3-27「できないなんて、いってないわ……」
後ろの騎馬隊が、ジャハーラに捕捉された。精霊術の明かりが、赤い大地を照らし出している。
ディスフィーアはユニコを慌てて反転させたが、時はすでに遅かった。ジャハーラの率いる騎馬隊が、ディスフィーアの騎馬隊の横腹に突っ込んでゆく。
「ユニコ、お願い、あそこまで駆けて!」
ディスフィーアの悲痛な叫びに、一角獣は応えた。風のような速度で、ジャハーラの騎馬隊の先鋒とぶつかる。だが、たった一騎だ。
血の雨が降っていた。ディスフィーアの自慢の髪に、その雨は降りかかる。味方の血だ。
横腹を貫かれた形になった反乱軍の騎馬隊は、成す術もなく崩され、討ち取られてゆく。たった五百の騎馬隊だ。五千騎に突っ込まれてしまえば勝ち目などあるはずがない。
ディスフィーアは抗うように、血の雨の中を駆けた。風の精霊をどんなに集めても、騎馬の行く手を遮ることはできない。それでもディスフィーアは風の壁を作ろうとした。精霊の集まりが悪い。ジャハーラが精霊のほとんどを支配下に置いているのだ。
叫んだ。剣を振るい、敵の騎兵の喉を切っ裂いた。ユニコは疾風となって、五千の騎馬に逆走して駆ける。ディスフィーアはすれ違った敵兵を斬り殺した。返り血で、ユニコの白い毛が染まる。
無我夢中で敵の騎兵隊を斬り殺し、人馬の群れを抜けた。十人は斬ったはずだ。
ユニコが、足を止めた。敵の騎馬隊が遠くに見える。ジャハーラの騎馬隊は全員が、闇の中でも居場所を知らせるルーン・アイテムを装備している。
ディスフィーアはしばらく、肩で息をした。
恐怖は今更になってやってきた。死んでいてもおかしくはない行動だった。だが、そうしなければならなかった。身体が先に動いて、恐怖は遅れてやってきた。
闇の中に散った部下たちが、集まってきた。一角獣の姿は闇の中でも白く映える。戻ってきたのは、わずか百騎余りだった。
ジャハーラの騎馬隊も、隊列を整え直しているようだ。すぐに攻めてくる気配はない。
遠くに、父の背中が見えた気がした。
灼熱のような髪だ、とディスフィーアは思った。父が、恐ろしい。
ジャハーラは隊列を整え直すと、反乱軍の本隊が潜む山の方へ進んでいった。もう、ディスフィーアの騎馬隊は脅威ではないと思ったのだろう。山からはずいぶん離れてしまった。反乱軍は火を灯していないから、戦況は確認のしようがない。
(頑張ったわよね……)
ディスフィーアは震える手で、ユニコの首筋を撫でた。
ふと、ルイドのバカにしたような笑みが脳裏に浮かんだ。ジャハーラの足止めをするよう指示をした時の台詞が蘇る。
「……できないか?」
ディスフィーアは、駆け去ってゆく父の騎馬隊を睨み付けた。
「できないなんて、いってないわ……。やってみせるわよ」
ぐっ、と拳を握りしめた。心なしか震えが収まったような気がした。
ディスフィーアは百騎の兵をまとめると、ジャハーラの騎馬隊の後ろを追った。ジャハーラが、一角獣の姿に気づいたようだ。騎馬隊が反転してくる。
どこまでやれるだろうか。ディスフィーアは弱音を飲み込んだ。
「駆けるわよ! 戦う必要はない、ただ敵の横を駆け抜ける。遅れたら死ぬわよ!」
少しでも、時を稼ぐ。ルイドの指示は、そうだったはずだ。息を吸う、吐く。
「やるわよ。やってみせるわよ!」
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
山に拠った反乱軍の本隊は、攻め来る人間族の部隊を、闇に紛れて各個撃破していた。
エリザは、山の頂からその様子を見ていた。松明を持った人間族の部隊が、ルイドの率いる攻撃部隊に襲撃され、飲み込まれてゆく。闇に飲まれているようだ、とエリザは思った。
「人間族の部隊も必死ね。山には罠があると分かっていてなお、進んでくる」
