4-7「私には責任がある。果たさなきゃならない使命がある」
宿に戻ったアルフォンは、そのままベッドに横たわった。ラッセルは、アルフォンに何も声をかけてあげることができなかった。
女帝エリザが、あのエリザだった。その衝撃は二人とも同じだったはずだ。
玉座の間から場所を移して、エリザとアルフォン、ラッセルの三人だけの別室をあてがわれた。そこで二人は、エリザの口から、これまでの経緯をすべて聞いた。
「……あの爆発も、エリザだったのか、やっぱり」
エリザは頷いた。アルフォンは顔を伏せて、そうか、とだけ言った。
ラッセルは言葉を失っていた。エリザがスラムで起こした爆発は、跡形もなく家を吹き飛ばした。まだ生きている子どもたちがいたかもしれない。ヴィラの最期の、悲鳴に似た叫び声が蘇る。いや、生きていたはずがない。あそこにいたら全員が殺されていた。エリザのいう通りだ。
「私は、誰も傷つかない世界を作る。その為に黒女帝の力が私に宿ったのだと、思ってる」
「だから、女帝に? エリザが戦争をするなんて、おれにはどうしても信じられない」
アルフォンが、声を絞り出すように言った。
「なあ、ここを抜け出して、おれたちとまた一緒に暮らさないか。おれたちだって、色々あったんだ。トレジャーハンターになって、金もそこそこ手に入った。三人で暮らすのだって、不自由はしないさ」
エリザは首を振った。
「アルフォン、ありがとう。そう言ってくれて本当に私は嬉しい。嬉しいけれど、それはできない」
「どうして?」
「私には責任がある。果たさなきゃならない使命がある」
アルフォンは、エリザの両肩に手を乗せた。
「エリザ、目を覚ましてくれ。エリザが戦おうと思ったのは、そもそも、みんな死んでしまったと思ったからじゃないのか。おれとラッセルはこうして生きてる。だから、昔みたいに……」
「アルフォン、ありがとう」
本当に、嬉しいわ……とエリザは繰り返した。
「でも、できない。私にはやらなきゃならないことがある」
「王国と戦うって? 勝てるわけがない! 四十年前だって魔族は負けたんだろ。すぐに王国軍と聖騎士の軍勢がやってくる。そうしたら、今度こそおれたちは、エリザを失うことになってしまう」
「私は、負けるつもりで戦うのではないわ。世界を変えるために戦うのよ。アルフォン、考えてみて。誰も傷つかないですむ世界ができたら、素晴らしいことだと思わない? 誰かを傷つけて、誰かの幸せを奪い取って、他の誰かが幸せになる。そんな世の中をひっくり返してやりたいの。その為に、私に黒女帝の力が宿った。私はいま、そう思っているのよ」
「そんなことが可能だと、本当に思っているのか?」
「アルフォンは、私を信用してくれない?」
「そうじゃない、そうじゃないけれど――」
エリザは、両肩に乗せられたアルフォンの手を下ろさせた。
「会えてよかったわ、アルフォン、ラッセル。本当に、私は嬉しかった。だけどごめんなさい。あなたたちと一緒に、私はいけない。私たちのような思いをする人を、なくしたいの。その為に、私は戦うわ」
「負けたら、無駄死になってしまうんだぞ」
「何も成さないで死ぬより、何かを成そうとして死ぬ方が、何倍もいいと私は思うわ」
アルフォンが口をつぐんだのを見て、エリザが背を向ける。部屋を出てゆこうとしたエリザに、ラッセルは声をかけた。
「なあ、エリザ。もし……もしエリザが、死んだ仲間たちへの贖罪のつもりで戦うっていうなら、それは誰も望んでないと思うぜ。おれもそうだし、アルフォンも、ミンやヴィラだって、エリザにそんなことは、望んでないと思うぜ……?」
