワーレに敵の別動隊が迫っているかもしれない、というのが彼らの主張だった。それ自体が憶測でしかない上に、聖都にはシーデルの率いる二千騎がいる。敵の別動隊が数百の規模であれば、シーデルの防衛網を突破してパージュの首を狙うことなどまず不可能だろうし、逆に数千規模の軍隊であれば、シーデルはすぐに氷上に助けを求めるだろう。

 聖都までは全速で駆ければ七日。その間、聖都を守り切ることは難しい任ではないはずだ。シーデルは、かつてラーケイルの下にいた聖騎士である。いくら魔族に恨みがあるからといっても、自分の部隊だけで戦おうとはしないはずだ。その実力をラーケイルは信じている。


 敵が侵入したとしても少数だろう、というのがラーケイルの見立てだった。パージュ地方南部、北海に面した地域にはいくつもの漁港や灯台が立ち並んでいる。もし軍隊が通り抜けるようなことがあれば発見できる。それに、それだけの数の兵が後方を衝いたのならば、氷上への輸送にどこか乱れが生じるはずだが、今のところそういった気配はない。敵が少数であれば、たとえ聖都へ潜り込んだとしてもシーデルが上手く対処するはずだ。


 リュイもソリアも、考えすぎなのだ。目の前に敵がいる。それを殲滅することを考えれば良い。最悪の事態を想定しておくことは必要だが、そのために眼前の敵を放置して良いことにはならない。


(今少し、リュイ殿には補佐が必要なようだな……)


 聖都へ戻ったリュイとソリアは、パージュから叱責を受けることだろう。ラーケイルは、自分の提案で二人が戦線を離れたのだということにするつもりでいた。リュイには、パージュの後継として国を背負ってもらわねばならない。もし今回の件でリュイが失脚するようなことがあれば、聖騎士はまとまりを失うだろう。後継者のいない国ほど、脆いものはない。野心を持つ者が現れないとも言い切れないのだ。


「ラーケイル様、後方から雪煙が」

「何?」


 ラーケイルは振り返った。確かに雪埃が上がっている。しかし、雪埃をあげている正体が何なのか、まったくわからない。


「斥候の報告は?」

「それが、何も見えないと」

「雪煙で隠れているだけではないのか。あるいは白銀の鎧が雪に紛れて姿を隠しているのでは」

「そうではないのです。姿が見えない、と報告を受けております」

「……すると、味方ではないようだな」


 リュイかソリアの部隊が戻ってきたのではない。敵が何らかの奇術を用いているのだろう。


「ラーケイル様、敵陣にも動きが」


 亀のように守りを固めていた敵陣が、動き出していた。馬止の柵を動かしている。その様はまるで翼を広げようとする鳥のようだった。


「まずいな」


 このままでは、敵の後方に回り込んで圧をかけているソリアの部隊が孤立する。いま率いているのは確か、副官のベリルという聖騎士だったはずだ。背後に迫る雪埃の正体も気になるが、眼前の敵の動きの方がよほど不審だ。


「紫色の狼煙を上げろ。それでベリル殿ならわかるはずだ」


 ラーケイルは、敵左翼に攻撃を仕掛けさせた。手薄になった敵右翼を突き破るようにして、ベリルの部隊が飛び出してくる。ラーケイルは本隊を動かし、ベリルの部隊が逃げ出す余裕を作る。ちょうど、敵陣を中心に円を描くような用兵だった。ベリルの部隊に突破された敵右翼に綻びができる。ラーケイルはそこに自ら飛び込むつもりだった。反転したベリルの部隊が今度は後詰になって、敵右翼は崩せるはずだ。

 敵右翼に突っ込んだ。馬止の柵を必死に並べて突撃を防ごうとする帝国軍を蹴散らす。雪飛沫が舞い、剣が太陽の輝きを反射して煌めく。もう一押し。ベリルが戻ってくれば、崩しきれる。


 しかし、ベリルの部隊は反転してこなかった。


「一度退くぞ!」


 ラーケイルは先頭に立って剣を振るい、馬を旋回させた。敵の抵抗が激しい。


「敵に構うな。邪魔な者だけ斬り伏せて敵陣を抜けろ!」


 敵を崩す機会だったのに、続いてこなかったベリル。あと一押しで崩せそうだったのに、息を吹き返したように抵抗が激しくなった敵。ラーケイルは何が起きているのか咄嗟に理解ができなかった。敵陣を抜ける。何百騎か失ったようだ。敵陣に背を向け、ようやくラーケイルは何が起きているのかを理解した。


 後方に現れた雪埃に、ベリルは突っ込んでいったようだ。雪埃、姿の見えない敵。視界の先に目を凝らす。ベリルを追うように軍を動かす。


 首が、宙に浮いている。それが槍の穂先に突き刺されたリュイの頭だということにラーケイルは気が付いた。雪の中に、敵の姿が浮かび上がる。先頭を走る漆黒の騎士と、その後ろに続くそりと、牽引する馬やトナカイの群れ。敵兵の数は百に満たないだろう。だが、リュイの頭を掲げている。


