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ユーガリア戦記  作者: さくも
第4章 北海の戦い
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4-21「聖都で待つパージュ様に、吉報を持ち帰るわよ!」

 思った以上に、堅陣だった。物資の補給がままならない氷上での戦いとは思えないほどに、柵や櫓といった道具を、帝国軍は惜しみなく配置してゆく。さらに雪を利用して、簡単には攻め込めない地形に作り替えているようだ。


 パージュ大公軍は、三軍に分かれた。補給線を断ちにきているように、敵には見えるだろう。雪で視界が遮られれば、敵はより広範囲を守らなければならなくなる。隙が生まれるはずだった。リュイの言葉で言えば、氷上での攻城戦である。ソリアは、帝国軍が氷上で陣を組んだ理由を考えた。

 睨み合いになっては、不利なのは帝国軍である。魔族にも、それは分かっているはずだった。だが、攻めるに攻められない。かといって、ろくに戦わないまま引き下がるわけにもいかない。だから、不利な地形を何とか有利に転じさせようと、防御の姿勢を取っているのだろう。


「勝てる。今度こそ、勝てる」


 ソリアは自分に言い聞かせるように呟いた。リュイから攻撃開始の指示が来たのは、大雪が二日続いてからだった。空と大地が、真っ白に染め上げられている。ラーケイルの部隊が正面から陽動を仕掛け、リュイとソリアが側面から攻撃する。敵が警戒しているであろう後方は、あえて攻めない。


 雪は、靴を覆い隠しても余るほどに積もっていた。この雪が味方してくれる。ソリアはそう信じた。


 軍を進ませる。既にラーケイルの部隊が攻撃を仕掛けているはずだ。雪のせいで、少し離れた戦場の音さえ、掻き消えてしまう。戦の騒音はまだ聞こえてこない。裏を返せば、ソリアたちの進軍にもまだ、敵は気づいていないはずだ。


 さらに近づいた。しんしんと降り積もる雪の先で、微かな金属音がする。馬の嘶き、何かが雪に落ちる音、風を切る矢の音、何かを叫んでいる誰かの声。微かに聞こえるだけだ。幻と言われても納得してしまうほどに、微かに。積雪が、音を奪い去ってしまう。


 ソリアは静かに剣を抜いた。振り返る。副官のベリルも、頷いて剣を抜いた。ベリルには、今回はランス部隊の指揮を任せていない。


「第一部隊は投げ槍を。攻撃後に旋回し、道を開きなさい。旋回後は第二部隊の援護に。第二部隊は馬防柵を破壊。第三、第四部隊のランスで、敵陣に風穴を開けて。ベリルが指揮じゃないからって手を抜くんじゃないわよ。第五部隊、私たちが敵本陣を急襲する。すでに、リュイとラーケイルは戦闘に入っているはずよ。防備は薄くなっているかもしれないけれど、油断はしないこと。敵は時間をかけて氷の上に砦を築いたような物よ。――いい? これは、異民族との戦いとは違う。自分たちと同じか、それ以上の力を持っている敵が築き上げた砦を、攻めるのよ。気を引き締めなさい」


 ソリアは声を張り上げたつもりだったが、雪にかき消されて、そう多くの兵には声が届いていない。兵を鼓舞するにも、作戦を再確認するにも、大雪のせいで響かない。


「我々は聖騎士である。いつ、いかなる時も騎士としての誇りを忘れず」


 ソリアは、聖騎士の誓いを口にした。やはり、雪に声は掻き消えてしまう。遠くまで、響かない。


「――弱きを助け」


 ベリルが続きを声に出した。周囲の兵が、口々に誓いの言葉を言う。声が反響しあうように、それは後続にまで。それを聞いた兵が、またそれを声に出す。木霊のように遠くまで、響いてゆく。


「いつ、いかなる時にも王国を護る盾であり」

「敵を打ち砕く剣であり続ける」


 ソリアは、指揮下の兵が一体化したように感じた。一人が口に出しただけでは雪に掻き消されてしまう言葉を、聞いた者がまた口にする。それで、徐々に徐々に遠くまで響き渡ってゆく。全員の胸の内にある言葉が、それを可能にした。


「第一部隊から、順に出撃!」


 剣を掲げ、振り下ろした。ここから先は、攻撃順に沿って部隊を展開する。それが、ソリアのやり方だった。


 馬が地を蹴り、騎士たちが進んでゆく。雪の中で、次第に先頭は見えなくなった。


「ソリア様、我々もゆきましょう」


 ベリルが寄ってきて、言った。ソリアは頷いた。


「聖都で待つパージュ様に、吉報を持ち帰るわよ!」


 声は、やはり響かない。だが内に燃える物を吐き出すための言葉だ、とソリアは思った。馬を出す。第五部隊の中軍に、ソリアはついた。第五部隊は、二千の兵で構成されている。そのうち、ソリアが直接指揮を執るのは二百騎だけだ。残りの千八百騎は、ベリルが指揮を執る。進軍の合図や、タイミングを掴むのは、ベリルがやるだろう。ソリアの率いる二百騎は、ルイドの首を取ることだけを考えればいい。