エリザは、まっすぐにラッセルの眼を見た。ラッセルは、エリザの赤い瞳の奥に吸い込まれそうな気持ちになった。
(こんな眼をしていたっけ……)
赤い瞳は、どこか深い河を思わせる。ラッセルは深淵を覗き込んでいるような気持ちになった。
「ラッセル、ありがとう。でも、これは他の誰かが決めたことではなくて、私が決めたことよ。私が、そういう世界にしたいの」
エリザはそれきり何も言わず、部屋を出て行った。女帝としての務めがあるのだろう。ラッセルはアルフォンに声をかけて、城を出た。アルフォンは無言だった。そのまま宿に戻るなり、ベッドに横たわっている。
ラッセルは何と声をかけてやるべきか迷った。
たとえば笑顔を作って、「エリザが生きてて良かったじゃねえか」と言ってみるか。いや、それはあまりに乾いている。じゃあ「目的は果たしたんだ。辺境へ行こうぜ」と持ち掛けてみるか。それは、ラッセル自身が納得できない。エリザは生きていた。そして決意と目的をもって、女帝として玉座にいる。そんなエリザに会って、果たして自分たちは何がしたかったのか。
何の為に、魔都まで来たのか。
アルフォンに連れられてやむなし、という気持ちだった。だけどそれは、エリザが自分たちの知っているエリザじゃないと思っていたからだ。エリザが、世界を変えようとしている。
なのに、おれたちは――
「ああ、くそ!」
ラッセルは、壁を殴りつけた。大きく息を吸う、吐く。
「ちょっと、気持ちを落ち着けてくるわ」
アルフォンは、返事をしなかった。アルフォンはアルフォンで考えているのだろう。お互いにいまは、一人になるべきだ。
ラッセルは表に出た。まだ陽は傾き始めたばかりだったが、どうしようもなくやりきれない気持ちに支配され、ラッセルは繁華街に行った。勢いに任せて二杯飲みほしたが、一向に気持ちが高ぶってこない。なぜか吐き気がおさまらない。
(逃げてるのか……おれは……?)
エリザの眼を思い出した。どこまでも深い赤色。何もかも見通しているような瞳。
進むべき道を見つけた少女の顔は、ラッセルが知っているエリザの顔とはまったく違った。
(それに比べて、おれは……)
酒に逃げてる。ミンやヴィラが死んだことも、何もかも忘れて、アルフォンと二人が幸せになれればいいと思っていた。受け入れて前に進むしかない、とアルフォンに言った。だけど、誰よりもミンやヴィラたちの死を受け入れられていないのは自分自身じゃないのか?
酒が回っている。まだ飲み始めたばかりだというのに、酒が回っている。思考がまとまらない。目を閉じる。暗闇の中で、ヴィラの叫び声、エリザの泣き声、ミンの笑い声、女帝になったエリザの決意の声が、ごちゃごちゃと入り混じって聞こえてくる。
「何も成さないで、死ぬより――か」
幼い、守ってやらなきゃと思っていた少女が、いつの間にかラッセルの前を歩いている。そして、世界を変えると言っている。エリザの後ろで、そっぽを向いて守ってもらっている自分たちに気づく。惨めだ。どうしようもなく、惨めだ。
ラッセルは支払いを済ませて、酒場を出た。いつの間にか日は沈んでいる。
魔都を出て、スラム街に入った。住み慣れたスラムに、どこか懐かしさを感じながらラッセルは歩を進めた。心なしか、ラッセルが暮らしていたころより酔いどれたちの数が少ない。一部は魔都で騒ぐことにしたのだろうか。
酒場が軒を連ねるニーズヘッグに入ると、聞きなれた喧騒がラッセルを出迎えた。魔都の内部と同様に、こちらも酔っ払いたちが祝い酒をしている。そのほとんどが下級労働者たちだ。兵にもなれぬ労働者たち。新女帝を祝う祭りが終われば、彼らはまた労働に戻ってゆく。だが、虐げられてきた者たちに、エリザは手を差し伸べるだろう。酒を飲む以外にも、何か楽しみを見出せるようになるかもしれない。
