表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ユーガリア戦記  作者: さくも
第4章 北海の戦い
74/163

4-14「聖女ソニュアの加護を、お祈りしております」

 ニノル学院では、千人を超える騎士見習いたちが日夜を共にして修行に励んでいる。ここでは騎士の子どもであろうが、孤児であろうが関係がない。騎士としての素質があるか、ないかだけである。

 エイリスは武術の腕がからっきしだった。兄のディシュワードが掛け合って、何とかまだ見逃してもらってはいる。だが、それも春までだろう、とエイリスは漠然と思っていた。春になるたびに、進級の試験が行われる。そこで騎士としての見込みがないと判断されれば、学院を出てゆくしかないのだった。


「はっ! はっ!」


 雪の降る中で、木刀を振るう。ソリアのような戦い方をイメージするが、実際は遠く及ばない。敵が寄ってきたと想定して、薙ぎの一閃。続いて剣を振り上げ、隙を与えない。繰り出される突きを飛んでかわし――


 ごん、と石に躓いて、エイリスは転んでしまった。痛みに、涙が溢れてくる。どんなに修行をしたところで、どんなに剣術を学ぼうとしたところで、『緋色の聖騎士』どころか、騎士見習いの兄ディシュワードにも、遠く及ばない。

 どこまでも、センスがないのだ。雪の中で、エイリスはそう思った。いくら努力をしても、おそらくディシュワードに敵うことはあるまい。そもそも、騎士を目指す意味が、エイリスにはわからなかった。たまたま、パージュ大公国に生まれた。たまたま、両親が早く死んだ。たまたま、ディシュワードがエイリスを連れてニノル学院の門を叩いた。それだけの話だった。


(ここを追い出されたら……どうやって生きてゆくんだろうな、私)


 エイリスは降り積もる雪を見ながら、そう思った。そでで涙を拭く。何とかなる、という気がしてはいた。兄と離れ離れになるのはつらいが、それだけだ。聖都ビノワーレにまで行けば食べてゆくことくらいはできるだろう。そこで働きながら、騎士になったディシュワードを待つというのも、いいかもしれない。


 エイリスは立ち上がると、ふうと息を吐いて学院の中に入っていった。木刀を片付け、向かったのは図書館だ。エイリスは剣を振り回すより、本を読んでいる方が好きだった。

 特に、聖女ソニュアについて記された本が好きだ。疫病を払い、傷を治す不思議な術を使ったという。クイダーナ地方に住む魔族たちは精霊術を使ったというが、人の傷を治す技は持たない。聖ソニュアは、精霊術でさえ不可能な奇跡を次々と起こしたのだ。そして、その力を恐れた帝国軍によって磔にされて処刑された。


 エイリスはその話を読むたびに、聖女と呼ばれ、神聖視されているソニュアの一生を考えた。自分にもし、そんな力があったら。そんな風に想像を膨らませる時間が、エイリスは好きだった。


 図書館を利用する者は、そう多くない。学院にいる騎士見習いのほとんどは少年である。字は読めるが、好き好んで読むわけではない、そういう子どもたちが多かった。彼らは武術を修め、深い信仰を持ち、王国に忠誠を誓う聖騎士を目指して、ここにいるのだった。学者を目指しているわけではなかった。図書館はいつもがらんとしていて、微かな埃の臭いがしている。

 入り口にかけられている輪っか型のルーン・アイテムを手に取る。ぼうっと微かな明かりがついた。エイリスはそれを持って、図書館に入った。今日も、利用者はエイリスだけのようだ。図書館の窓はステンドグラスで作られていて、十字架型をしている。色とりどりの光が、外の雪景色を反射して、図書館に差し込んでいる。


 どの本を読もうか。本棚に近づいてエイリスが悩んでいると、扉が開いた。


「……おい、それは本当なのか」

「ああ……先生たちも明日、聖都に立つってよ」


 少年たちの声だ。声を潜めて会話をしている。エイリスはそっと棚の間に身を潜ませて、二人の会話を聞いた。話している少年の片方は、兄ディシュワードのようだ。


「敵は魔族なんだろ! こんな大きな戦、そうそうあるもんじゃない。二つ名の聖騎士になれるチャンスじゃないか」

「待てよ、ディシュワード。おれたちが行ったところで足手まといになるだけだ。だから招集されないんだよ。ソリア様に叩きのめされたばかりだろ」

「『緋色の聖騎士』だか何だか知らないが、あんなの聖騎士の戦い方じゃない」

「魔族には、ソリア様より強いやつもいるかもしれないんだぞ。ルーン・アイテムなしに精霊を使うっていう話だし……」

「だからこそ、武功を上げるチャンスじゃないか」

「ディシュワード、お前はバカだ。呼ばれてもいない戦に勝手に行って、命令に従わずに戦って、パージュ大公が称号を授けてくださると思うか?」

「……くっ」


 エイリスは、もう一人の騎士見習いが兄を止めてくれたことに感謝した。命知らずな兄のことだ、誰も止めてくれなければ本当に戦争に行きかねない。


「それにしても、帝国の復活だなんてな」

「おとぎ話みたいだよな。でも、その噂が本当だったら、騎士たちが聖都に集められているのも分かる気がする」


 しばらく会話をした後、ディシュワードたちは図書館を離れていった。


(戦争、かあ……)


 エイリスは、どこか遠いことのように感じていた。だが、学院で指導に当たる騎士たちまで招集されるということは、大規模な戦争になるのだろう、ということは予想がついた。エイリスとディシュワードがニノル学院に来てから、騎士たちが全員招集されるようなことは一度も起きてこなかったのだ。

 騎士たちがいなくなるということは、武術の鍛錬は自習という形になるのだろう。戦が長引けば、春の進級試験もなくなるかもしれない。そんな考えが頭をよぎって、エイリスはぞっとした。戦争が長引くということは、それだけ誰かが死ぬということだ。


 エイリスは戦争を直接、見たことがない。異民族バルートイとの戦いでさえ、もはや過去のことである。平和になってからのパージュ地方しか、エイリスは知らないのだ。


(……そうか、ソリア様は戦争に行かれるのね)


 二つ名を授かった聖騎士だ。必ず戦場に出ることになるだろう。エイリスは、ソリアのことが好きだった。憧れていると言っても過言ではない。ああいう強い女性になれたら、と思っている。でも、絶対に敵わないとも、思っている。


 エイリスは、稽古着のポケットから、十字架を取り出した。ルーン・アイテムの明かりに照らす。


「ソリア様……。聖女ソニュアの加護を、お祈りしております」


 無音の図書館の中に、エイリスの声が静かに響いた。十字架型のステンドグラスの窓から、美しい光が差し込んでいる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