☆1-6「私、強くなりたい。世界を変えられるくらい強くなりたい」
何度も何度も、槍に貫かれたときのミンの顔が、ヴィラの顔が、蘇る。嫌なのに、なかったことにしたいのに、どうしようもない事実として飲み込めと、何か大きな力に押さえつけられて、無理やりに口を開かれて、彼らの死を口の中に詰め込まれている。
苦しいのに、つらいのに、嫌なのに、エリザはそれを吐き出すことができなかった。口の中に入ったすべてを、咀嚼する。なかったことにできないのなら、せめて忘れないようにしよう。頭が理解するまで、ひたすら噛み続けた。忘れるな。この痛みに似た味を忘れるな。飲み込む。飲み込んだはずなのに、また同じ味をひたすらに咀嚼している。反芻しているようだ。
『エリザ……エリザ……』
ティヌアリアの声がする。
『泣いているの?』
エリザは、自分が顔を歪ませていることに気が付いた。
『エリザ……』
闇の中で漂っていた。踊り子のように、身体を中心に薄いベールが舞っている。
『何があったの?』
エリザは、途切れ途切れになりながら、ティヌアリアに眠る前の出来事を語った。ティヌアリアは最低限の相槌を打ちながら話を聞いてくれた。リアクションが少ないことがエリザにとっては救いだった。エリザは口から出ようとした言葉を一切遮ろうとしなかった。ティヌアリアがすべてを理解できたわけがない。それはエリザにもわかっていたが、口をついて出た言葉は時系列もめちゃくちゃで、支離滅裂だった。
昨夜の話をしていながら、急にアルフォンとの思い出話になる、ヴィラと遊んだときの話になる、ミンに連れられて雛見鳥に初めて行った時の話になる、ミンに拾ってもらった時の話になる、ミンに片思いしているラッセルの話になる、雛見鳥で働いていたときの話に戻る、変な客に絡まれてアルフォンが助けてくれた話になる、昨夜、雛見鳥で出会った不思議な冒険者風の男の話になる、彼の持っていた剣を盗もうとした話になる、盗みは良くないとミンに言い聞かされていた話になる、アルフォンやラッセルがいつも盗みをしていたから毎日ご飯が食べられていた話になる……。
ティヌアリアは、エリザが言葉に詰まったときにだけ、そっと言葉を貸してくれた。それは体調を悪くして吐きたくても吐けないときに、背中をそっとさすってくれるのに、よく似ていた。
ひとしきり言葉の羅列を吐き出し終えると、エリザはこう聞いた。
「ねえ、幸せがいつまでも続くかわからないって、前言ったのは、このことがわかっていたの?」
わかっていたのなら、教えてほしかった。エリザの言葉にはそういう響きが混じっていた。
『そういうわけじゃないわ。ただ、あなたが何か不幸にあいそうだな、ということだけは精霊が教えてくれていたわ』
「精霊?」
エリザは精霊のことをほとんど知らなかった。人間以外の種族――魔族やドワーフやエルフたちは精霊を使役することができるという。だが、人間の血が混じっている者のほとんどは、精霊を見る力が失われている。スラムに住むほとんどの人は人間と魔族の混血で、精霊を見ることができる人はほとんどいなかった。精霊の力を扱える者は、どこでも重宝される。好き好んでスラムに住むはずがなかった。エリザが精霊を知らないのも道理だった。
『ええ、そうよ。今もあなたを慕って周りにいるでしょう?』
エリザの身体を中心に、薄いもやのような様々な色が渦巻いている。
「この色のこと?」
『そうよ。彼らは色んなことを教えてくれるし、時に力になってくれる』
エリザは、雛見鳥であの剣の柄を握ったときのことを思い出した。あの時、エリザは気持ち悪いと思った。
『どうしたの?』
「血がこびりついたような色を見たの。私はそれで吐きそうになった」
『そう』
「ティヌアリアは、そういう色を見たことがある?」
『ええ、あるわ。戦士、暗殺者、狩人……。そういう人や動物の死にかかわっている人には、そういう精霊が宿りやすいわ。でも、吐き気を覚えるくらいに強烈な精霊だとすると、いったい何をしてきた人なのか私には想像することしかできないわ。大勢の屍を築き上げてきたか、これから築くのか。尋常じゃないことは確かだけれど』
エリザは冒険者風の男のことを思い出した。今にして思えば、あの吐き気を催すほどの血の色は、彼から漂っていたように思える。
エリザは彼のことを考えるのをやめた。それよりも、今のこと、これからのことだ。すべてをティヌアリアに吐き出しきって、エリザは落ち着いていた。
「ねえ、ティヌアリア」
『どうしたの?』
「私、強くなりたい。世界を変えられるくらい強くなりたい。私みたいな思いをする人がいなくてすむ世界を作りたい。それは、できるかしら」
ティヌアリアは、しばらく黙った。何かを考えているようだった。
『――ええ、できるわ』
沈黙の後、ティヌアリアはそう答えた。エリザには、ティヌアリアが答えをためらった理由が、この時はまだ理解できていなかった。
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スラムから馬を走らせて三日目の朝、ルイドは空が白むのを感じて目を覚ました。この三日間、常に同じだった。朝食にしようと思い干し肉を荷物から探ろうとして、テントの中にエリザがいないことに気が付いた。慌ててテントを這い出る。
あまりの眩しさに、ルイドは目を手で覆った。光は、陽の光ではなかった。強力な光を放っていたのは、小さな光の粒だった。それが無数に広がっていて、辺り一面を照らしている。地上に星々が落ちてきたようだ、とルイドは思った。
光の中心にいるのは、エリザだった。微かに、宙に浮いている。
だが、その表情は雛見鳥で見たときのような自信のなさそうな、誰かに頼りきった顔ではなかった。光の粒がきらめいて、エリザを照らしている。彼女のぼろぼろのローブさえ、神々しさをまとった天使の衣に見える。
ルイドは見とれている自分に気が付いた。この四十年間、一度たりともこんなことはなかった。黒女帝の復活の為にありとあらゆることをしてきた。探求公テドリックでさえも驚くであろう未開の秘境も訪れたし、太古の遺跡などいくつ踏破したか分からない。絶滅したとも言われるマーメイドにも出会ったし、火を噴く山に登り、竜も殺した。その中で美しいと思える光景を何度も見たはずだし、人と違うあらゆる経験をしてきた。その自分が、感動している。ルイドは驚くと同時に歓喜していた。
(おれは、このために生きてきたのだ――!)
ルイドは、頭を垂れた。右膝をつき、立てた左膝に右腕を乗せた。右手は心臓に当てる。四十年と少し前、黒女帝ティヌアリアに忠誠を誓った時と同じことをしている。ルイドの胸はひたすら喜びに満たされていた。
「この日を、どれほど待ち焦がれたことか。我が身命、もう一度捧げさせていただきます」
エリザが目を開けた。
「私はエリザ、あなたは?」
「ルイドと言います。かつて黒女帝と称されるティヌアリア様に忠義を果たした騎士であります」
黒女帝ティヌアリアに、背徳の騎士ルイド。吟遊詩人の奏でる物語の人物だと思っていた人の名前が挙がってエリザは少し驚いたようだったが、すぐに納得したようだった。ルイドは頭を下げたまま、気配だけでそれを感じ取った。
「――そう。私は誰も傷つかないですむ世界を作りたい。あなたはそれに協力してくれますか」
「御意」
エリザの手を取り、ルイドは手の甲にキスをした。