ラッセルは喧騒のすぐそばに来てもなお、心がどこまでも静かな場所にいることに気が付いた。
ミンに会いたい。あの黒い長髪が揺れる様を、見たい。
子どもたちに優しく触れて、たまに怒る姿を見たい。
ラッセルは、ミンの生きていた証を追うように、ふらふらとニーズヘッグを歩いた。そのうちに、雛見鳥の看板を見つけた。ミンが子どもたちに仕事を世話していた店だ、というのは知っていた。
店内に入った。客は一人もいなかった。
「いらっしゃい。君は確か……」
「ここにさ、前まで、ミンっていう子が子どもたちの仕事を世話していなかったか」
ラッセルは、雛見鳥のマスターの言葉を遮って、そう訊ねた。カウンターに腰かける。マスターは、グラスを拭いている。
「来てくれていましたね。最近は顔を出してくれませんが」
「不景気なのか?」
「芸をしてくれる子どもたちがいないので……。そうなると、この店には何も特徴がないのですよ」
マスターは寂しそうに言った。
「その割に、集客しようとは思っていないんだな。のんきにグラスなんて磨いて」
「お客様がいらしたからね」
ラッセルは、酒を注文した。マスターは用意の出来たグラスを、ラッセルの前に出した。
「だが、こんな店はつぶれてしまった方が良いと、私は思い始めていますがね」
「どうして?」
「エリザ様のお創りになる新しい世には、必要ないと思っているだけですよ。子どもたちが働かなければその日の食い扶持が稼げない。ということが……スラムに暮らす人にとっては当たり前のことが、当たり前のことではないとエリザ様は言っているのですから」
マスターがそう言った時、ドアが開いた。冒険者風に鎖帷子を着込んだ男が、入ってくる。黒い長髪、強面の顔立ち。ラッセルはその顔に見覚えがある気がした。
「客か、珍しいな」
「ええ本当に。久しぶりです」
ラッセルは二人のやり取りに排他的な響きを感じ取った。早く出て行け、といわんばかりだ。ラッセルは金を払うと、店を出た。
酔いは、少し落ち着いてきていた。
(やるべきことが、わかってきた……が、正解かな)
スラムの道をいく。魔都へ入る。もう夜は更けている。
ラッセルは、アルフォンと話をするか迷った。宿に戻ろうか。話し合って、これからのことを決めるべきだ。これまでも、そうしてきた。
だが、ラッセルの足は、アルフォンのいる宿ではなく、エリザのいるクシャイズ城へ向かっていた。
「何者だ」
城の門は閉まっていた。近づくと、兵士たちが集まってきて、ラッセルはあっという間に囲まれた。全員が槍を突き立ている。ラッセルは両手をあげた。
「敵じゃない」
「じゃあ、なんだというのだ。酔っ払いが」
兵たちの奥から姿を現した巨漢の男が、そう訊ねた。夜の闇でもそれとわかる、灼熱を思わせる赤い髪と瞳。そして、圧倒的なまでの威圧感――。
ラッセルは、ごくりと唾を飲みこんだ。男の目が、ラッセルをじっと見ている。半端な答えであれば殺す、とでも言っているかのような瞳だ。
「おれを……帝国軍に入れてくれ! エリザ様の下で働かせて欲しい!」
ラッセルは赤髪の大男に、そう叫んだ。
「ふん、そういうことであれば、日が昇っているときに来るのだな。その顔、覚えておこう。明日おれの下を訪ねてくるがいい」
「失礼ですが、あなたのお名前は」
「ジャハーラだ、坊主」
ジャハーラはそう答えて、にやっと笑った。ラッセルを取り囲む兵たちが、次々と槍を下ろしてゆく。