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ユーガリア戦記  作者: さくも
第4章 北海の戦い
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4-16「前にも、そんな会話をしたわね。世界樹の前で……」

 クイダーナ地方も北部に入ると、雪が目立ち始めた。赤い大地を覆い隠すように、雪が降り積もっている。快晴にもかかわらず雪は溶け切らずに残っているのだ。北に進むにつれ、肌寒くなってくる。

 黒樹(コクジュ)はダークエルフの部下たちにも厚着をさせた。隠密行動を得意とするダークエルフは軽装を好む者が多かったが、身体の芯まで凍らせるような寒さを前にして、黒樹は指示を出した。


 ダークエルフ部隊には特別に、スパイクのついた靴が支給された。


「雪は柔らかなだけではない。氷となってしまえば、滑るのだ。また、雪が深くなればなるほどに足をとるようになる。馬上の者はともかく、徒の者には厳しいだろう」


 ルイドはそう言って、雪の中でも戦えるように装備を支給した。寒冷対策の帽子や手袋などは、魔都から運ばせただけでなく、制圧した都市から徴収した。また、軍を進める中で遭遇したモンスターの毛皮をはぎ、天日で干して寒さに耐えられない者たちに与えた。狼が、よく出る。自ら軍に襲い掛かってくることはないが、民が苦しんでいるようであればエリザは必ず軍を出した。パージュ大公軍と戦う前に、北の都市の支持を得なければならない、と理解しているのだ。


「長柄の槍を持つ者を先導させろ。雪が深くなってきたら、槍を地面に挿して足場を確認しながら進むのだ」


 黒樹は、さすがルイド将軍だと思った。的確な指示によって、兵たちは迷うことなく行動してゆける。


「人はともかく、馬が心配です」


 進軍中に、ルイドがエリザに言った。黒樹はルイドの馬のそばを透明化して付き従っていた。ダークエルフ部隊の任務はエリザの護衛と、諜報活動である。黒樹を含めた十名が護衛に当たり、残りの兵たちは小隊規模で近隣の都市の諜報に当たらせている。


「雪に喜んでいるように見えるけれど」


 エリザが不思議そうに言った。魔の精霊を見ることのできるエリザは、馬の感情さえも読み取れるのかもしれない。


「いえ、感情の話ではありません。クイダーナの馬は寒さに慣れていませんが、走っていればそこまでではないでしょう。その点は人間と同じです。モンスターの毛皮をかぶせてやるだけでも、防寒対策になるでしょう。それよりも問題は、蹄鉄なのです」

「馬の蹄につけている金具のことね」

「そうです。雪国ではこの蹄鉄に滑り止めの工夫がされております。たとえば棘をつけたり、釘を打ち込んだりですね。我が軍の騎馬隊はその準備が万全ではありません」

「つまり、転びやすい、ということね」

「そうです。転倒しやすい。これは騎馬隊の機動力を活かせないばかりではなく、物資の輸送にも問題が出てきます」


 輜重隊も、物資を馬に乗せて運ばせている。騎馬隊だけではなく、輜重にも問題が出てくるとルイドは警告している。


「それで、どうするべきだと思っているの?」

「北海に入る前に、いったん準備を整えましょう。従属を誓い出た都市に、滑り止めのついた蹄鉄や靴を用意させます。また、馬に代わる動物も必要でしょう。角を持った鹿を北方の者たちは利用していたはずです」

「徴収するのね。必ず金を支払うよう、徹底させなさい。ここまでに陥落させた都市で回収した財宝はすべて吐き出して構いません。不足があるようなら、戦後に魔都から運び込ませます。証書が必要なら用意させる、いいわね」

「わかりました」


 ルイドが、兵に指示を出してゆく。千人ごとの部隊が、各都市へ徴収の為に離れていった。黒樹は、各部隊に一人ずつ、ダークエルフの兵を透明化させて潜ませた。エリザやルイドの目の届かぬところで、略奪や贈賄を行う者が出ないとも限らなかった。

 千人長以上の者には、ダークエルフが監視に当たっていることを知らせていた。そうすることで、帝国軍の中で謀略を張り巡らせようとする者を抑えることができる。決して不正を許さない、そういう姿勢をとることが大切だった。