「家族を人質にとられているのです。それも、後ろには見張るように魔族の軍勢が構えています、逃げ出すわけにもいかないでしょう。それに貴族たちの処刑の場面も見ているはずですから、ジャハーラ殿の熾烈さも良く知っている、ということでしょう」
脇に控えるスッラリクスが、そう答えた。
山の頂にいるのは、スッラリクスの率いる百人あまりの部隊だった。残りの兵はすべてルイドが率いて、山の麓で交戦している。
「……恐怖で縛り付けているのね。大切な人を盾にとって」
「エリザ様、それはすべての世に言えることです。食糧を、水を、土地を、家族を、何らかの対価を得て、人は動きます。ジャハーラ殿は、家族の命と自分の命、という兵たちにとって最も大切な物を対価に、彼らに攻撃を命じているのです」
「それで死んでしまうとしても?」
「逃げ出しても殺されるでしょうから、それならば家族の命を守って戦う、というのは非常に道理に適っています」
エリザは、それ以上の疑問を口にしなかった。たとえどんなに理不尽に感じても、それが世の中という物なのかもしれない。
騎馬隊どうしの戦いは、すでに遠くに移動している。ディスフィーアはルイドの指示通り、ジャハーラの騎馬隊の足止めに成功しているようだ。
人間族の部隊は、ルイドの猛攻にあって数を減らしながらも、山を登ってくる。ルイドは麓を抜けた兵を無理に追わない。まとまりを崩すだけだ。
山の中には、時間が許す限り、罠を仕掛けてある。十人単位の伏兵も多く隠してある。そう簡単に、山の頂までは来れないだろう。
山の頂からは、敵の布陣が良く見えた。人間族の部隊を前衛にして、魔都の周辺に一つの大きな塊がある。そして、右側にもう一つ大きな塊がある。
「おそらく、指揮しているのはジャハーラ殿のご子息のアーサー殿とカート殿でしょう。両軍ともに約八千、というところでしょうか」
「あの右側に布陣している方が、次に攻めてくるの?」
「ええ、こちらから見て右側、つまり敵の左翼ですね。ジャハーラ殿の騎馬隊が攻めてこられないのであれば、次に動くのはあの部隊でしょう」
魔都側に布陣した部隊は、かがり火を焚いて野営に入っている。あくまで予備隊なのだろう。対して、右側の部隊は営舎を張らず、臨戦態勢で構えているようだ。松明が揺らめいている。
戦いが始まってから、二刻程が過ぎた。眼下の人間族の部隊が、一斉に山を登り始めた。麓で応戦していたルイドも、攻撃を仕掛けない。松明の火が、一斉に山を登ってくる。敵は方々の木に火をかけた。山が焼かれる。半刻も立たぬ内に、煙のせいで眼下の状況が見えなくなった。
エリザは風の精霊を集めると、煙を払った。眼下の火が近づいてきている。山に火をかけておいて、山頂のエリザたちを目指して攻めてきているのだ。火の海になってしまえば、自分たちも助からないというのに……。
敵の左翼が、動いてきた。
人間族の部隊が山に取り付いたのを見て、優勢だと判断したのだろう。山の麓に移動してきている。松明の火が、あちこちに上がっている。
「エリザ様」
「わかってる」
エリザは火の玉を作ると、天に向かって投げた。
脳天を衝き割るような音がして、火の玉は山頂の遥か上空で爆発した。
火の粉が、雨のように降り注ぐ。エリザは再度、風を起こして煙を払った。遠く、魔都を見る。ルーン・アイテムで仄かに照らされた魔都から、煙が上がっている。
「あの煙を見なさい! ジャハーラ卿は、あなたたちのいない間に人質を皆殺しにするつもりよ」
エリザは、眼下に迫る人間族の部隊に聞こえるように、声を張り上げ、風の精霊に声を響かせた。
「魔都に家族がいる者よ、大切な人がいる者よ、魔都に戻って抱きしめてあげなさい。私たちも、魔都を解放するのを手伝うわ。ジャハーラ卿の恐怖に打ち勝つのは、今よ!」




