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ユーガリア戦記  作者: さくも
第4章 北海の戦い
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4-9「すべてを守ってみせる。その為に、聖騎士になったんだから」

 夢は、ニノルの森の中を疾走するところから始まる。ああ、いつもの夢だ、とソリアは思った。夢であることをソリアは理解している。

 理解していながら、過去の自分と重なってゆく。十年以上も、昔の夢だ。それなのに、今でも思い出す。


 苦しい。息苦しいのは、馬をひたすら駆けさせたからだけではない。

 森の空気が、肺を満たす。清涼なはずなのに、身体を締め付けるように苦しみが募ってゆく。


 聖騎士パールボーが、死んだ。異民族バルートイに殺された。その知らせがニノルの学院に入った。騎士見習いだったソリアは、目の前が真っ暗になるのを感じた。パールボーに認めてもらうために、武術を磨いていた。勉学にも励み、もう少しで騎士の叙勲を受けられれるかもしれない……そんな話をしたばかりだったというのに、そのパールボーが、死んだ。


 悲しい、というより苦しかった。どうして? という思いが強い。


(ねえ、パールボー。あなたは約束したじゃない。私が立派な聖騎士になったら、一緒に馬を走らせようって、約束したじゃない)


 ずっと目標にしてきた。彼の背中を見てきた。いつか並び立ってやろうとさえ、思っていた。

 それが……


「するとパールボーは、モンスターにさらわれた異民族の子どもを助けに行ったと……」


 訃報を伝えにやってきた騎士から、ニノルの学院長が話を聞いていた。その言葉を、たまたまソリアは耳にしてしまった。


「ええ、ところが異民族からしたら我らは仇です。モンスターから子どもを救い出したパールボーは、遅れて助けに来た異民族たちに射殺されてしまいました」


 ソリアは血の気が引くのを感じた。学院の裏手につながれていた馬に飛び乗ると、闇雲に走らせた。入ってはいけないと言われるニノルの森に飛び込んで、そのまま馬を駆けさせたのだ。風を浴びている間だけ、少しは心が晴れるような気がした。


 だが、気持ちは一向に収まらなかった。パールボーが、死んだ。どうしてあんなに優しい人が死ななければならなかったの? 聖ソニュア様の加護はなかったの? 思考はまとまらない。空気が冷たい。雪が、降り始めた。

 幼いソリアは衝撃を受けて、馬から投げ出された。馬が何かに躓いたようだ。ソリアが立ち上がった時には、馬は駆け去ってしまっていた。


 馬の走り去る音が聞こえなくなると、驚くほどに静かになった。静寂の森の中に、雪が降り続ける。しばらく、雪が降るさまを見ていた。苦しさは、少しだけ薄まっている。

 苦しさが占めていた心の中に、だんだんと別の感情が入り込んでくる。それはパールボーを殺した異民族バルートイへの怒りであり、彼を失った切なさであり、悲しさであり、やるせなさでもあった。


(帰らなきゃ……)


 ふと、そう思った。帰らなきゃ。心配をさせているに違いない。

 ソリアは立ち上がると、来た道を戻ろうとした。馬の足跡をたどれば……そう思っていたのに、しんしんと降り積もる雪に覆い隠されて、足跡は見つからなかった。


 焦りが、心を支配してゆく。ソリアは、自分が夢の中にいることを自覚していながら、焦燥感に駆られていた。何とかしなくちゃ、戻らなきゃ……。


 ソリアは闇雲に森の中を彷徨った。遠くで、獣の鳴き声がする。ニノルの森には危険なモンスターがたくさんいるから、決して踏み込まないように。大したことじゃないと思っていたはずの言いつけが、重い言葉に感じる。


 陽が落ちるまで彷徨った。寒さで身体の芯まで凍り付きそうになった。ソリアは樹の幹に寄り掛かって、しゃがみこんだ。

 ……夢の中の出来事だ。もう過去のことだ。そう分かっているのに、どうしようもない心細さに支配される。


(私は、どうしようもなく独りだ)


 雪の降り積もる森の中で、ソリアはそう思った。


「ソリア!」


 闇の中から、声が聞こえた。ソリアは幻聴だと思った。闇の奥で、何かが揺らめいている。それが炎だと気づくのに、時間がかかった。


「ソリア! 声を出してくれ! どこにいるんだ!」


 幼い声だ。雪の中に消え入りそうな、だけど確かに存在していると訴えるような声。リュイの声であることは、間違いなかった。

 ソリアは凍り付いた手で、何とか身体を支えた。声を出そうとするが、唇が震えて言葉が出ない。


「ソリア! どこだ! 返事してくれ!」


「リュイ……」


 叫ぼうと思っているはずなのに、ようやく口から出てきたのは、消え入りそうなか細い声だった。


「ソリア! そこにいるんだな!」


 炎が、近づいてくる。松明に照らされ、騎士の姿が闇の中に浮かび上がる。ソリアは、リュイと目が合った。この闇の中でも、ソリアのことを見つけ出してくれた。


「そのまま、じっとしていて!」


 リュイはそう叫ぶなり剣を抜くと、ソリアの方へ馬を走らせた。ソリアは一瞬、リュイに殺されるのではないかと錯覚した。それほどの気迫が、リュイにはあった。


 リュイはソリアの横を駆け抜けた。闇の中で、剣が煌めく。松明の火が辺りを、ぼうっと照らす。獣の叫びが聞こえる。馬が地を蹴る音と、剣が空気を切る音が重なる。すぐに、静かになった。


