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ユーガリア戦記  作者: さくも
第3章 魔都攻略
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3-31「帝国旗を、掲げなさい」

 身体が、震えている。冬の夜風が手足の先から入り込んで、芯まで凍り付かせてゆくようだ。ターナーは、自分の顔から血の気が引いているのを感じた。頬の筋肉が痙攣している。

 寒い。辺り一帯、火の海だというのに、とにかく全身が寒さを訴えている。身体の節々が痛い。


 エリザを助けるために身を挺して燃え崩れた木を背で受けた。その時はまだ大丈夫だと思っていたのが、今は一歩一歩がとにかく重い。背中が、鎧の内側でひりつくように痛む。


「ターナー、大丈夫か」


 サーメットが訊ね、ターナーは何とか頷いた。一行に遅れないように歩を進める。


 だが、燃え盛る山を抜け出したときには、もうターナーは息も絶え絶えな状況だった。


「兄上、失礼します」


 ナーランがターナーの鎧を脱がせた。ターナーにはもう抵抗する気力も体力も残っていなかった。弟になされるがまま鎧を脱がされ、肌着をめくられる。

 ターナーは、背中でナーランが息を飲むのを感じた。


(そんなにひどい傷なのか……)


 ターナーはそう思ったが、傷の具合をナーランに訊ねなかった。訊ねても仕方のないことだ、という気さえする。ナーランは荷の中から傷薬を取り出すと、ターナーの背に塗りたくった。焼けるような痛みが走る。焼けているはずなのに、寒い。とにかく凍えるように寒い。手足が震えているのが自分でもわかる。


 脱いだ肌着は、血と何やら黄色い液体でべっとりと染まっていた。


「兄上、私の背に」


 腰を下ろして、ナーランが背を向けた。ターナーは倒れこむようにしてナーランの背にしがみついた。弟の身体が、やけに頼もしく感じる。

 ナーランが立ち上がった。ターナーは身体が鉛で出来ているような感覚を味わった。ひどく、身体が重い。重力に引っ張られている。地獄の底から冥王が手を伸ばして、地中に引っ張り込もうとしているのではないか、という気さえしてくる。


 エリザたちの姿を見た。エリザはずっと体調が悪そうだ。精霊術を使いすぎたのだろう。水の精霊を地の底から呼び起こしているのだ。ターナーにだって、それが身体に負担をもたらすことは容易に想像がついた。

 兵たちの背に乗るのを、エリザは嫌がったようだ。レーダパーラがエリザに寄ってきて、手をつないだ。それで幾分か、エリザの顔に生気が戻ったようだ。


 火の精霊を支配下に置こうにも、あまりに広域に火炎が広がりすぎていた。そして百人の道を作る為にエリザは消耗し、サーメットたち兄弟は降りかかる火の粉を払うような働きをするのが精一杯だった。そのすべてを支配下に置くのは到底不可能だった。


(だが、だからといって――なぜ、おれは身を挺してまで、あの少女を守ろうとしたのだ?)


 不意の出来事だった。他にエリザの身を護る方法は、とっさに思いつかなかった。

 いや、違う。そうではない。考える前に、エリザを助けようと身を投げ出していた。


(なぜだ……?)


 薄れゆく意識の中で、ターナーは考え続けた。

 本来、ターナーたち三人は、ジャハーラの陣営にいるべき者たちである。エリザが死んでいれば、この騒乱は収まる。そして、三人はジャハーラの下で新体制に協力すれば良い。それですべてが、あるべきところへ収まったはずだ。


(なぜ、おれは彼女を助けたのだ……)


 何度考えても、答えは出ない。


 燃え盛る山を脱出した一行は、戦場の様子を見渡せるであろう丘を目指した。遠くの戦場の様子を、山の炎が微かに見せてくれる。まだ戦闘は続いているようだ。遠くに魔都の明かりが、ぼんやりと映る。


 緩やかな斜面を登る一行に、ぽつり、ぽつりと雨が降り注いだ。陽が落ちる前は快晴だったのに、いつの間にか雨雲が空を覆い隠している。ターナーは空を見上げた。星のきらめきが、見えない。


「山火事が、この雨で収まると良いが」


 横を歩くサーメットが言った。サーメットは、ターナーが身を挺してエリザを助けたことについて、何も言わなかった。ナーランもそうだった。

 二人とも、迷っているのだ。兄でさえ、思い切りのいい弟でさえ、迷っている。


 何に?

 ……決まっている。


 クイダーナの未来を誰に預けるか、迷っているのだ。


 雨が降る。ターナーは身体中の感覚が薄れてゆくのを感じていた。雨に打たれて、冷気が身体を蝕んでいる。途中、サーメットが自身のマントを脱いでターナーにかけてくれた。それを見た兵たちも、同じようにマントを脱いで、かけてくれた。


「ターナー様、どうか今しばらくのご辛抱を」


 マントをかけてくれながらそう言ったのは、ターナーに同行を求めてきた負傷兵の一人だった。片腕を落とされ、ルイドの軍への参加は認められなかった者だ。

 ターナーは返事をしようとしたが、言葉は出なかった。声を発しようとしたが、唇が言うことをきかない。


 やがて、丘の頂が近づいてきた。辺り一面、岩肌である。先ほどまで拠っていた山のように木々が生い茂っているわけではない。


「岩に隠れるようにして幕舎を設営します」


 スッラリクスが、エリザに言っているのが聞こえた。


「隠れる必要はないわ。むしろ堂々としていなさい。あそこに見える広場なら、幕舎を立てるにもちょうどいいはずよ」

「しかし、エリザ様、我らはわずかに百余名。敵に見つかり、攻められよう物なら一たまりもないのですよ。いくらエリザ様に魔力があるとはいえ……」

「みんなが戦っているのよ」

「エリザ様が討たれてしまえば終わりなのです」

「この闇と雨の中で、私たちの姿に気づいてここまで攻め寄ってくる余力が敵に残っているのだとしたら、それは戦っている者たちが敗れたということに他ならない。そうよね? ――そして、この戦いに敗れるようなら、どの道、それまでだったということよ」

