3-29「編成を見切った上で戦術を立ててきたというのか」
アーサーの目には、闇の中で無数の光虫が蠢きだしたように見えた。松明の火が乱暴に振り回され、近づいてくる。
迫ってくる人間族に、駆け寄ってくる味方、さらに追ってくる反乱軍が混ざり合い、一つの巨大な影を作り上げている。前衛のカートの部隊から、人間族が裏切ったという合図は受けていた。そして、今はそのカートの部隊も総崩れになっている。
「銃兵隊、構え! 火の精霊術を扱う者は、なるべく遠方に火の球を飛ばせ。少しでも光源を確保し、銃の精度をあげよ」
ルーン・アイテムの内、火と風の精霊を主として、筒の中に込めた鉄や鉛の球を撃ち出す武器を、銃と呼ぶ。弓矢より遠くまで飛び、風の精霊術を使っても防ぎきれない高い殺傷能力を持つその武器は、ルーン・アイテムの中でも特に汎用性が高い。
アーサーの部隊はその銃を、百丁以上も揃えていた。逃げようとする人間族の部隊を後ろから睨むだけの役割では無用の長物と思っていたが、まさか使うことになろうとは。
「さすがはルイド将軍だ。父上の編成を見切った上で戦術を立ててきたというのか」
アーサーは英魔戦争で共に戦ったルイドの姿を思い出した。漆黒の鎧を身にまとい、人間族最強とさえ称えられた高潔の騎士。
ルイドが貴士王ダーンデッドを裏切り、黒女帝ティヌアリアに仕えさせて欲しいと願い出てきたとき、若かったアーサーは訝しんだ。だが、父ジャハーラはまったく反対しなかった。
今にして思えば、あの時、純血種であるジャハーラにも、ティヌアリアにも、ルイドが嘘をついているわけではないことはお見通しだったのだろう。
ルイドを不信がる者は軍内にも多かったが、ルイドは戦功を上げ、ティヌアリアへの絶対の忠誠心を示し、信用を勝ち取っていった。
その時に共に戦場に立っていたジャハーラの性格を、ルイドが見抜いていた。そうとしか考えられない作戦だった。ジャハーラを戦場から引き離し、最前線の人間族を反転させる。カートの率いる八千は、五千以上の人間族に突っ込まれた挙句、ルイドの率いる反乱軍本隊によって潰走させられている。
魔都へ籠るにしても、アーサーの部隊だけが引き返したところで状況は好転しない。むしろ、残ったカートの部隊が各個撃破されるだけだろう。
ならば、ここで食い止める他に選択肢はない。
銃撃が味方に当たる可能性もあるのは承知していた。だが、ここで撃たねば、より大きな犠牲を出しかねない。
「撃て!」
精霊術による火炎が視界を覆い、銃火器の爆発音が轟く。
先んじて突っ込んできていたのは、人間族の兵たちだった。まだ距離があるのでそう死者は出ていないはずだが、音と光だけで十分に威嚇になる。人間族が裏切った原因である魔都の小火はもう消火の報告が上がっている。侵入した敵はごく少数のようだった。捕らえるには至らなかったようだが、脅威になる程ではない。
敵の流言で人間族が反転してきているのは明らかである。一度、冷静にさせて誤解だと認識させられれば、こちらに攻撃を仕掛けてくるのさえやめるかもしれない。
アーサーは、自分の判断が正しかったと思った。前を駆けてきていた人間族の兵たちの足が止まった。
不意を打たれた形になったカートとは違い、アーサーの部隊は布陣を整えている。無闇に突っ込んでくるようならば、銃撃と精霊術の攻撃を受けるのは目に見えている。
今は戦いの流れが反乱軍に味方しているが、それは人間族の部隊が敵方に流れたからである。
再度、こちらの味方につけられずとも、せめて動かないでいてくれるだけでもいい。数の上では、圧倒的にジャハーラ軍の方が多いのである。そして、こちらには遠距離戦闘に分がある。
「撃ち続けろ。明らかに味方だとわかる場合以外は、すべて敵だという認識で構わん」
カートは上手く逃げ切るはずだ、とアーサーは思った。そうして英魔戦争も生き延びたのだ。
二射、三射目が放たれた。明らかに、敵の勢いが削げている。
いいぞ、とアーサーは思った。この調子で時を稼げば、それだけで勝てる。
そう思った矢先のことだった。背後から喊声が上がった。布陣そのものが揺らぐように、アーサーは感じた。
「何事だ!」
「て、敵襲です! 背後から敵が現れました!」
バカな、とアーサーは思った。背後にあるのは魔都だけだ。侵入した敵兵によって小火は出してしまったようだが、それも既に鎮火したという報告も受けている。
それにどこに兵を隠していたというのだ。敵は兵力を分散している余裕などなかったはずだ。
陣の後方は輜重部隊と救護班ばかりである。たやすく打ち破られてゆく。
バカな……とアーサーはもう一度思った。冷や汗が、兜の中で垂れる。魔都に小火を起こしたのは少数ではなかったのか。
「重装部隊を反転させろ、後方支援に回すんだ」
「正面の敵も勢いを取り戻しています!」
「ええい、銃撃を止めるな!」
混乱する頭で何度考えてみても、敵が魔都側に兵を配置する余裕などなかったように思えた。
だが、それはあくまで、ジャハーラに付き添って魔都に入城してからの話である。
その前から、もともとそこに兵がいたとしたら? 伏せてあったのではなく、そこに「いた」のだとしたら?
