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ユーガリア戦記  作者: さくも
第4章 北海の戦い
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4-20「敵が来るわ。氷が揺れてる。精霊がざわめいている」

 サーメットは慎重に慎重を重ねるようにして堅陣を敷いた。柵を立て、雪を重ねて壁を作り、その後ろを塹壕のようにして兵を忍ばせた。物見櫓を組み立て、敵の動きも逐一報告をさせている。


「次の攻撃を凌げるかどうかだ。それで、敵の動きが変わってくる」


 ルイドが言ったその言葉を、サーメットは重く受け止めていた。出来る準備はすべてする。障害物のない氷の上で、敵が攻めにくい地形を作り出す。

 敵がいつまでも待ってくれないことは、火を見るより明らかだった。むしろ、これだけの準備を整える中でも攻めてこないのが、不思議なほどだった。サーメットは設置した障害物の確認を、自分の眼で必ず行って回っていた。自分の眼で見る。そこが攻撃された場合のことを考える。イメージすることで、より具体的な防衛案に昇華できることがあるのだ。


(雪が降るのを、待っているのか……)


 先の戦いで、帝国軍が北方での戦いに不慣れであることは見抜かれている。それを利用しようとしてくるのは、当然のことに思える。不気味な時間だった。攻撃しようと思えば、攻撃できる位置に敵はいる。

 まるで、氷の上で籠城しているようだとサーメットは思った。敵の狙いも、おそらくそこにある。そして、寒さに慣れている聖騎士たちとは違い、帝国軍のほとんどが、この寒さに長期間は耐えられないだろう。


 敵が攻めてこない理由が、サーメットにはぼんやりとわかっていた。様子を見ているのだ。敵は、まだこちらの戦力を把握しきれていない。次に本格的に攻めてくるときに、それを見抜こうとするだろう。そして、もし恐れるに足らぬと判断されれば、積極的に攻めてくるようになる。そうなってしまえば、氷の上に二万の将兵の墓標を築くことになりかねない。ルイドが次の攻撃を凌げるかどうかだと言ったのも、おそらくそういう意味だろう。


 帝国軍二万。数の上で言えば、聖騎士の三万の軍勢と戦えそうである。だが、実態はかけ離れていた。軍として機能し、異民族バルートイとの戦いを繰り返してきたパージュ大公軍と比べて、帝国軍の半数近くはあまりに貧弱な兵たちだ。こないだまで武器を持ったことのなかった者さえ混じっている。魔族の軍勢であり、ほとんどの者が精霊術を行使するかもしれない、と相手が思っていてくれているからこそ、成立する対峙なのである。


(それも、指揮がルイド将軍ではなく、敗戦続きの男ときた……)


 サーメットは自嘲する気持ちを、何とか抑えた。兵たちに自信のない仕草を見られるわけにはいかない。


「大丈夫よ、自信を持って」


 いつの間にか、そばに寄ってきていたエリザが言った。エリザは、陣の中を一人用のそりで移動をしている。トナカイの扱いには、もう慣れたようだ。そのそばで、ルイドに扮したダントンが馬に跨っている。

 ルイドは、サーメットに指示を出すとダントンに入れ替わった。本物のルイドは、指示を出すだけ出して、もう最近は陣の中で見かけない。いついなくなったのか、味方にも知られないようにしているようだ。


「これはエリザ様……。恥ずかしい限りです、顔に出ていましたか」

「精霊がね、心配そうにあなたを囲んでいたの。だから、励ましてあげようと思って」


 サーメットは、情けない気持ちになった。精霊にまで心配されていたこともそうだが、幼い少女に励まされている自分が、ひどく情けなく感じたのだ。


「ありがとうございます。おかげで、元気が出ました」


 エリザは、そう、良かったわ、と微笑んだ。その様があまりに大人びていて、サーメットは黙って頭を下げた。


 雪がいつ降り出すのかサーメットにはわからなかった。急に雪雲が集まってくることもある。物は試しと、エリザに風を操って雪を呼ぶことはできないかと訊いてみた。たぶん、できると思う、というのがエリザの答えだった。


「でも、もしそれだけの力を一気に使ったら、私は倒れてしまうと思う。必要ならばやるけれど」


 やってほしい、とはサーメットには言えなかった。雪が降れば、おそらく敵がやってくる。だが、雪が降れば確実に攻めてくるわけではあるまい。そして、戦闘になってもエリザの力に頼れないということになる。


 最初の戦いから、五日が経った。防衛線の構築は、ある程度完成している。五日で作ったにしては、良い出来だ。物見櫓から、敵が三方向に分離したと、報告が入った。こちらを包囲するつもりではないか、とサーメットは思った。引き続き、敵の動きをよく見るように物見の兵に伝え、輜重隊の動きをより慎重にした。後方を衝かれるような事態は、避けねばならない。敵は、三つに分かれただけで、動かないという。