「……わかりました。そこまでおっしゃるのであれば、あそこに設営いたしましょう」


 幕舎が張られた。

 ターナーは寝台に移された。エリザとレーダパーラが寄ってきた。


「世界樹の朝露があるんだ」


 虹色の、大きな瞳を輝かせながらレーダパーラが言った。小瓶を手に握りしめている。


(それは貴重な薬ではないのか)


 ターナーは、そう言葉を発しようとしたが、声は出なかった。唇が、喉が、もう言うことをきかない。ひどく、寒い。


 おれは、死ぬのか? 何も成せないまま、この戦いの行く末を見届けることもできないまま……? ターナーは答えを探すように視線をさまよわせた。

 エリザと目が合った。エリザは、何も言わずに、じっとターナーの瞳を見つめていた。悲哀、感謝、それに慈愛が、ひとところに混じったような悟った瞳だ。何もかも見透かしている。ターナーは、エリザの瞳を長く見ていられなかった。赤い瞳の奥は、どこまでも深い闇に染まっている。深淵のようだった。


 ナーランが、ターナーの身体を起こした。ターナーは成されるがままだった。背に、レーダパーラが世界樹の朝露を塗った。ひんやりと冷たい液体が背中にかかる。痛みは感じなかった。


「エリザを守ってくれて、ありがとう」


 レーダパーラが言った。


 意識が遠のいてゆく。泥酔した時に似ている、どこか引きずり込んでくるような睡魔に、ターナーは身を委ねた。


「旗を、掲げなさい」

「エリザ様、まもなく夜明けです。それはあまりにも危険で……」

「ルイドや黒樹やディスフィーアが、必死で戦っているのよ。もう、騒音もほとんど聞こえない。戦いが終わった、ということよね。死に物狂いで戦って、夜が明けてみたら集う場所がわからないのでは、それは戦った者たちにあまりに失礼だと思わない?」

「しかし」

「スッラリクス、何度も言わせないで。私はやりなさいと言っているの。帝国旗を、掲げなさい」


 声がする。エリザとスッラリクスの声のようだ。他の音は何も聞こえない。兵たちの声も、生活音も、何も聞こえないというのに、エリザとスッラリクスの声だけが、やけに鮮明に聞こえる。

 雨も、もう止んだのか。ターナーは目を開け、立ち上がった。


 身体が、まるで重力を感じていないように軽い。幕舎を出た。雨はもう上がっていた。山火事を抑えるために、天が降らせたかのようだ。


 丘の先、最も目立つところで、二匹の蛇が絡まり合って、はためいている。クイダーナの帝国旗だ。地平の先から差し込む光に、帝国旗が映える。

 不思議と、寒さは感じなかった。ただただ神々しさだけを感じている。


 旗のすぐ近くに、エリザがいた。エリザはもう、疲れた様子を見せていない。凛として、そこに立っている。


 旗に近づき、丘の上から戦場跡を見下ろした。流砂のように、人が集まってきている。陽光の中で、クイダーナの帝国旗を見つけたのだろう。ルイドの姿もある。遠くに、一角獣の姿も見える。


「勝ったのか」


 呟いた。ターナーは自分がまだ声を発せることに、そのときようやく気が付いた。


 ターナーは帝国旗を見た。大きな旗だ、と思う。旗を支えているのは、片腕を失った負傷兵だった。残った片腕で、旗をしっかり押さえて立っている。


「代わろう。いや、代わらせてくれ」


 負傷兵は、ターナーの姿を見て「しかし」と言った。一瞬、顔を伏せ、それから「わかりました」と言って、旗を渡した。


 ずしり、と重さを感じた。先ほどまでの身体の軽さは何だったのか、というほどの重さだった。ターナーは精一杯の力で、旗を支えた。


 もし……


 もし本当に、未来を託す相手を選べるのであれば、自分の生に意味を持たせてくれるのなら……

 世界を変えると言い切れる人に、未来を預けたい。


 ターナーは、力が抜けてゆくのを感じた。先ほどまでの軽さが嘘のようだ。身体が、鉛になったように重い。


 帝国旗が、倒れる。

 それだけは絶対にいけない。旗を、支えなければ。


 倒れかけた旗が、支えられた。最期に残った力を振り絞って、ターナーは顔をあげた。


 二人の兄弟だった。サーメットとナーランが、旗を支えてくれていた。

 十分だ。ターナーはそう思った。二人とも、ついに決めたのだ。クイダーナの未来を預けるべき相手を、しっかりと見定めたのだ。そして、自分は、未来を託すべき人を護ることができた。二人がこれから先は自分の代わりを果たすだろう。だから、十分だ。


 ターナーは沈みゆく意識の中で、最期に朝日を見た。

 クイダーナの大地が、真紅に染まっている。美しい光景だ、と、ターナーは思った。

応援ありがとうございます。

あともう少しで、3章も終わります。

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