3-26「ルイド、どこだ! 炎熱の大熊公ジャハーラが相手になる!」
本来攻めてくるのは反乱軍の側なのに、ジャハーラは自ら打って出ることを選んだ。反乱軍の兵糧の事情も大方察しがついている。このまま魔都に籠れば、いずれ瓦解するのは反乱軍の側だ。
わかった上で、ジャハーラはなお、魔都から打って出た。それは王国貴族の下にいようと、魔都を掌握しようと、変わらないジャハーラの矜持であった。
「父上、ゼリウス様には使者を出さなくていいのですか」
「いらん」
アーサーの問いに、ジャハーラは短く答えた。
「布陣は、いかがなさいますか」
「人間族の部隊を最前線に出せ。その後ろにアーサーとカートが魔族と混血の混成部隊で二軍に分かれて待機。おれは騎兵を率いて出る」
カートの問いに、布陣の指示を出した。
二人とも、反乱軍を倒した後のことは訊ねない。王国貴族を処刑しながら反乱軍との合流もしない。その選択肢に果たして未来があるのかどうかを、二人は決して訊ねない。未来があるかどうかではないのだ、とジャハーラは思った。未来は後に続くものだ。現在を生きる者は、いまその時を全力で駆ければいい。
得のない未来の為に、四十年の歳月を無駄にした。自分へ言い聞かせるように、ジャハーラはそう思った。
反乱軍は山に拠って布陣していた。ジャハーラは斥候からの情報をまとめると、兵を率いて魔都を出た。
ジャハーラの率いる軍は、総勢三万である。魔都内にはわずか二千の守兵を残しただけで、残りは全軍で出撃した。
「正面、主攻は人間族の部隊に行かせる。敵は背徳の騎士ルイドだ、犠牲は必ず出る。アーサーの率いる八千は魔都を背に、人間族の部隊の後ろにつけ」
「人間族の部隊は、捨て駒にする、ということですか」
「魔都内部に人質がいる限り、逃げ出すこともせんだろう。アーサーの部隊は精霊術師を厚く編成してある。人間族の部隊で妙な動きをする者がいれば、その背を精霊術で衝け」
「背水に追い込む、というのですね。死兵にすると」
「どうせ王国軍との戦いでは役に立たんだろう」
人間族の部隊にはルーン・アイテムも持たせていなかった。人質を取っている。貴族を磔にすることで見せしめも十分だ。少しでも反乱軍の兵力を削ってくれればそれでいい。
ただでさえ、人間族には四十年にわたる恨みがある。死に兵にすることに、ジャハーラは何の迷いもなかった。
「アーサーの軍を中心に、カートは左翼に。おれは騎馬隊で右翼につく。主攻の人間族で山を攻めさせ、綻びが出たところをおれが崩す。カートは山からあぶれて出てきた反乱軍の本隊を追う役目だ。アーサーは魔都を背にしたまま動くな。反乱軍が魔都を攻める可能性は低いが、万一ということもある。たとえば山に拠っているように見せている敵軍が陽動で、本隊は迂回して魔都を攻めようとするということも、ルイドならやりかねん」
敵の兵力はせいぜい六、七千というところだろう。たとえ山に拠っているように見せかけているのが陽動だとしても、そこに一千の兵を割いていれば残りは五千。魔都の近くでアーサーの八千が睨みを利かせていればそういう奇策も取りようがないはずだ。
軍を進めた。反乱軍の拠っているという山が見えたところで、ジャハーラは軍を止めた。
山の連なりの方々に、旗が掲げてある。二匹の蛇が絡まり合うデザインの、紺色の旗。
――クイダーナ帝国の旗だ。
「やつらは恐れを知らんらしい。このおれの前に、クイダーナの帝国旗を掲げるとは」
胸の内から、熱いものがこみあげてくる。貴族どもに感じたような怒りとは、まったく性質が違う。ジャハーラは笑っている自分に気が付いた。
「ジャハーラ様、まもなく陽が落ちます。営舎の準備をさせてよろしいでしょうか」
兵の一人が訊ねた。
「いや、人間族の部隊に、山へ攻撃をさせろ」
「しかし、闇の中です。敵にはダークエルフの部隊もいると聞きますし……」
「松明を持たせよ。いいか、これは戦いなどではない、山狩りだ。敵に時を与えてどうする」
ジャハーラの指示が伝わり、闇の中に松明の火がともった。ジャハーラは騎馬隊の全員にいつでも出撃できるように準備をさせた。
「出てこないのなら木々に火をつけろ、あぶりだしてやれ」
焚かれた木々が、音を立てて崩れてゆく。火の精霊が空気を包み込むのを、ジャハーラは見ていた。
敵が、動いた。
