4-26「ほう。出迎える準備を整えてくれていたようだな」
戦いの準備は、一刻というところだった。正面以外の入り口という入り口に、机や椅子を重ねてバリケードを作り、窓にはボウガンを持った下級生を配置した。敵の侵入口を正面に限定する。入って来たところを、二階からボウガンを撃ち込んで先制し、ディシュワードの率いる上級生の部隊が階段で敵を食い止める。ディシュワードが作戦を立て、皆がそれに従った。
戦いの準備が整うと、驚くほどの静けさがニノル学院を支配した。誰も不要なしゃべり声をあげない。初めての実戦で、誰もが緊張している。
二つ名の聖騎士ならどうするだろうか、とディシュワードは考えた。リュイがいる、ソリアがいる。悔しいが、それだけで率いられている者たちは安堵する。ディシュワードは、自分にその力がないことを認めた。
ぎり、と歯がみをする。自分の力のなさが情けない。
奇妙な静けさが続いた。
正面入り口の外側、ガラスの向こうの一面の白景色に、騎影が浮かんだ。最初、ディシュワードはそれがリュイの姿だと思った。だが、次第にその影が純黒の鎧だと気が付く。リュイの聖騎士の鎧は、白銀だったはずだ。
雪の中に違和感がある。そこに何も見えないのに、見えないだけで何かがいる。その違和感は次第に形を作り出した。黒い肌、雪の中だというのに驚くほどの軽装。ダークエルフだ。漆黒の騎士の後ろに、ダークエルフたちがいる。さらに屈強な体格の男たちが続く。魔族だ、というのはディシュワードにもわかった。
黒い鎧の騎士が、ガラス戸を割った。吹雪が学院の中に飛び込んでくる。ディシュワードは手を上げた。ボウガン隊が武器を構えた。
「ほう。出迎える準備を整えてくれていたようだな」
黒騎士が、中に入って来た。その瞬間、ディシュワードは射撃の指示を出した。だが、矢は飛ばない。ボウガン隊は武器を構えたまま震えているようだ。
「くそっ!」
ディシュワードはボウガンを構えたまま硬直する下級生から武器を取り上げると、漆黒の騎士に向かって矢を放った。空気を割く音。狙いはたがわずに騎士の頭に矢は飛んでゆく。間に矢を挟んで、騎士と目が合った。
何が起きたのか、ディシュワードは瞬時に理解ができなかった。剣を抜いた黒騎士が立っている。矢を斬ったのか。
「撃て! 撃つんだ!」
ディシュワードは叫んだ。次の矢を装填する。射かける。他の騎士見習いたちも続いた。二百本もの矢がいっせいに、魔族たちに向かって放たれる。しかし、たったの一人も倒すことは叶わなかった。敵の周囲を取り囲むように矢が刺さっている。ダークエルフたちが何かをしたのだろう。敵の部隊に当たらないように、矢が逸れたとしか思えなかった。
ディシュワードは手が震えているのがわかった。黒い騎士はにやりと笑う。怖い、とディシュワードは思った。どうしようもない圧倒的な力の差がある。
黒騎士が階段を上ってくる。恐怖そのものだと、ディシュワードは思った。
「どうした、もう終わりか」
ディシュワードはごくり、と唾を飲んだ。黒騎士はディシュワードを見ている。ディシュワードは黒騎士を見返すのが精一杯だった。声を出す余裕はない。殺される、と漠然と思った。どこか他人ごとにさえ思える。行き過ぎた恐怖は感覚さえも麻痺させてしまうということを、ディシュワードは初めて知った。
自分が何をどうしようと、この後に起きることを変えることはできないだろう。そういう諦めに心が支配されている。
馬の嘶きが響き、入り口のガラスが割れた。白銀の鎧を煌めかせ、学院の中に飛び込んできたのは統率の聖騎士リュイである。
「間に合ったか……!」
