3-28「家族を守る為に戦おうとする者の、我らは味方である!」
轟々と燃える木々の中でも、驚くほどにエリザの声は良く通った。それが精霊術によるものだとわかっていても、どこかエリザをティヌアリアに重ねてしまう自分に、ルイドは気が付いた。自分自身に対して、苦笑する。
ルイドは山の麓に軍を隠していた。馬はすべてディスフィーアの騎馬隊に回したので、ルイド自身も徒である。
人間族の部隊と何度かぶつかった後、わざと兵を引いたのだ。それで反乱軍の本隊が後退したと踏んだ敵の右翼が動いた。ルイドはこのタイミングを待っていた。
山の上から情勢を見続けてたエリザが、火の玉で魔都に合図を送った。手薄になった魔都で、ダークエルフの部隊が火をつけて回っているはずだ。
もともと人質があるからジャハーラについた人間族の兵である。ジャハーラの人間族への恨みも、とくと目にしている。
ルイドの目論見通り、流言は大いに効果を成した。それも、エリザは魔の精霊を使って混沌に輪をかけたようだ。ジャハーラへの不信が広がるのに大した時間はかからなかった。
「家族がいるんだ! 魔都へ戻るぞ!」
「くそ、どけ!」
「あいつら……騙しやがったんだ!」
口々に大切な人の名を叫びながら、山を攻めていた人間族の兵たちは魔都の側に向けて反転した。雪崩が起きたようだった。人の海が、山から駆け下りてくる。手にした松明の火が動き、地面が揺れる。
山攻めに加わろうと動いてきた敵の左翼に、人間族の部隊は突進していった。
ルイドは精霊殺しを腰から抜き、天に掲げた。
「エリザ様の名の下に、義を持って人間族の部隊に加勢する! 家族を守る為に戦おうとする者の、我らは味方である! ――続けっ!」
歯の浮くような台詞だ、とルイドは思った。だが兵の士気を高めるには十分だった。闇の中で埋伏して不安が宿りかけていた兵たちの心に、火が灯るのを、ルイドは感じた。
この感覚は、久しぶりだ。肌がひりつくような、熱気に包まれたような、高揚感。
兵たちの魂を震わせ、自分の心を起たせる、熱量。
指揮下の兵たちに、言葉を通して感情が伝播する。それは精霊が見えないルイドでも、肌で感じられる。
人間族の兵の反転によって綻びのできた敵の右翼に、ルイドは突っ込んだ。敵の兵数は約八千、こちらは五千と言ったところだ。だが敵は人間族の猛攻を受けて陣が乱れている。
「立ちふさがる者はすべて斬れ! 混乱に乗じて突っ込め!」
すれ違いざまに敵兵を斬り殺しながら、ルイドは声を張り上げた。暗闇の中で敵だ味方だを判別するのは困難を極める。多少の同士討ちを覚悟してでも、機を逃すわけにはいかない。そして、混戦になれば指揮が必要なくなる。
ルイドは最前線で、精霊殺しを振り続けた。松明の火と、精霊術による炎が、闇の中で交錯する。
火の動くところに、剣を振るう。闇夜に白刃が煌めき、肉を、鎧を割く衝撃が伝わる。
新たに斬りかかって来た敵の攻撃を精霊殺しで受け流すと、よろめいた敵の胴を真っ二つに断ち切った。ルイドが一人突出して、敵に斬りこむ形になった。
ルイドの勇戦ぶりに、敵がたじろぐのが分かった。あちこちで轟々と炎の音が上がり、金属音がこだましている。ずいぶん押した、とルイドは思った。敵も踏ん張ってはいるが、もう一押しで崩しきれる。人間族の兵たちのほとんどは、敵軍の中を突っ切って行ったようだ。敵陣はずたずたになっている。
もう一押しだ。それでこの敵は崩れる。ルイドは再度そう思った。後ろに続く味方も、ほとんど減っていないようだ。ディスフィーアの率いる騎馬隊も、まだジャハーラの騎馬隊を引き付けている。だが、そろそろ限界だろう。魔都から煙が上がったことにはジャハーラも気が付くはずだ。そうなれば、ディスフィーアのたった五百騎など振り切って戻ってくるに違いない。
ジャハーラの騎馬隊が来るまでに、どこまで崩せるかだ、とルイドは思った。潰走させてしまえば、さしものジャハーラといえど、疲弊した騎馬隊だけで突っ込んでは来ないはずだ。
「百人隊ごとにまとまって敵を食い止めよ! 密集隊形を崩すな、駆け抜けてゆく敵を追う必要はない! 千人長は戦線を見極めつつ、順に後退の指示を出せ」