「大丈夫?」


 馬から降りて、リュイはソリアに手を差し伸べた。ソリアはその手を取って、立ち上がる。リュイが倒したのは、二人の身体を合わせたよりも大きな、熊だった。ソリアは熊が近づいてきていたことにさえ、気づいていなかった。


「どうして……」


 どうして、ここがわかったの? どうして、追いかけてきたの? どうして、私なんかを助けに来たの……? ソリアはそう訊ねようとして言葉に詰まった。


「凍えちゃってるじゃないか。すぐに火を起こすからね」


 リュイは微笑んで、松明を立てた。稽古着のまま、追いかけてきてくれたようだ。作業するリュイの右腕が、血に染まっているのに、ソリアは気が付いた。


「その腕……」

「大丈夫、途中でモンスターに襲われただけだから。もう止血もしてあるから……」


 集めた薪に、松明から火を移した。凍えるソリアは、身体が温まってゆくのを感じた。リュイは隣にきて、ソリアの手を握ってくれる。凍っていたのは手足だけではないことに、ソリアは気が付いた。身体がぬくもりを取り戻してゆく。涙が、溢れてきた。


 自分が泣いていることに気が付いて、ソリアは目を覚ました。隣で、リュイは安らかな寝顔を浮かべている。乱れた金髪と、あの頃からちっとも変わらない幼さの残った顔立ちに、どこか優しい気持ちになる。

 ソリアは深く息を吸って、吐いた。いつもの夢だ。憧れていた聖騎士パールボーの死に動揺して、森の中を駆け、リュイが必死で探しに来てくれた。それだけの夢だった。夜が明けるまで、リュイは傍にいてくれた。火を絶やすこともなかった。目が覚めた時には、辺り一面がモンスターの死体だらけだった。火を恐れないモンスターもいるのだ、ということを、ソリアはその時初めて知った。リュイは眠らずに、ソリアを守り続けてくれた。


 もう、十年以上も昔の話だ。なのに、未だに夢に見る。

 聖騎士パールボーを失ったという悲しみも、苦しさも、森の中で孤独を感じたことも、助けに来てくれたリュイがひたすら格好良く映ったことも、鮮明に思い出せる。


 忘れないように、繰り返し同じ夢を見るのだと、ソリアは思っている。隣で眠るリュイの右腕には、まだあのときモンスターに引っかかれた爪痕が残っている。


 ソリアはベッドから抜け出すと、カーテンを開けた。窓の外は真っ白に染まっている。冬の聖都ビノワーレの姿だった。街並みは、ぼんやりとしかわからない。


「大丈夫か」


 窓の外を見つめるソリアの背に、リュイが声をかけた。


「ごめん、起こしちゃった?」

「いいんだ」

「いつもの夢よ。前に話したでしょう、ニノルの森へ、あなたが追いかけてきてくれた時の……」

「聖騎士パールボーの訃報が届いたときの夢か」


 ソリアが頷くと、リュイは「そうか」と言った。懐かしむような口調だった。


「ねえ、リュイ。どうしてあの時、私の場所が分かったの?」

「親愛の腕輪が教えてくれたような気がしたんだ。気がした、というだけで何も確かなことはないけれど――」


 パージュ大公がニノルの学院に見学に来た時、剣術大会で目覚ましい成績を上げたリュイに贈った物だ。ルーンが刻まれていることは確かだったが、人間族である彼らにはそこに何の精霊が閉じ込められているかはわからなかった。


「愛する者を守り抜けるように。そういう祈りが込められたルーン・アイテムだと聞いている」


 パージュは幼かったリュイにそう言って、腕輪を渡した。当時は二の腕につけていた腕輪は、今では手首よりちょっとだけ下の方につけるのでちょうど良くなっている。


「助けに来てくれて、私は嬉しかった」

「剣も持たずに駆けだしたって聞いたもんだから、びっくりしたよ」


 リュイは笑った。いつもの優しい笑顔だ。あの頃からちっとも変わらない。


「あなただけは、死なせないわ。パールボーの時のような思いは、もうたくさん」

「ソリア……。大丈夫だよ、安心して。親愛の腕輪に懸けて誓うよ。ソリアのことも、聖都ビノワーレも、ルージェ王国も、すべてをおれは守ってみせる。その為に、聖騎士になったんだから」


「そうね、そうよね。ごめん、どうかしてた。あなたまで遠くに行ってしまいそうな気がして……」


 ソリアは深く息を吸って、吐き出した。


「私も、あなたを守るわ。その為に私も、聖騎士になったのだから」


 窓の外では聖都ビノワーレを覆い隠すように、雪が降り続けている。

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