 七日目に、視界を遮る程の雪が降った。兵の三分の一に臨戦態勢で備えさせたが、敵襲はなかった。八日目も、同じだった。

 サーメットは敵が来た際の動きを兵たちに訓練させていた。いつ敵が来ても大丈夫だ、と言い切れるように用意をしている。張り詰めた緊張の中で、驚くほどに睡魔は襲ってこなかった。


 翌日の昼になって、サーメットはようやく仮眠をとることにした。雪は、降り続いている。だが、いつ来るのかわからぬ敵の為に精神をすり減らし続けるのは、いざ敵が来たときの判断を鈍らせてしまうだろう、と思った。言い訳のようでもあった。


 眠りは、浅かった。浅かったはずだ。


「サーメット、サーメット……」


 名前を呼ばれて身体を揺さぶられている。それに気が付いて、サーメットは上体を起こした。サーメットを起こしたのは、エリザだった。


「サーメット、敵が来るわ。氷が揺れてる。精霊がざわめいている。地が暴れているみたいに、空気が震えている」

「わかるのですか」


 エリザは頷いた。サーメットは飛び起きると、鎧をつけて幕舎を出た。雪は、強くなっていた。一歩踏み出すと、靴がずっぽりと埋まる。視界も十分に確保ができない。まだ陽はあるようだ。陣のあちこちで、炎を囲って兵たちが休んでいる。


「エリザ様、どちらから敵が来るか、わかりますか」

「ごめんなさい、わからない。氷の地面が波打つように大きく震えている。一方向じゃないわ」


 サーメットは頷くと、大声で指示を飛ばした。物見の兵たちの報告よりも、今はエリザを信じるべきだった。


「敵襲に備えろ! 寝ている者がいたら、叩き起こせ!」


 サーメットの指示を、各隊長たちが反復する。陣営の中で指示がこだまする。程なくして、陣の中は慌ただしくなってゆく。サーメットは馬に乗った。


「エリザ様は、ここでお待ちを」


 そりに乗ってサーメットについてこようとするエリザを押しとどめる。ダントンは、無言のままエリザのそばにいる。ルイドに変装するようになって、彼はしゃべらないということを覚えたようだ。


「サーメット、私も戦うわ。どうすればいいのかは、わかっているつもりよ」


「では、私とともに来てください。全体の指揮に当たります」


 言って、サーメットは馬を出した。後ろから、そりに乗ったエリザがついてくる。


 最初は、正面からの突撃だった。陽動だと、サーメットは見抜いた。だが、だからといって無視できるわけではなかった。兵を集め、弓矢の雨を降らせた。聖騎士の鎧は堅く、盾は大きい。馬にまで鎧をつけている物だから、ほとんど落とすことができない。馬止の柵が、破られる。その先には塹壕を作ってある。通り過ぎようとする馬の腹を、塹壕の中に隠れた兵たちが槍で突き刺す。


 この戦法は、思った以上に戦果を上げたようだ。正面の敵が、勢いをなくした。兵力を集中して撃破したい欲求を、サーメットは何とか抑えた。


 サーメットは入って来た情報を整理しつつ、指示を出していった。円陣の中央である。どこから圧力を受けているのかわかれば、対応ができる。雪のせいで、戦場のすべてを確認することはできない。狼煙と、兵たちが口々に反復して叫ぶ現場の指揮官たちの声から状況を判断するだけだ。それは、敵にも言えるだろう。彼らは緻密な連携を取ることはできないはずだ。


「持ち場を離れさせるな。まだ来るぞ」


 敵は三部隊に分かれたという。サーメットが一番恐れているのは、食糧を燃やされることだった。氷の上で糧食を失えば、死を待つ他になくなる。雪が降りだしてから、輜重隊の動きを制限し、食料は陣の中に点在する形にさせた。円を組んだ堅陣である。後は突破さえされなければ、耐えきれる。


 サーメットの予想通り、攻撃が続いた。左翼が攻められている。押されているようだ。新手か。同じように塹壕の中から槍で馬の腹を突く戦法が、上手くいくだろうか。


 黒い煙が、上がっている。サーメットは、雪の中に微かな焦げ臭さを感じた。


「油を、流され、松明を放り込まれました。塹壕の中から火だるまになった兵たちが……」


 伝令の報告にサーメットは唇を噛んだ。塹壕を利用してくることを読んでいた指揮官が、敵にいる。人の背丈を丸々隠せるほどの深い溝だ。その中で火をつけられたら、這い上がることもできないだろう。


「予備兵の半数を出せ。中央の守りは薄くなっても構わん」


 サーメットは大声で指示を出した。敵は三部隊に分かれた。これが二部隊目の攻撃だとしたら、もう一撃来る。あるいは、左翼に二つの部隊を集中させて崩しにくるつもりかもしれない。油断はできないが、指揮の為に、陣の中央を離れるわけにもいかない。


「私が行くわ」


 エリザが言った。サーメットが答えるより先に、エリザはそりを出していた。ダントンが付き従う。


()()()()()、エリザ様を頼みます」


 サーメットの言葉に、漆黒の騎士は黙ったまま頷いた。

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