指揮官の姿を見つけた。一人だけ馬上である。ルイドは駆けた。ルイドに気づいた敵兵が斬りかかって来たが、一刀の下に斬り捨てた。後続の兵たちがついてこらていないのは分かったが、ここで指揮官を討てれば、という気持ちが先走った。
敵の指揮官が、ルイドに気が付く。投げつけられる火の球を、ルイドは精霊殺しで払った。
赤い瞳に、白髪交じりの赤い髪。外見の年齢だけなら、ルイドよりも上に見える。初老と言ってもいいだろう。
「ルイド将軍……」
驚きに目を見張る男に、ルイドは斬りかかった。
一合目を、男は馬上から剣で受けた。熱を感じて、ルイドは飛びずさった。敵の発した火炎の球が、大地をえぐるようにして燃え散る。
「ジャハーラ公のご子息か。できることなら殺したくはないが……。大人しく眠っていてはくれないか」
「私も、あなたとやり合って勝てる、とは思っていませんよ。私は歳をとったが、あなたは英魔戦争から数年の歳月しか重ねていないようだ」
人魚の血を吸ったのだ、とルイドは答えなかった。黙って精霊殺しを構える。
「ルイド将軍、覚えておいでか。私はカート、英魔戦争の頃はまだほんの子どもでした」
カートを守るようにして、二十人ほどの兵が布陣した。ルイドは、自分の味方が追い付いてきていないことに気が付いている。
「いまも、おれにとっては子どもさ」
言葉を返す、というより、呟きに似た発言だった。ルイドは敵の従者の一人に斬りかかった。頭を狙った斬撃は、しかし盾で弾かれる。
金属の打ち合う乾いた音が響き切る前に、ルイドは手の内で剣を回し、そのまま敵兵の胴を両断した。
「見事な物です、剣術の冴えは、より磨きがかかったのではありませんか」
「昔話に興じるつもりはない」
カートは話ながら、距離を取っている。その間に入るように、敵の兵が立ちふさがる。松明の炎が、生きているように蠢く。
ルイドは剣を振るった。血しぶきが舞い、敵兵が倒れる。
「囲い込め。いくら背徳の騎士と言えど、四方から斬りこまれれば防ぎきれん!」
いくら強いとはいえ、ルイドは一人である。後続の兵たちはまだ追い付いてこない。
ルイドは回りこもうとしてきた敵を斬った。三人目を斬り殺した時、すでにカートの姿は松明の火の奥に消えている。
「逃げるのか! 炎熱の大熊公のご子息ともあろう者が!」
カートが何か言い返したが、燃え盛る炎と戦の騒音に遮られ、ルイドには届かなかった。ルイドは思わず舌打ちをすると、背後に回りこもうとしてきた敵兵を斬り殺した。
だが、カートが引いたことで、敵は明らかに崩れている。ずいぶん近くで剣戟のぶつかり合う音がする。味方も近くまで押してきているようだ。
地上からでは、まだ魔都は見えない。その前に布陣した敵の無傷の部隊の松明とかがり火が見えるだけだ。カートが今の部隊を率いていたということは、あちらはアーサーの部隊だろう。ルイドはかつて英魔戦争で共に戦ったアーサーの姿を思い出した。あの頃はまだ青年だったが、今はもう老年の域に入っているはずだ。
遠く、アーサーの部隊から閃光が走り、遅れて、乾いた爆発音が、戦場に轟いた。
「……ルーン・アイテムか」
魔都を守る形で布陣したアーサーの部隊が遠距離攻撃の可能なルーン・アイテムを装備しているようだ。弓矢や精霊術より遠くに届き、殺傷能力が高い――
「銃か、周到なことだ」
まだカートの部隊は合流できていないはずだ。それも夜闇の中で、敵味方の判別が難しい中に撃ち込んでいる。人間族の部隊がカートの部隊を突っ切ったことで、アーサーが指示を出したのだろう。非道だ、とはルイドには思えなかった。指揮官としては当然であり、優秀な決断である。
カートの部隊が崩れた今、アーサーの部隊が崩れれば、魔都は丸裸になる。持ちうる力を出し切って、死守を図るのは当然である。若い頃とは違うではないか、とルイドは思った。
先に駆けて行った人間族の部隊は、銃撃にひるんだようだ。闇の中で命中率はそう高くないはずだが、音と光だけでも十分に威嚇になる。さらに不用意にも近づきすぎた者たちは精霊術の餌食になっている。
いまぶつかったカートに部隊に精霊術を使う者が少なかったのは、アーサーの部隊に回していたからのようだ。
あと一手は、まだ残している。だが、そこまでだ。
これから先は運だ、とルイドは思った。