2-2「誰も傷つかない世界の為に、誰かを傷つけるのね」
「それで、どこに向かっているの?」
「ダークエルフの森へ。魔都クシャイズからわずか五日の距離で反乱がおきております。そこで身を潜めます。そのうちに私の部下が兵を集めるでしょう」
「戦争を、するの?」
「誰も傷つかない世を作りたい、エリザ様の望みがそうであるなら、それが最も近い道となりえましょう。人間族に恨みを持つ者も多い。そういった者を束ね、国を興し、脅威を取り除くのです。世を制する力がなければ世直しなどと唱えたところで、ただ消えてゆくだけです」
「だけど、そのために誰かが傷つく」
「一を殺して十が助かるのならば一を殺す。それが王道というものです。世を変えるためには必要な犠牲もあるでしょう」
「誰も傷つかない世界の為に、誰かを傷つけるのね」
「そうです」
エリザは完全に納得したわけではなかったが、ルイドが嘘を言っているわけではないことだけは分かった。
ルイドと二人で馬に乗った。ルイドは眠るとき以外は、鎖帷子の上に純黒の鎧を着こんでいた。エリザはその鎧の色を、夜の闇よりも深い漆黒だ、と思っている。
ルイドの馬術は見事なものだった。ルイドは街道を避けて道なき道を選んだが、馬はそれに応え、着実に進んでいった。
途中で何度かモンスターに遭遇したが、ルイドの敵ではなかった。「エリザ様、少々こちらでお待ちを」と言って自分だけ馬から降りると、半刻もしないうちに戻ってきて、また馬を走らせる。一度だけ、エリザは馬を降りてそっとルイドについていった。山の中の小川で、ルイドは巨大な鋏を持った蟹と対峙していた。
閃光が走った。エリザには、ルイドが剣を抜いた瞬間を見ることさえできなかった。青い血を流して、巨大な蟹は倒れた。衝撃で山が揺れた。すさまじいの一言だった。本人は竜も殺したことがあると言っていたが、本当かもしれない。
絶対におれのそばを離れるなよ。エリザはアルフォンに昔言われたことを思い出した。もう何年か前になるが、一度だけエリザはスラム=ルイドを出たことがある。そのころはまだアルフォンもラッセルも盗みを働いていなかった。スラムにさえ家を持てず、孤児たちが集まって毎日をしのぐように暮らしていただけだった。
そんな折、ミンが高熱を出した。日頃の無理がたたったのは間違いなかった。孤児たちには医者を呼ぶ金も、薬を買う金もなかった。エリザは弱って死にかけているミンに水を飲ませてやることしかできなかった。人づてに、薬草の情報が入ってきた。アルフォンとラッセルは薬草を採りにスラムを出た。エリザはついてゆくといって聞かず、無理にアルフォンについていった。
「町の外にはモンスターが出る。だから絶対におれのそばを離れるなよ。エリザみたいな子なんて、一飲みで食われちまうんだからな」
街道沿いの道でモンスターが出ることは稀だが、それでも人里を離れれば当たり前に生息している。
山の中で、薬草を見つけてスラムに戻るまで、二日かかった。その間、エリザは外の世界がいかに恐ろしいか、そしてスラムとはいえ、人の営む空間で自分がいかに護られているかを強く知った。木々の間からじっと見つめてくる凶暴な目をした猛獣、空を飛ぶ長い嘴を持った巨大な鳥、人の頭ほどもある蚊や蝶、植物に擬態して人を丸ごと飲み込んでしまうというしおれかけた茎。アルフォンは外に出ている間、ずっと真剣な表情をしていた。夜も警戒を怠らなかった。
ルイドは、アルフォンとまったく違う。夜は葡萄酒を飲んで警戒などしていないように眠るし、街道からむしろ離れた獣道を進む。
アルフォン……。アルフォンは生きているのだろうか。
もしあの日、ミンたちとともにあの場にいたのなら、死んでしまったに違いないとエリザは思った。ヴィラのように兵士に飛び掛かって殺されてしまったのか、それとも、ルイドが言っていた爆発で……。
もしそうなら、私が殺したのだ。エリザは心がずんと重くなるのを感じた。
この手は汚れてしまった。それも友を死にやった者たちの血だけでなく、一緒に暮らしていた人たちの血まで被っている。
エリザは罪悪感を紛らわすように、精霊を扱うことに注力した。ルイドの背にしがみついているときも、風の精霊に呼びかけ、追い風を起こす練習をした。
「街道を避けたのでもう少しかかるかと思いましたが、この分なら明日には着くでしょう」
陽が陰り始めるとルイドは火を起こしてキャンプを作り始める。それが終わると湯を沸かし、荷から乾いた葉を出して湯につける。ほのかに色が付いたその飲み物を、ルイドは紅茶だと教えてくれた。エリザは紅茶が好きだった。ルイドはそれを知って、休憩を挟む際には必ず紅茶を入れてくれる。
その意外な優しさにエリザは少し驚いていた。彼の周りに漂う血の跡のような精霊たちから、残忍で冷酷な人間だと勝手に判断していたのだ。
意外といえば、ルイドは料理が上手かった。これもエリザには驚きだった。エリザが紅茶を飲んでいる隙に食材を集めてきて、荷から香料を振りかけてあっという間に料理を作ってしまう。ミンより手際がいい。
「どうやったらこんな味になるの?」
「東で手に入れた香料を何種類か混ぜているのです。香料は腐りにくく、そしていつでも役に立ちます」
「ルイドは世界中を回ったの?」
「ええ、ユーガリア中を」
「話を聞かせて欲しいの。私はスラムをほとんど出たことがない。魔都クシャイズに何度か行ったことがあるだけ。外の世界のことは何も知らない」
「わかりました」
ルイドが作った蛇鍋を食べながら、エリザはルイドの話に耳を傾けた。蛇の白身は柔らかくて美味しい。
ルイドはエリザが食べ終えると、荷の中からユーガリアの地図を取り出して、エリザに持たせた。地図は羊皮紙でできているようだ。
「ここクイダーナ地方はユーガリアの西端になります。北に白の大地、東にルノア大平原があります」
「白の大地……パージュ地方のこと?」
「ええ」
ルイドは少し苦い顔をした。エリザは海を越えた北に聖騎士の国があると聞いたことがあった。聖騎士パージュの名を取って、パージュ地方と呼ばれるようになっていた。
「それからルノア大平原のさらに東にはセントアリア地方が広がり……」
ルイドは地図の中で場所を指し示しながら、丁寧に説明をしてくれた。エリザは、ルイドが渡してくれた地図を、じっと見て話に聞き入った。
世界は広い。それも、エリザが思っていたより、ずっとずっと広い。
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