山が動いたのか、と思うような動きだった。前方で闇が動き、松明の火が消えてゆく。金属と金属のぶつかり合う音、肉を割く音、怒声と悲鳴が聞こえる。
闇と戦っているようだ、とジャハーラは思った。兵数はさして変わらないはずなのに、人間族の部隊は明らかに飲み込まれている。これほどの動きをするのは、ルイドに違いないとジャハーラは思った。
「行くぞ」
五千の騎馬を、動かした。騎馬隊には全員に、光のルーン・アイテムを装備させていた。それで、闇の中でも隊列を崩さずに進むことができる。
山から下りてきた敵を右から崩す。いくら人間族の兵とはいえ、無駄死にさせて敵の士気を上げてやる必要はない。敵を山から引きずりだす。
「ルイドだっ! こっちにいるぞ!」
闇の中で声がする。
ジャハーラは身体を燃えるような震えが走るのを感じた。胸の鼓動が高鳴り、呼吸が荒くなるのがわかる。ジャハーラは引き抜いた剣に炎をともした。
「ルイド、どこだ! 炎熱の大熊公ジャハーラが相手になる!」
すれ違いざまに敵兵を斬り殺しながら、ジャハーラは反乱軍の部隊に向けて、騎馬隊の突撃を指示した。炎の剣を振る。馬蹄が轟く。
真横を、風が抜けた。白い疾風だ、とジャハーラは思った。
その直後、闇の中から圧力を感じた。ジャハーラは駆け続けながら振り返った。自分の後ろに続いていたはずの騎馬隊が、えぐり取られたように数を減らしている。
何が起きたのか、ジャハーラは考える前に馬の進路を右に逸らしていた。すぐ左側を、風の刃がすり抜ける。
「風の精霊術師かっ!」
ジャハーラは馬を反転させた。闇の中でもはっきりとわかる、白い騎影が見える。一角獣だ、とジャハーラは理解した。ルイド以外にも、なかなか骨のある者がいるではないか。
「敵は風の精霊術を使うぞ! 精霊たちを支配下に置き、攻撃を防げ!」
一角獣を追いながら、ジャハーラは振り返って指示を出した。闇の中ではっきりしないが、先ほどのすれ違いで百騎程はやられたようだ。だが、たった百騎である。不意打ちの一撃でそれしか削れないのであれば、敵の数もだいたい想像がつく。
「一角獣を追え! 敵の部隊は闇に紛れているが少数だ、追い付き次第減らしてやるんだ」
敵の部隊は松明すら持っていない、完全に闇に溶け込んでいる。闇の中で、ただ白く浮かびあがる一角獣の姿を追っているのだ。
切っ先しか見えない剣と打ち合っているようだ、とジャハーラは思った。だが敵は少数だ。そして一角獣に跨る指揮官さえ倒せば霧散するだろう。
馬を走らせる。風の精霊を支配下に置く。明らかに広範囲の精霊を従えているのはジャハーラのはずなのに、敵は風の刃を打ち込むのをやめない。精霊術にばかり気を取られていると、一角獣の率いる騎馬隊が、ジャハーラの騎馬隊の横腹を衝くようにして駆け抜ける。
二刻ほど、追いかけあうような騎馬隊の戦いが続いた。すでに二百騎以上が落とされたようだ。
精霊術で辺りを照らすこともやってみたが、動き続ける騎馬隊の姿を捉えるには不足があった。力を使い続ければいずれ捉えられるだろうが、それが相手の狙いなのではないか、とさえ思える。
ジャハーラを倒せば、この戦は反乱軍の勝利なのだ。いくら純血種とはいえ精霊術を使い続けていればいずれ限界が来る。その時を待っているのならば、相手に合わせてやる必要はない。
ジャハーラは敵の動きを良く見た。一角獣が動く、その後ろを闇に隠れた騎馬隊が動く。えぐり取られるようにして崩されるジャハーラの後続。一角獣のスピードに、ジャハーラの騎馬隊は追い付けない。――だが、何か違和感がある。
白い疾風が駆け去り、馬蹄の音が轟いた。風を割く、刃の音。また二、三十騎が落とされたようだ。敵の騎馬隊の全体像はまだ見えない。
だがジャハーラは、気が付いた。
時間差があるのだ。一角獣が過ぎ去ってから、敵の騎馬隊が駆け抜けるまでに空白の時間がある。敵の騎馬隊は、一角獣を目印にして駆けているが、追い付けていない。
一撃離脱を繰り返して遠くに逃れる一角獣は、曲線を描きながらジャハーラの部隊を引きつける。その間に、ようやく敵の騎馬隊は一角獣の下へ集まっているのではないか。
確かめてみよう。ジャハーラは一角獣を追う手を緩めた。円を描いて騎馬隊を駆けさせる。
一角獣が突っ込んできた。ジャハーラは円を崩すと、一角獣の駆け抜けた後の闇の中に、炎の玉を打ち込んだ。
「――見えたぞ」
敵の騎馬隊の姿を、ジャハーラは捉えた。