2-1「そうすると、笑顔の精霊なんてのもあるの?」
エリザは眠っている間、ティヌアリアから精霊について教わった。
精霊は何にでも宿る。たとえば川には川の精霊がいるし、山には山の精霊がいる。もっと細分化すると、たとえば川に流れる水には水の精霊がいる。川になると、水の精霊が集まっているだけじゃなくて、それを流す力が働いていて、それもまた精霊だ。さざ波が立つようだったらそれは風の精霊や土の精霊が混じっていることもある。このように極端に言ってしまえば、万物の源が精霊なのだ、とティヌアリアは教えてくれた。
『ありとあらゆる物に精霊は宿ってるし、それは細かく分けてゆけばいくつにでも分けられる。だけどそれだとあまりに不便だから、精霊を使役する人たちは大きく五つに分類したの』
火、風、水、土、魔。大きく五つに分類をするとこうなるのだとティヌアリアは教えてくれた。
「最初の四つはなんとなくわかるけれど、最後の魔って?」
『ざっくりと話すと感情に宿った精霊のことよ。たとえば怒ってる人には怒りの精霊が、泣いている人には嘆きの精霊が、おかしくなってしまった人には狂気の精霊が宿るわ』
「そうすると、笑顔の精霊なんてのもあるの?」
『あるわよ。道化師や大道芸人なんかはそういう精霊を宿していることが多いわ』
「そうしたら、みんなに笑顔の精霊を振りまいてあげたら、誰も傷つけあわなくてすむんじゃない?」
エリザの子どもらしい純粋な疑問に、ティヌアリアは残念だけど、と言葉を返した。
『精霊はそう増えるものじゃないの。笑いの精霊を道化師から他の人に移してあげたとする。するとその人はちょっとだけ笑えるわね。その分、道化師の周りから笑いの精霊は減って、疲労や空虚さ、加齢の精霊が寄ってくるのよ。もし笑いの精霊を全部振り分けてしまったら、その道化師は、もう笑いを生み出すことはできないでしょうね』
エリザは何となくわかる気がした。雛見鳥で歌っていた時、誰かに心地良いように歌っていた。その分、自分はちょっとずつ虚しさを貯めこんでいて、歳を重ねてゆく。誰かの疲れを癒すということは、自分の疲れを増やすことでもあった。
『人間以外の種族はみんな精霊が見えるし、使役することができるわ。たまに人間でも精霊が見える人がいるようだけど、本当に稀な例。人間以外の種族はそれぞれに得手とする属性があって、たとえばドワーフなら土、エルフやバードマンなら風、マーメイドなら水。魔族は火ね。苦手な属性の精霊は見えないことも多いみたいよ』
「魔じゃないの?」
『魔が使えるのは、魔族の中でもほんの一握りだけよ。貴族種、純血種と呼ばれるような魔族の正統な血統だけ』
「ティヌアリアは?」
『私は――、そう、話してなかったわね。私は黒女帝と異名をとったクイダーナ帝国最後の女帝。純血種だったわ。そして、その力は、今はあなたに宿っている』
「どういうこと……?」
『それは私にもわからない。だけど、あなたが純血種の力を持ったことは間違いないわ。エリザは血がこびりついたような色や、疲労を体現したような色を見たと言ったわね。それはまさに魔の精霊よ。それを視覚化し、使役できるのは純血種だけ』
エリザは混乱していた。黒女帝といえば、四十年前の英魔戦争で殺されたクイダーナ帝国の女帝だった。ユーガリア全土を支配し、自身も絶大な魔力を有したとされるが、魔族打倒を掲げた人間族に打ち倒された、クイダーナ帝国最後の女帝。
その力が宿ったと言われても、実感がまるでなかった。いや、まるでなかったと言えば嘘になる。ヴィラが殺されたとき、エリザは何でもできると錯覚した。それくらいに強力で凶暴な力が自分に宿ったことを理解していた。何でもできる。それは絶大な力が背景になければ思えないことに違いなかった。
『火、風、水、土を扱う術は精霊術と呼ばれるのに対して、魔を扱う術だけは魔術と称されるわ。魔術を使える者が非常に限られているから、精霊の働きだとは思われていないからかもしれないわね。ただ、精霊を見ることもできない人間にしてみたら、異能の力としかわからないから、全部ひっくるめて魔法と呼んで忌み嫌ったりもするわ』
エリザは魔法と言われた方がしっくりきた。急に精霊を見ることができるようになったのだ。これまで精霊術だの魔術だの分類をせずに、すべて魔法と呼んでいた。