「それにしても、晴れているのに雪は溶けないのね」

「海も凍らせる程ですから」


 さらに北へ進んだ。灯台が見えてきた。放置されて久しいようで、その壁をつたが覆っている。


「これが……北海」


 エリザが言った。凍り付いた海が、灯台の先に広がっていた。見渡す限りの氷の海が、日光に反射して輝いている。

 この少女は、海を見たこともないのだ、と黒樹は思った。凍っていない海を見せてやりたい、という気持ちさえ湧いてくる。ルイドの腕の間にいるエリザは、身を乗り出して瞳を輝かせている。こうしていると、年相応の少女に見える。


「派遣した兵たちが物資を取って戻るまで、ここで野営をしましょう。二、三日というところでしょうか」

「そんなにのんびりしていて、大丈夫なの? 早くジャハーラ卿を助けにいかなくては」

「気だけが焦っても、良い結果は生めません。犠牲を少なくして聖騎士の軍勢をうち返さねばなりません。それには準備を欠かすわけにはいかないのです」

「そうね……。その通りだわ」


 ルイドとエリザの会話に、黒樹は口を挟まなかった。それは自分の役目ではない、と思っている。


「おそらく、敵は三万を動員してくるでしょう。数の上で負けており、地の利も敵にあります。これより先、うかつに攻め込めば全滅さえあり得るのです」


 重ねて、ルイドが言った。聖騎士パージュが支配するまで、これより北の領土は異民族バルートイの支配地であった。バルートイと帝国は交流があり、戦場になったことはない。ルイドでさえ、パージュ地方で戦ったことはないのだ。敵の土地へ足を踏み入れる前に用意をしておく、というのは理にかなっていると黒樹は思った。黒樹も、北国での戦いの経験はない。


 灯台のそばで、野営した。兵たちが灯台の内部を探索し、巣食っていたモンスターを撃退すると、エリザは昼間は灯台に上って北海を見渡すようになった。ルイドは蹄鉄の取り換えや、武具の再支給、北海に部隊を下ろして氷の上での戦いの指示などにあたった。ルイドが離れた分、黒樹はエリザの警護により力を割いた。


「ねえ、黒樹」


 凍り付いた北海を見下ろしていたエリザは、よく黒樹に話しかけるようになった。話しかけられた時だけ、黒樹は透明化を解き、エリザの話し相手になった。


「こんなにも世界は広いのに、どうして幸福になれない人がいるのかしら」

「エリザ様は、どう思っているんです?」

「人の幸福を奪う人がいるから、全員が幸福でいられない世界になる。前にも、そんな会話をしたわね。世界樹の前で……」

「あの時から、心はぶれていませんか?」


 クイダーナの赤い大地に、たくさんの血が流れた。これからも、まだまだ流れるだろう。


「私は、決心したの。世界を変えるまで、歩みを止めるつもりはないわ」


 黒樹は、エリザの顔を見た。エリザは北海を見下ろしている。その瞳は一切の感情を切り捨てたように、何も映してはいない。深淵のようだ、と黒樹は思った。


「だけどたまに、押しつぶされそうになってしまうことがある。私がもしできなかったら、力及ばずに世界を変えることができなかったら、これまでに死んだ人たちの魂になんと謝ればいいの……? そう、考えてしまうことがあるの。道のりがいかに険しく、そして冷たい道なのか、ようやく少しずつ分かってきた気がするのよ」


 エリザの声からは、何の感情も読み取れなかった。エリザは悲しんでいるわけではない。淡々と、胸の内をさらけ出しているにすぎない。

 それが、いかに心を凍らせ切っているからこそ吐き出せる言葉か考えて、黒樹は背筋が凍る思いになった。いったい、どれだけの重圧をこの少女にかけていて、そしてそれに耐えきって、女帝という立場の自分を演じているのか。


 黒樹は答えられないでいた。

 エリザは、答えを求めているわけでもないようだった。


「ごめんなさい、黒樹。今の話は忘れてちょうだい」


 振り返ったエリザの瞳は、やはり深い河を思わせる。赤い色をしていた。

 強い子だ、と黒樹は思った。だが、まだ幼い少女なのである。黒樹は、負担をできるだけ取り除いてやりたいと、心から思った。

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