「まさか……」


 ラーケイルは一瞬、何が起きているのか理解できずに呆然とリュイの首を眺めていた。次第に、わなわなと唇が震える。拳を固く握りしめる。ラーケイルの身体中から殺気が漏れ出した。


「追え! やつらを敵陣に合流させるな! リュイ殿の仇打ちだ。必ずやつらを殲滅し、リュイ殿の首を取り戻せ!」


 パージュは大丈夫なのか。聖都が落ちたのか。ソリアはどうしている。シーデルは何をしていた! そしてリュイは……死んだのか。本当にやつらは聖都を落としたのか。そして、あの漆黒の騎士こそが、背徳の騎士ルイドか。

 さまざまな思いがラーケイルの中で入り混じった。眼前に掲げられたリュイの首。ソリアが倒したはずの背徳の騎士。雪塵が上がり、冬の陽光に煌めく。ルイドが剣を抜いた。その表情は遠くて識別ができないのに、ラーケイルには彼が笑っているように思えた。


 ベリルの率いる八千騎が、ルイドの百人余りの部隊に向かう。いくら背徳の騎士と言えど防ぎきれるはずがない。もし討ち漏らしたとしても、ラーケイルの部隊が間に合う。絶対に、やつらを生きては返さない。後ろから敵の本陣が追ってくる。ラーケイルは怒りに身を任せている自分に気が付いた。ルイドだけは生かして帰すわけにはいかない。


 その時だった。


「氷の下に眠る魔神よ。どうか力を貸して……」


 戦場に似合わぬ少女の声がした。

 地が動く。馬の揺れなど比較にならない程の揺れだった。視界の先が赤く明滅する。地上に太陽ができたかのような輝き。そして猛烈な風が吹いた。ラーケイルは腕で顔を覆い、暴れる馬を何とかあやした。


「ラーケイル様、あれを!」


 巨大な蛸が、氷の上に頭を出していた。赤い入道蛸が陽光を遮る。ベリルの部隊の中央に、三体もの大蛸の化け物が出現していた。


「退避、退避ーっ!」


 ルイドにぶつかろうとしていたベリルの部隊が、急遽として方向を変えた。大蛸は触腕を振るう。騎士と馬が宙を飛び、氷の上に叩きつけられる。ベリルたちは投げ出された者たちを救助をしながら大蛸から離れてゆく。


「くっ……」


 ラーケイルは歯噛みした。その判断は正しい。大蛸の出現はあまりにタイミングが良かった。敵が氷を割って出現させたと考えた方が良い。だとすれば、深追いすればより死傷者を出すことになる。突撃の勢いが殺されてしまったのも、痛い。ルイドたちはベリルたちの部隊の攻撃を受けることなく、敵陣に向けて一直線に駆け抜けてゆく。その中には、槍の穂先にリュイの首を掲げた兵がいる。


 逡巡することを、ラーケイルはやめた。


「ひるむな! 突撃ーっ!」


 ラーケイルは叫ぶように言うと、馬を駆けさせた。咄嗟の指示に、伝達が間に合わない。ラーケイルに続いて迅速に駆けだしたのは一千騎程である。残りの者たちがラーケイルに気が付き馬を出そうとしたとき、その足元に矢が突き刺さった。青空を覆い隠すほどの矢雨が、聖騎士たちの頭上に降り注ぐ。帝国軍の本隊だった。どこに隠し持っていたのだ、と思えるほどの矢雨。

 ラーケイルはついてこられている騎士が少数であることを理解しながらも、ルイドへ向かって馬を駆けさせ続けた。


(こうなったら、おれの手で……!)


 ラーケイルは既に冷静さを失っている自分に気が付いた。国の未来を託そうとしていた若い聖騎士の死は、思った以上に響いている。頭がぼんやりしている。視界がぶれる。氷の上を疾駆する。風が冷たい。黒騎士の姿が、目に入る。その後ろでそりを操っているのはダークエルフと魔族の混成軍のようだ。先頭を走るルイド以外は、そりを馬かトナカイに曳かせている。


 眩しさを感じて、ラーケイルは反射的に身体を逸らした。頭に衝撃が走る。矢が、兜に当たったようだ。剣を持ったまま、ずれた兜を直す。そりの上で弓を構えたダークエルフがいる。信じられないほどの腕前だ。まだずいぶんな距離がある。精霊の力というやつか。


「弓矢が来るぞ!」


 ラーケイルは後ろを振り向いて言った。その直後、またしても兜に矢がかする。


 ルイドたちは全速で馬とトナカイを駆けさせている。そのまま敵陣に逃げ込むつもりのようだ。ラーケイルは目算する。ぶつかれるのは、一度きりだ。反転して次の突撃を仕掛ける前に、ルイドたちは敵陣の中へ逃げきってしまうだろう。敵陣には馬止の柵もある。無策で突っ込むのはあまりに分が悪い。


 ラーケイルは剣を掲げ、雄叫びを上げた。付き従う聖騎士たちも、声を張り上げる。その様は騎士というよりも、怒りに我を忘れた獣と表現した方が、正しかった。

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