リュイは馬上で剣を抜くと、階段を上る黒騎士に目掛けて一直線に突っ込んだ。ディシュワードはこんなに必死なリュイの姿を、初めて見た。恥も外聞もない。疲労を押し隠しているのが伝わる。馬も、もう限界が近いようだ。血走った瞳。魔族の兵がリュイを遮ろうとする。リュイは一刀で立ちふさがった魔族を斬り捨てた。
キィーン、と高い音が響いた。階段を駆け上ったリュイが、黒騎士に斬りかかったのだ。黒騎士はそれを剣で受けている。つばぜり合い。リュイの馬が体勢を崩す。黒騎士は剣を引くと、リュイの胴を狙って剣を薙いだ。リュイは一瞬も迷わずに、馬から落ちた。
階段を転がり、リュイは立ち上がる。ディシュワードはほっとしている自分に気が付いた。リュイの馬は階段を落ちてゆき、動かなくなった。
「良い判断だ。名を聞いておこうか」
黒騎士が言った。
「リュイという」
「ほう、統率の聖騎士か」
黒騎士は「首級が転がってくるとはな。おれは運がいい」と言った。二階にいるディシュワードには黒騎士の表情は見えなかったが、笑っているのだろうということは想像がついた。
「そういう貴様は……背徳の騎士ルイドか」
ルイドは答えなかった。入り口から、騎士がさらに飛び込んできた。全員が白銀の鎧を身に着けている。
(聖騎士だ、助かった)
ディシュワードは安堵した。呼吸を整える。眼下では聖騎士たちと魔族が戦闘を開始している。剣と剣がぶつかり合い、火花が散る。ディシュワードはボウガンを再度構えた。
階段では、リュイとルイドが剣を打ち合っている。十合を数え、リュイが押され始めた。疲労の色が強い。対してルイドはまだ余裕がある。
「剣筋は悪くない……。だが、若いな」
ルイドが言った。リュイが階段を踏み外す。そのすきをルイドは見逃さない――。
ディシュワードは矢を放った。ルイドが振り返る。リュイに向けていた剣で、ボウガンの矢を弾く。ぞわっと寒気がする程の威圧感が、ルイドから漏れだした。
「逃げろっ!」
リュイがディシュワードに叫ぶように言い、ルイドに打ちかかった。ルイドはその斬撃を躱した。力の行き場を失ったリュイが倒れる。その腹を、ルイドは蹴飛ばした。
「ごふっ……」
リュイが階段を転げ落ちる。五段ほど落ちて、よろめきながら立ち上がろうとする。ルイドはゆっくりとリュイに近づいてゆく。
「逃げろ……!」
再度、リュイがディシュワードに向かってそう言った。ルイドが剣を振るう。リュイの首が飛んだ。
聖騎士たちと魔族の戦いも、終わりを迎えていることにディシュワードは気が付いた。ニノル学院の正面入り口は、血で染まっている。突入してきた聖騎士たちは、地に伏したきり動かなくなっている。
騎士見習いの誰かが、悲鳴を上げて学院の奥に逃げてゆく。恐怖は伝染する。ボウガンを構えていた者も、剣を構えて立ち向かおうとしていた者も、泣きわめきながら学院の中へ中へ逃げてゆく。ディシュワードも、震えながら奥へ逃げようとした。聖騎士たちでも敵わなかったのに、騎士見習いが勝てるはずがない。
逃げる。逃げる。背後から圧が迫る。ディシュワードは必死に走っているはずなのに、すぐ背後に気配を感じた。ダークエルフだ。背筋が凍る。走る。背後の気配はぴたりとついてくる。
「すまない……。この犠牲を、おれたちは決して忘れない」
耳元でダークエルフが言った。ディシュワードは背中に何かが突き刺さったのを感じた。走る。逃げる。足を動かしているはずなのに、身体が倒れてゆく。視界の先に、血の付いた短剣を握るダークエルフの姿が滲む。追われ、追い付かれ、倒れる騎士見習いたち。やめろ、と声を出そうとしているのに、声は出ない。意識が遠くなる。喉の奥から血があふれ出す。力が入らない。
(エイリス……)
ディシュワードは妹のことを考えていた。視界がぼやけ、瞼が落ちた。