4-19「誓うわ、私は生きて、必ずあなたの下に帰ってくる」
黒樹は、ダークエルフの仲間たちとそりの準備をしていた。凍り付いた北海を抜けてパージュ地方に入るのに、徒歩では時間がかかりすぎる。その為、そりをトナカイに曳かせて駆けることにしたのだった。
ダークエルフたちは透明化の術に長けていたが、それはあくまで自分自身を透明化させることにおいて、である。手に持った物や、自分自身の身にまとっている衣服を透明化させるくらいであればお手の物であったが、そりを曳いたトナカイを透明にするとなると、調整をする必要があった。
四人乗りのそりに、ダークエルフが二人ずつ乗る形に落ち着いた。一人がそり全体を隠し、もう一人がトナカイを操りつつ隠す。それでどうにか透明化が可能だった。
「トナカイには枚(※口木のこと)を噛ませるにしても……そりのすべった跡は、隠しようがありません」
様子を見に来たルイドに、黒樹はそう報告をした。
「雪で隠れるのを祈るしかない、か」
ルイドはそう呟いてから「次に敵が攻めてくるのは、おそらく大雪の時だろうから、さして問題にはなるまい」と言った。
緋色の髪の聖騎士による奇襲の後、サーメットは慎重に堅陣を敷き、馬止めの柵を氷に建てつけ、櫓を組んで交代で見張りを出し、夜を明かした。黒樹には、サーメットのその姿は慎重すぎる程に見えた。ルイドの代わりに指揮を執る、ということにプレッシャーを感じているのかもしれない。
黒樹は、自ら進んで櫓に上って夜を明かした。毛布で身体を覆い、寒さに堪えて朝日を待った。極寒の地での見張りは、心身を蝕む。兵たちの気持ちを知らねば、見張りの指示など出せないのだ。サーメットはまだ、そのあたりの認識が甘い。
朝を迎えるころには、雪は降り止んでいた。雲の合間から朝日が差し込む。そして空と地平の重なり合うあたりに、蠢くような大軍が集まっているのが、見えた。聖騎士の軍勢である。その総勢は三万と聞いている。
「また、雪の日に攻撃を仕掛けてくるだろう。こちらが雪に不慣れだというのは、敵にもよく分かったはずだ。それまでは、睨み合いだな」
ルイドが再度言った。
「敵を一か所に集めてからでないと、そりで北海を抜けるのも危険だった、というわけですね。雪の中で攻めてきてくれるように、わざとこちらが雪に慣れていない、と敵に思い込ませたと。雪の中で、そりの跡と雪埃を目立たなくして北海を抜けるために……」
北海に出たタイミングで、本隊を囮にして、北海を抜けるという選択肢もあった。だが、ルイドはそうしなかった。
「それもある」
「まさか、聖騎士と戦ってみたかったと言うのではありませんね」
「新世代の聖騎士がどんなものか、見てみたかったというのはあるな」
「なかなか強敵のようでしたな。女性ながらに、見事な剣の捌き方でした。指揮にも迷いがなかった」
「今頃は、左腕を抑えて休んでいるのではないか」
ルイドは微かに笑った。不気味な笑い方だ、と黒樹は思った。どこか人を寄せ付けないような笑い方を、ルイドはする。
「ルイド将軍と、互角に打ち合っていたように見えましたが」
「遊んでやっただけだ。あと五合も打ち合えば、討てただろうさ。その前に退却の指示を出したのはさすがだったな」
「左腕を抑えて、というのは?」
「捻りを加えた斬撃をまともに受けたからな。腱が切れていてもおかしくない」
「なるほど。だから敵は大人しく退却していったのですね」
だとすると、最後の一撃は片腕の力で行ったということだ。だから、ルイドは油断をした。それで聖騎士は退却の隙を作れたのか。渾身の一撃を、退却の隙を作る為に打ち込む。迷いがあってはできない行動だと、黒樹は思った。本能的に戦いを理解している者の動きだ。
「ダントンとか言いましたか、大丈夫でしょうか。ルイド将軍の身代わりにしてはあまりに頼りなく思えましたが」
「任せると決めたのだ。それに、この堅陣だ、そう簡単には崩されはしないだろうさ。本陣まで迫られなければ、おれかどうかなど、わかりはせんよ。サーメットに策も授けてある。他人の心配の前に、自分の役目を果たすことを考えねばな」
「……本当に、やるのですね」
「まだ納得できないか。お前は、手を汚す覚悟を決めていると思ったが」
「この手はもう、血に染まっています。いまさら汚すことをためらいはしません。……ですが、どこか、エリザ様を騙しているような気持ちになるのです。果たして、この手段の先に掴んだ平和に、エリザ様は納得されるでしょうか」
「言わなければいい。顔にも、出さなければいい」
「しかし、気づかれたら?」
「その時は、おれが話す」
ルイドは笑わなかった。威圧するような気配もない。その話はこれまでだ、という意味なのだろうと黒樹は思った。
