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ユーガリア戦記  作者: さくも
第4章 北海の戦い
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4-12「楽しかったよ、アルフォン。お前に会えて良かった」

「お前、何言ってるのか自分で分かってるのか!」


 アルフォンは激昂し、ラッセルの胸ぐらをつかんだ。


「わかってるさ、アルフォン。落ち着いてくれ。いいか、何の為におれたちはここにきたんだ? エリザが前に進んでいる。エリザが、世界を変えようとしている。それをしっかり見てくれ」

「見てどうするんだ、おれたちには何もできない!」


 アルフォンは、投げ捨てるようにしてラッセルの服を離した。ラッセルはよろめいてから、上着を直す。物音がして目を覚ますと、ラッセルが荷物を分けていた。理由を尋ねると、ラッセルは「軍に入ろうと思う」と言ったのだった。


「辺境に逃げようって言ってたじゃないか」

「気が変わったんだよ」

「エリザが、女帝だったからか? だからお前は軍に入ろうっていうのか?」

「おれは……エリザなら本当に世界を変えられるんじゃないかって思ったんだよ。だから、その理想の為に少しでも力になりたい」


 ラッセルの真剣な表情に、アルフォンは戸惑いながら言葉を紡いだ。


「思い込みだよ、ラッセル。たとえエリザにそれだけの力があったとして、おれたちがそばにいてできることは何一つないんだ。むしろ、おれたちの存在がエリザの進む道にとって邪魔になる可能性だってある。エリザを苦しめることになりかねないんだ」


 泣き虫だったエリザを慰めてやる役目さえ、もうおれたちには果たせないんだ。という言葉をアルフォンは飲み込んだ。エリザはもう自分の道を選んで進みだしている。


「おれはエリザには何も言わないつもりだよ。――エリザ様の率いる、新生クイダーナ帝国の軍に入るだけだ」

「いいか、ラッセル。何を勘違いしているのか知らないが、おれたちには何の力もないんだ。戦争に行って死ぬだけだ。彼女の代わりに戦うなんて土台無理な話なんだよ。魔族のように精霊が見えるわけでもない、剣が使えるわけでもない。いいか、戦争に行ったら死ぬんだ。わからないのか?」


「わかっているさ。それでも、やらなきゃならないって、おれは思うんだよ。どんなに僅かな力だって、動かなきゃ意味がないんだ。何もしようとしなければ、世界は変わりはしないんだ。アルフォン、いいか。エリザはおれたちのような境遇をなくそうとしている。悲しみを減らそうと動き出している。おれたちはずっと自分たちの為に生きてきた。自分と、その周りの為だけに生きてきた」

「少しでも多くの子どもたちを養えるように、してきただろ」

「そうさ。だけどそれには限界があった。それに、守り切れると思っていたはずの子どもたちさえ、守り切れなかった。ミンも、ヴィラも……。エリザはそれらを全部飲み込んで、もっと多くを救おうとしている。それを知っても自分たちだけ辺境に逃げようなんて、おれにはもう言えないんだよ」


 ラッセルのまなざしは、これまでに見たどんな時よりも真剣だった。使命感を感じさせる口調に、アルフォンはどこか寒気さえ感じた。


「驚いたな。ラッセルの口からそんな言葉が出るなんて」

「おれもびっくりしてるよ。だけどさアルフォン、おれはもう逃げるのはやめようと思うんだ」


「ラッセル。お前を失いたくないんだ。もうこれ以上、失うのはごめんだ。お前がずっとそう言ってきたんだろ」

「死ににゆくつもりはないぜ。アルフォン、これはお前の台詞だったな」

「おれは、行かないぞ」

「……それでも、おれは行くよ」


 アルフォンは、身体中の力が抜けるのを感じて、ベッドに腰かけた。ラッセルは、荷物を分ける作業に戻ってゆく。


「戦いに役立ちそうなルーン・アイテムだけ、これまでの分け前としてもらってゆくよ」


 荷をまとめ終えたラッセルが言った。


「好きにしろよ」


 アルフォンは吐き捨てるように言った。分け前なんてどうでもよかった。生きてゆくのに必要なだけの金と、生きてゆくのに必要なだけの食べ物。それから仲間がいれば、それで良かった。それなのに、アルフォンが失いたくないと思っている物は、すべて手の間をすり抜けてゆく。


