4-10「あなたの決められたことに、口出しをするつもりはありませんよ」
魔都クシャイズに入城してすぐ、ゼリウスは麾下から十人を領地に向かわせた。デメーテに知らせるためである。人間族の兵士たちが、ゼリウスの行動を抑制しようとしてデメーテの身柄を抑えようとする可能性は考えられたのだ。
本当なら自分が飛び出してゆきたい気持ちを、ゼリウスは抑えていた。デメーテには人間族の要求をすべて飲むよう言ってある。そして、ゼリウスが持っていたはずのルーン・アイテムが魔都で使われていたことも踏まえれば、デメーテが要求通りにすべてを差し出したのは想像に難くなかった。そうであれば、手荒なことはしないはずだ。
とはいっても、心配なものは心配なのである。
その様子を悟ったのか、ディスフィーアがデメーテを迎えに行かせてくれと頼んできたが、ゼリウスは無言で首を振った。
「一角獣なら誰より早く領地につけます」
私事でディスフィーアを魔都から遠ざけるべきではない、というのがゼリウスの考えだった。クイダーナ帝国の旗があがり、エリザの治世が始まったばかりである。軍の一部を預かる人間が、ここで魔都を離れることは得策ではない。スッラリクスの言葉ではないが、王国軍が動き出すまでの余裕はひと月しかないのだ。軍の再編にあたるこの時期に指揮官が外れてしまえば、練度に大きな差が出る。
ところが、そんなゼリウスの心配をよそに、デメーテは五日も経たずに魔都に姿を現した。
出迎えたゼリウスは、彼女の姿を見ると呆然とした。いや、デメーテはいつも通りにのんびりとした仕草で馬に乗っていただけだ。問題はその後ろである。五頭の馬に曳かれた台車に、人間族が縛り付けられて乗せられていた。その台車を守るように、ゼリウスの麾下の兵たちが展開している。
「デ、デメーテ様?」
同じように言葉をなくして驚いていたのはディスフィーアだった。
「あら、フィーアちゃん、久しぶり。ゼリウスも、無事だったようで安心したわ~」
こちらの台詞だ、という言葉をゼリウスは胸の内に飲み込んだ。
「デメーテ様、それよりもその後ろの方々は……?」
「荷物よ、重かったわ~」
にっこりと笑うデメーテの周囲に、薄く怒りの精霊を見て、ゼリウスはだいたいの事情を察した。彼らはデメーテの許せる範囲を超えたのだ。そしてデメーテに打ち倒され縛られているのだろう。
ゼリウスが手をあげると、麾下の兵が動き出し、台車をデメーテから引き継いだ。彼らの処遇に関してはスッラリクスとエリザに決めてもらえればいい。デメーテが殺さずにつれてきたということは、そういう意味だろう。
デメーテが近づいてくる。ゼリウスの髪をかき分け、瞳をじっと覗き込んだ。
「決めたのね」
「ああ」
そう、とデメーテは微笑んだ。
「エリザ様に挨拶をさせてもらえるかしら」
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デメーテとエリザの顔合わせは、驚くほどに短い時間で終わった。デメーテと共に謁見に臨んだゼリウスは、肩の力が抜けたような気持ちになった。
エリザは、一度もデメーテに参軍を促さなかった。呼びかけもしなかった。デメーテが『深緑の魔女』と呼ばれる純血種であることは、スッラリクスかルイドが吹き込んでいるはずだ。そうでなくても、エリザであればデメーテを見た瞬間に、彼女が純血種であることを見抜けるだろう。
あくまでゼリウスの妻として振る舞うデメーテと、あくまで女帝として臣下の配偶者として接するエリザの姿は、とても自然で、どこか歪だった。
「大した方ですね」
謁見を終えたデメーテが、そう言った。ゼリウスは「ああ」と言葉を発した。デメーテは対話を望んでいる。
「フィーアちゃんや、あなたが認められただけのことは、あると思いましたよ」
「……止めないのか」
「何をです? あなたが決められたのでしょう。あなたの決められたことに、口出しをするつもりはありませんよ」
お前はどうするのだ、とゼリウスは訊ねなかった。デメーテがエリザとの短い謁見の中で何を思ったのかまでは、ゼリウスにも読み取れないでいた。
「私は、あなたの帰りを待ちます」