『稀に五つの属性に分類できない場合があるわ。たとえば、光。光は火で起こせるけれど、熱を持たない純粋な光は分類から外れてしまう。だから五つの属性と言っても大まかな分類と思っておいた方がいいわ。人間でも精霊を使役できる場合もあるし、純血種でなくても魔術が使える場合もある。何事にも例外はあるから』
「光にも精霊がいるの?」
『もちろんいるわよ。それも、そこかしこにいるわ。あなたなら見えるはず、声をかけてごらんなさい。きっと応えてくれるわ』
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目を覚ましたエリザは、自分がどこにいるのか、近くで眠っている冒険者風の男が誰なのかを考えるのをすぐにやめた。彼の周りにまとわりついている色でさえも、精霊だと知った今は怖くなかった。それよりも、力を試したいという衝動に駆られ、テントを出た。
光の精霊を試していると、冒険者風の男がキャンプから出てきて、頭を垂れた。彼はルイドと名乗った。スラム街の由来ともなった、背徳の騎士ルイドはエリザも知っていた。クイダーナ帝国を討つために立ち上がった貴士王ゲールデッドと、その配下の五人の騎士の話は、吟遊詩人が歌い歩いており、エリザも聞いたことがあった。騎士の一人が反逆し、人でありながら魔族についた。それが背徳の騎士ルイドだった。
エリザに忠誠を誓ったルイドは、やはり血なまぐさい色をまとっていた。エリザは彼にまとわりつく精霊たちが好きではなかったが、彼が歴戦の将であることは疑わずに済んだ。
それでも、どうしても理解できないことがあった。
「ルイド、あなたはどうして、そんなに若いの?」
ルイドの見た目は人間の年齢でせいぜい四十というところだ。英魔戦争があったのが四十年前。その時に騎士として参列したのならどう考えても年齢が合わない。
「人魚の生き血を得まして、老化を抑えております」
エリザは訊くんじゃなかった、と思った。生き血ということは、生きたままのマーメイドを傷つけて血を吸ったということになる。遠い異国にマーメイドはまだ存在していると聞いてはいたものの、エリザはマーメイドを見たことはなかった。
ルイドは、これまでの話やこれからの話をしてくれた。
「英魔戦争の後、私は流浪し、ティヌアリア様を復活させるあらゆる手段を探して参りました。しかし、ことごとく失敗した。ヨモツザカと呼ばれるダンジョンも踏破しましたし、力のある精霊術師に蘇生を試させたこともあります。かろうじて入手できたのは、かつてゲールデッドめが愛用していた魔剣ルイズ=ガードリィだけでした。この魔剣は魔力を吸収してしまう効果を持っており、それならばティヌアリア様の魔力も宿っているのではないかと。しかし、私が見つけたときにはすでに剣は折れ、柄のみが残っておりました」
エリザはルイドがそこまで執着して入手しようとした魔剣を盗もうとしたことに、多少の罪悪感を覚えた。
「どうしてティヌアリア様の魔力がエリザ様に宿ったのか、それは私にもわかりません。何らかの共鳴作用が働いたとしか……。そもそも、私はあのとき、剣を袋の中に、それも何重にも布に巻いて入れていました。それを、酒に酔っていたとはいえ、エリザ様が私の荷から盗るまでの間、私が気が付かなかったというのもおかしな話です。私は長らく旅をしていましたから、野盗やモンスターに寝込みを襲われることも多かったですが、一度たりとも荷を盗まれたことはありません。ところが、私はエリザ様が魔剣ルイズ=ガードリィの柄を握るまで、気が付かなかった。ティヌアリア様との間に、何らかの共鳴が作用したのでしょう。いずれにせよ、もはやティヌアリア様の復活に手段がなくなっていた私にとっては、僥倖でした。それで、あの爆発跡にいたのでは捕らわれてしまいますから、こうしてお連れした次第です」
「爆発跡……?」
「覚えておいでではないのですが。見事に、実に見事な巨大な穴が空いておりましたぞ」
エリザは血の気が引くのを感じた。記憶がない。怒りに身を任せ、兵士を殺そうとした。その結果、まだ生きていた孤児仲間たちを殺してしまったのではないか。
ぶんぶん、とエリザは頭を振った。考えるな。もしそうだとすれば、もし私がそれをやったのだとすれば、その力を世界を良くすることに使ってゆけばいい。それが贖罪になる。必ずそうなる。エリザはそう自分に言い聞かせた。
エリザは蒼白になった顔を、ルイドに見せないように努力した。