冷や汗が、兜の中を濡らす。
――スラム=ルイド。
背徳の騎士ルイドの名を冠したスラム街の存在に、アーサーは今更気が付いた。
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火の回りが、想像以上に早かった。
山の頂に陣を構え、いわば囮の役割を果たしたエリザたちは、火の手から逃れるように山を下っていた。移動できるようにエリザが精霊術で火を消すが、少し進むとまた火が回っている。
共に移動するのは、スッラリクス、レーダパーラに、護衛の兵百余である。その中には、サーメット、ターナー、ナーランの姿もある。
「エリザ、大丈夫?」
レーダパーラが訊ねた。エリザは「大丈夫」と答えた。そんなに辛そうに見えるのかな、とエリザは思った。スッラリクスたちの手前、なるべく平静を装おうとしていたが、火を消すのはなかなかに重労働だった。
水がないのだ。水の精霊術を使うために、土の精霊に語り掛け、地の底から水を運んで、ようやく消火に当たれる。そして想像以上に火の回りが早いのだ。精霊術の使い過ぎで、身体が重い。
「ディスフィーアは上手くやってくれているようですね」
スッラリクスが言った。エリザは顔を上げた。遠く眼下で騎馬同士の戦いが繰り広げられているのが、おぼろげに見えた。白い影が、ジャハーラの騎馬隊を撹乱している。
「とはいえ、そう長くは持たないでしょう」
「ねえ、スッラリクス。フィーアは死なないわよね」
「……そう、願っています」
エリザはわずかな間、目を閉じた。大地を蹴るディスフィーアの騎馬隊の振動だけを、精霊に拾わせる。もう、五十騎も残っていない。出撃した時には五百を数えていたはずだ。
スッラリクスは、たぶんこの戦でディスフィーアが死ぬと思っている。それだけ厳しい戦いを、ディスフィーアには強いている。ジャハーラの足止めにあたった騎馬隊は恐らく壊滅だろう。それは、ルイドが作戦を話した時に、エリザにもわかっていたことだった。
目を開けた。ディスフィーアとジャハーラの戦いの様子は、まるで大男が羽虫を叩き落そうと、大剣を振り回しているようだった。本来、戦いにもならないはずの戦いを、ディスフィーアはしている。
わかっていて、死地に向かわせたのだ。それなのに、生きていて欲しいと思っている。
(……なんて我儘なんだろう)
エリザは、胸が苦しくなるのを感じた。
熱気が、辺りを支配していた。エリザは息苦しさを感じて、うずくまった。
火炎の音、何かが燃え、崩れる音がした。
「危ないっ!」
エリザは突き飛ばされて、地に手をついた。振り返る。倒れた木を、ターナーが背で受け止めていた。すぐに兵たちが、ターナーを助け出す。
「良かった、エリザ様がご無事で」
顔中に汗を浮かべながら、ターナーが言った。
「ありがとう。それにしてもひどい怪我を……」
「大したことではありません……。さあ、急いで山を下りましょう」
エリザに心配をかけないようにと、ターナーが無理に笑顔を作ったのが、エリザにはわかった。
立ち止まっている暇は、今はないのだ。悔やむのも、礼をするのも、なぜ助けてくれたのか問うのも、後で良い。エリザは自分にそう言い聞かせると、立ち上がった。
相変わらず息苦しさはある。それでも、この火の海から逃れなくてはならない。