 ソリアは、敵の右翼から中央を目指す。狙うは『背徳の騎士』ルイドの首である。

 敵陣が、見えてきた。


      ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


 ダントンは、片時も離れずにエリザのそばについていた。ルイドは兵たちの指導や指揮でエリザのそばを離れることもあったはずだが、ダントンにそこまではできない。エリザのそばをじっと守るルイドの姿を演じ切るしかなかった。言葉を発しない、ということにも慣れた。ルイドに話しかけてくる者は陣の中にほとんどいなかったので、何も不便はなかった。もし話しかけられても、無視してしまえばいい、とサーメットには言われていた。ルイド将軍は、そういうところがあるから、誰も心配しないだろう。


 確かに、陣の中にいても誰にも話しかけられない。千人長クラスの指揮官たちは、ルイドが入れ替わっていることを知っているし、それより階級が低い者たちはルイドのことを怖がって、遠巻きに見るだけだ。

 指揮権がサーメットに移行したことに関しても、ルイドがそうさせたのなら、意味があるだろうくらいに思われている。本物のルイドが兵たちに信頼されているのか、それともただ畏れられているのか、ダントンには判断がつかなかった。


 対して、エリザは誰とでも気軽に会話をした。焚火を囲む兵たちに交じって談笑することもある。ダントンは、ルイドと入れ替わってからその様子をつぶさに見てきた。日々にささやかな楽しみを見出そうとする少女としての顔、そして――


「私が行くわ」


 ――戦闘が始まってからの、指導者としての顔。


 崩されかけている左翼の救援に、エリザは自ら向かうと言った。ダントンは覚悟を決めた少女の顔を、しっかりと見た。


 左翼は、かなり押されていた。何とか踏ん張っているという形に見える。騎士たちの突撃は、部分部分で成功を収めていたが、完全に破られたわけではなかった。馬止の柵のほとんどは倒され、塹壕からは煙が上がっていた。鼻をもぎとるような瘴気が、漂っている。塹壕の中では、焼死した死体が埋もれているはずだ。

 帝国軍は、その奥でまとまって盾を重ね、槍を突き出し、弓矢と火炎の弾で応戦している。


「ひどい臭い」


 エリザが、顔をしかめて言った。


 騎士たちは、がむしゃらに攻撃してくるわけではなかった。突撃しては、退き、また突撃してくる。塹壕から上がる煙と、雪のせいで、敵がいったいどれだけの規模で攻めてきているのか、ダントンにはわからなかった。


 エリザとダントンの姿に気づいた将兵が、息を吹き返したようだった。指揮官の一人に、エリザは近づいた。


「エリザ様、危険です。お下がりを」

「下がるつもりなら、ここにきていないわ。敵の突撃を、喰いとめる。火を集めてちょうだい。火の精霊は、ありったけ私が支配下におく。邪魔をしないように、精霊術師たちに伝えて」


 エリザのそばにかがり火が集められた。敵の突撃はやまない。布陣を一撃で崩すような攻撃の仕方ではなかった。斜線上に移動しつつ攻撃し、そのまま煙と雪の中に消えてゆく。一撃離脱の戦法である。それに、帝国軍は必死に耐えているという格好だった。前衛の兵が倒れる。防備が薄くなってゆく。敵は塹壕の中から上がる煙と雪の中に消えてゆく。氷の上に、血が飛び散っている。


「氷の表面だけを溶かすわ……。騎士たちを転ばせる。そこから先は、お願い」


 ダントンは、そんなことが可能なのかと思った。エリザの周りに集められたかがり火に集まっている精霊など、たかが知れている。それを、熱量を調節して、氷の表面だけを溶かすというのだ。並みの精霊術師にできることではない。


 エリザの周囲を火の精霊が舞う。薄い衣を何重にも纏っているようだった。ダントンは一瞬、戦場であることも忘れてエリザに見入ってしまった。音が、消える。そこだけが、別の切り取られた空間のように現実味がない。これまで見てきたエリザの姿が、いずれも嘘だったかのようだ。遠い。こんなに近くにいるのに、あまりにエリザが遠い。ダントンはそう思った。


 地を揺るがすほどの激しい揺れで、ダントンは現実に引き戻された。


 戦場の先を見る。騎士が、転げ落ちていた。それも一人ではない。地を埋め尽くす程に、馬が倒れ、騎士が投げ出されている。転んだ前の馬に引っかかるようにして、新たな騎馬がぶつかる。立ち上がろうとする騎士の上を踏みつけるようにして、後続の騎馬隊が駆けてくる。氷の大地は、まだ揺れている。


「弓兵隊、射かけろ!」


 指揮官が命じる。矢の嵐が騎士たちの頭上に降り注ぐ。


 地面の揺れが、強くなる。騎士たちが転倒したからではない、とダントンは気づいた。それだけでこんなに揺れるはずがない。


 信じられないような光景だった。騎士たちが、薙ぎ払われている。ダントンは、目を疑った。多数の吸盤のついた触腕が、騎士たちを薙ぎ払う。馬の身体よりも太い触腕だ。吸盤の一つが、騎士の身体を包む程に大きい。

 その上に矢が降り注いだ。触腕は大きくうねり、氷を叩きつけた。地面が、揺れる。馬から振り落とされないよう、ダントンは手綱を握りしめた。


 ダントンは背筋が凍った。もくもくと煙を吐き続ける塹壕の中から、巨大な紺碧の瞳が覗いている。

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