「まずは、聖騎士に気づかれぬように北海を抜けることだけを考えろ。それができなくば、どの道、おれたちに未来はない」
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聖騎士の行軍は、迅速を極めた。
ソリアの出した伝令によって、リュイ、ラーケイルをはじめとする六部隊が一所に集結した。パージュ大公軍三万の軍勢である。全軍が騎兵ということもあって、合流にはさほどの時間はかからなかった。包囲を示す磁石と、氷の上に一定の間隔で立てた目印の棒のおかげである。本来は輜重隊が後を追えるように使うそれらを、聖騎士の軍勢は味方の合流に役立てた。雪の中に生きる者たちの知恵である。
帝国軍と対峙する格好で陣が組まれた。敵の位置を見失わないよう、一定の距離ごとに斥候隊が雪の中に潜んでいるはずだ。白い毛皮を纏っているから、遠目には気づかれないはずだ。
パージュ大公軍は、騎士ばかりの軍勢である。帝国軍は櫓を建てていたが、聖騎士は材木を運び込むことさえしなかった。幕舎も極めて簡易的な物である。最低限の生活物資だけを、輜重隊には運ばせている。
小さな幕舎の中で、ソリアはリュイに報告をした。
「まったく、無茶をするなよ」
リュイが呆れた声で言った。ソリアは「ごめんなさい」とリュイに謝った。
「だが、良い判断だった。敵に、聖騎士の軍勢が手ごわいと思わせることができた。これで、戦いの主導権はこちらが握ったことになる」
無断で突撃したことに関して、ソリアはラーケイルには厳しく叱責されると思ったが、意外にもラーケイルは「早く腕を治せ」と言っただけだった。ソリアは氷を包んだ布をあてて、安静にしていた。もう腫れもずいぶん引いている。
「リュイ、敵は雪の中での戦いを知らないわ。戦ってみて、私にはそれが良く分かった。もう一度、機会があれば本陣を崩せる。その自信があるわ」
「そうだな……」
リュイは悩む素振りを見せた。
「確かに雪の中で、一度は大規模な波状攻撃を仕掛けてみるべきだ、というのはラーケイル殿とおれの総意だ。ソリアのおかげで、流れはこちらにきている。だが、まずソリアは腕を癒すんだ」
「ちょっと痛めただけよ。二、三日もあれば元に戻るわ。それに、左手が使えなくったって、そこらの聖騎士よりは働けるつもりよ」
「腕が治らないようだったら、出撃は許可できない」
「どうして?」
「君を失いたくない」
リュイは真剣な眼差しでソリアを見つめた。リュイの瞳は青空よりも澄んだ色をしている。顔が赤くなっているのが、ソリアは自分でもわかった。
「敵将と打ち合ったんだってな。どうだった、背徳の騎士は」
「噂にたがわず、という感じだった。本物かもしれない、と思えるような剣術の冴えだったわ。もしかしたら、リュイよりも強いかもしれない」
「もう一度、戦う機会を作ったとして、勝てるか? もちろん、腕が完治してからの話だ」
「一対一では、まず無理。だけどそうね、敵の本陣までの道のりを開いてくれれば、私の部隊で何とかする。いくら背徳の騎士と言えど、大勢の騎士に多方から攻撃を受ければ、そのすべてを受け切れるはずがない」
ソリアの答えに、リュイは頷いた。
「雪の中で、波状攻撃を仕掛ける。ラーケイル殿の部隊が正面で囮となり、おれが左翼を崩す。敵の応援が左翼に集中している隙に、ソリア、君が敵の本陣を衝くんだ。君のランス部隊が、最も突破力に優れる。どうだろう、頼めないか」
「願ってもないわ」
「でも、無理だけはしないでくれ。突破しきれない、勝てないと思ったらすぐに引き返すんだ。それだけ約束をしてほしい。無理に敵将の首をあげる必要はない。いつでも崩しにゆける、という姿勢を見せるだけでいい。そうすれば敵はより守りを固めようとするはずだ。野戦でありながら、籠城戦の体を作りたい。そうしてしまえば、そのまま敵が疲弊するのを待てばいい。本当はおれが圧力をかける役目を負うべきなんだろうが……。すまない、ソリアに危険を押し付けるようで」
きっと、ラーケイルに止められたのだろう。大将としての自覚が、リュイには足りない。パージュ大公の跡を継ぐ、跡を継げるだけの人望を持っているということを、誰よりもリュイが自覚していない。それは、ソリアの眼にも心配に映る程だった。
パージュ大公の跡を継ぐ。その重荷を、少しでも分けて欲しい。
指導者は、戦場で死地に立つべきではない。ソリアのことを失いたくないとリュイは言ってくれるが、ソリアにしてみれば、リュイを失う方がずっと辛い。そして、パージュ大公国にとっても、リュイを失えば大きな痛手になる。命の重さが違うのよ、とソリアは言いかけてその言葉を飲み込んだ。リュイはその言葉を嫌うだろう。
いいのよ、とソリアは答えた。
「あなたの代わりに、私が武功を立てる。――誓うわ、私は生きて、必ずあなたの下に帰ってくる」