ゼリウスは頷いた。できればデメーテには、戦争に出て欲しくはない。もしエリザにデメーテの従軍を求められても、ゼリウスは断るつもりでいた。いくら戦力として重要視されようが、ゼリウスは二度とデメーテを戦場に出すつもりはなかった。エリザはそのゼリウスの気持ちをいつの間にか読んでいたのではないか、という気さえする。
「待っている間に、ペルセに会いにゆくつもりです」
「……ヨモツザカか。前にも話したが、決して死者に会えるわけではないのだぞ」
「たとえそうであっても、です。気持ちの整理をつけたい。私はそう思っているのですよ。私はあなたの行く道を遮りません。どうか、あなたも私の道を遮らないではくれませんか」
ゼリウスは言葉に詰まった。デメーテは、真剣な表情でゼリウスを見ている。
しばらく考えた後、ゼリウスは頷いた。
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新生クイダーナ帝国軍は、総勢で四万を数えた。その調練と編成の任にあたるのはゼリウスとジャハーラである。続々と集まってくる志願兵たちをジャハーラが振り分け、時に打ちのめし、その実力ごとに振り分けてゆく。ゼリウスの役目は、ジャハーラが振り分けた兵のうち、使えそうな者たちに軍としての戦い方を教え、統制を取ることだった。
弱兵はジャハーラが引き受けた。四十年前なら考えられなかった行動である。解放軍に負けてからのジャハーラは、何か憑き物が落ちたようだった。
調練は魔都を出て行われた。個々の技術を上げる訓練ではない。兵として、集団での戦闘に備えた動きを指導するのだ。ゼリウスは高台の上に立ち、全軍の動きを見ていた。
「少しは、見られるようになってきたのではないか」
ジャハーラが、ゼリウスのそばに寄ってきて、言った。
ゼリウスはそれに答えず、指を三本立てて腕を振った。三番隊の動きが悪い。ゼリウスの腕の動きを見て、彼の麾下が三番隊に指導へ走る。
「しかし……十二万を数えた帝国兵が、いまや四万も集まらんとはな」
四十年の月日を感じるように、ジャハーラが言った。クイダーナ地方の都市でさえ、まだ完全に支配下に置いているわけではない。だが、もしそれらを含めたとしても、英魔戦争以前の十二万という数字には程遠い数にしかならないだろう。
『時は流れたのだ、ジャハーラ。四十年前とは、何もかもが逆転したのだ』
ゼリウスは言葉を発さずに、ジャハーラに返事をした。
没落した魔族はその数を減らしていた。英魔戦争の際には十二万を数えた軍勢が、今やこれだけしか集まらない。ゼリウスやジャハーラ、ルイドといった過去の英雄たちが集まって、これだけなのだ。それも半数は人間族との混血ときている。精霊術を扱えない彼らは、どうしても戦力的に魔族より劣ってしまう。
対して、人間族はこの四十年でさらに数を増やしている。王国軍がいったい総勢でどれだけの規模になるのか、ゼリウスには測りかねていた。スッラリクスは聖騎士が三万、王国軍が十万と予想していたが、蓋を開けてみるまではわからない。
四万の軍勢は、大きく三つの軍団に振り分けている。ルイド、ジャハーラ、ゼリウスがそれぞれ軍を率いる。
ルイドの軍は、最も厚く編成をしてある。一万五千の兵である。エリザの警護にあたるルイドの為に、ジャハーラが精兵を多く回していることを、ゼリウスは知っていた。指揮を執りやすいようにしているのだ。
エリザが加わるのはルイドの軍だ、というのはジャハーラもゼリウスも同意見だった。だからこそ、編成には厚みを持たせ、中心には精兵を配置している。千人長も、十分な経験を持つ者を多くしている。
ゼリウス、ジャハーラの両軍は一万ずつである。他に、魔都に残す兵が二千。それが、現在の全兵力である。
「少ないな」
ジャハーラが言い、ゼリウスは頷いた。王国軍に対抗するには、あまりに少ない。
魔都から、早馬が一騎駆けてきた。
「軍議とのことです」
ゼリウスは手をあげた。眼下の兵たちが訓練を中止し、ゼリウスとジャハーラに注目する。
「軍議だ。千人長以上の者は、ついてこい。他の者たちは陽が落ちるまで続けよ」
ジャハーラが大声で指示を飛ばした。