「楽しかったよ、アルフォン。お前に会えて良かった」


 ラッセルはそう言うと、部屋を出ていった。アルフォンは拳を握り締めて、わなわなと震えた。


「……魔都になんて、来るんじゃなかったな」


 一人残された部屋の中で、アルフォンは自分の声がやけに静かに響くのを感じた。


 エリザが女帝だと知らなければ良かった、とアルフォンは思った。たとえ王国軍に討ち取られたという報を聞いても、ラッセルと二人で知らないままでいられた。知らない誰かが死んだという話を聞くだけで良かった。ラッセルまでも、失う必要はなかった。


 ラッセルが出て行ってからも七日間、アルフォンは宿に留まり続けた。ラッセルが帰ってくるかもしれない、という気持ちがどこかにあった。魔都を出ると、兵隊の姿をよく見かけた。出兵が近いようだ。過激な訓練で、死者も出ているという。アルフォンはそういう話を耳にするたびに、ラッセルのことを考えた。


(早く音をあげて、戻って来いよ……)


 戦争をするのだ。兵隊になるのだ。勝てるわけがない。厳しい訓練が日々行われているらしい。それなのに志願者は後を絶たないようだ。なぜだ、とアルフォンは思った。人間族の治世に不満があるのは皆がそうだったはずだ。

 ラッセルは金のほとんどを置いていった。ヨモツザカのカードさえ、持っていかなかった。アルフォンは自分がお金に困っていないことを理解した。食べるのに、困っていなかった。当然のように金を払い、当然のように食べ物を買っている。スラムにいたときの自分は、もっと生きることに精一杯だった。日々を生き抜くために盗みをしていた。あのころの自分なら、世界を変えるという希望にもすがりついただろうか。


 思考が麻痺し始めているのを、アルフォンは感じていた。生きてゆくのに十分な金がある。ただそれだけのことで、どこか満足してしまっている自分がいる。


 世界を変えてやろうという気持ちを、持てないでいる。それだけの覚悟が決まらない。


 エリザやラッセルのことを大切に感じている。彼らを守ってやりたいと思っている。共に生きたいと願っている。それなのに、帝国軍という言葉は、どうしても遠く感じてしまっている。彼らは、アルフォンの手の届かないところに行ってしまっている。


「逃げるのをやめるって、ラッセルは言ったな」


 何と向き合おうというのか、アルフォンにはわからなかった。ラッセルに言った言葉は、どれも本心だった。武器も満足に扱えない、精霊術も使えない者が、戦場に出てどうするというのか。


 宿に留まって七日目の昼に、アルフォンは魔都を出ることを決めた。行く先があるわけではなかった。ただ、魔都に居続ける理由が見当たらなかった。


 魔都を出て、スラムに入った。懐かしい道を歩む。酔っ払いたちの姿が、やけに少なかった。出兵が近いこともあるだろう。それから、スラムで暮らす理由さえなくなったのかもしれない。魔都がにぎやかになればなるほど、スラムは活気を失ってゆく。これが健全な姿なのかもしれない、とアルフォンはぼんやり思った。

 実感がまるで沸かない。人通りの少ないスラムを歩いてみても、自分の生きてきたスラムと重ならない。世界の正しい姿など、アルフォンには想像もつかない。


 やがて、エリザたちと共に暮らした家の跡についた。巨大な穴は、今でもそのまま残っている。その中心に墓石が置かれていた。アルフォンはクレーターを降りていった。


 墓石は、まだ置かれたばかりのようだ。もしかすると、エリザが命じて建てさせたのかもしれない、とアルフォンは思った。名前も刻まれていない、真っ白い石だ。無骨に切り取られただけの角ばった石だ。


 アルフォンはその墓石を前にして、何かを言おうとした。何を言おうとしているのか、アルフォン自身がわからなかった。後悔、懺悔、謝罪、どれも違う。だが、何か言葉をかけなければならない、という気持ちになっていた。唇が震えている。唇だけではない。身体中が、震えている。それは冬空の寒さのせいではなかった。身体の内側が震えているのだ。


 アルフォンは、そっと墓石をなぞるようにして撫でた。涙がこぼれてきた。ようやく泣けた、と、アルフォンは思った。一度あふれ出した涙は、止まることなく流れ続けた。

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