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ユーガリア戦記  作者: さくも
第3章 魔都攻略
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3-22「ジャハーラ公、これは黒女帝としての願いです」

 三日が経った。


 正確に三日なのかどうかはジャハーラにはわからなかった。陽の光も差し込まぬ地下牢。それも泉子(ニンフ)の牢なのである。眠り、起きて、また眠る。それを三回繰り返した。それで三日だという風に、ジャハーラは決めた。

 いずれにせよその間、ジャハーラの牢には誰一人訪れなかった。食事も与えられず、用を足しに外に出してもらうこともなかった。垂れ流したそれらを、泉子は何も言わずに流した。


 水に体温を奪われて死ね、あるいは餓死しろ、とでも言っているのか。これが四十年にわたって耐え続けた結果だというのか。


「取れ」


 ジャハーラは立ち上がり、言った。泉子が近づいてくるのがわかる。ジャハーラの目隠しを震える手で取り除いた。泉子はジャハーラになるべく近寄らないようにしていた。それでも、呼ぶと寄ってくる。

 目隠しをとっても暗闇には変わりがなかった。だが完全な闇ではない。精霊たちの姿が薄く世界を染め上げている。


「ふんっ!」


 手を縛っていたルーン・アイテムは、力を入れるだけで粉々に壊れた。精霊術を使うまでもなかった。こんな下位の道具で、純血種を閉じ込めたつもりでいたのか。

 わずかに漂う火の精霊を集め、火を起こした。泉子は牢の端まで下がって震えていた。美貌は、彼女をここに地縛させた大昔から何も変わっていなかった。


「開けられるか」

「申し訳ありませんジャハーラ様。私はここに縛られております」

「そうだったな」


 縛り付けたのは、ジャハーラ自身だった。牢の地面にルーン・アイテムが埋め込んであって、その効力で泉子を地縛させているのだ。


「少し力を貸してもらうぞ」


 ジャハーラは泉子の手を取った。泉子は恐怖に顔を歪ませたが、抵抗しようとはしなかった。抵抗は無駄だと分かっている、そういう目をしている。

 体内にたぎらせた炎を、熱を、泉子の身体に注ぎ込む。


 泉子の悲鳴が牢に響いた。甲高い声だ、とジャハーラは思った。


 泉子の瑞々しい肌が、しわがれた老人のようになる。ジャハーラは皮膚に一瞬突き刺さるような痛みを感じた。急に体内の熱を放出したからだ。

 爆発が起き、石造りの地下牢は盛大な音を立てて崩れた。


 瓦礫の山をかき分け、ジャハーラは外に出た。陽光が眩しい。

 牢が崩れる瞬間に、泉子の力を使って円形の防壁を張ったのだ。泉子もそれで無事だった。手を引いて瓦礫の山の上に出る。


 泉子はしわがれた両手で顔を隠し、瓦礫の上で泣き崩れた。力を使いすぎて容姿を保てないまま、外に出たことが辛いのだろう。女はいくつになっても自分の容姿を気にする。気持ちはわからないでもないがな、とジャハーラは思った。

 だが、これで水牢への地縛は解けたはずだ。どこへなりと去るが良い。

 ジャハーラはすぐに泉子に興味をなくした。


 事態を察した兵士たちが寄ってくる。十人余りか。


「話にならん」


 手を振る。炎と風の精霊が集まる。ついでに一握りの水の精霊を混ぜた。爆風によって、兵たちはあっけなく飛び去ってゆく。

 あまりにあっけない。あまりに弱く、脆い。


「人間族など、欲にまみれ、自分の権利を主張するだけの存在です。そんなやつらにユーガリアを任せられると、そうおっしゃるのか」


 かつての自分の発言が蘇る。ジャハーラのいらだった声に、しかし黒女帝ティヌアリアはこう答えた。


「それは私たち魔族とて変わりません。彼らより遥かに長い時を生きられる私たち純血種だからこそ、あえてその権利を自ら放棄するべきなのです。力を持つ者がまず力を捨てましょう。それで少しは良くなるかもしれません。ジャハーラ公爵、どうか私の我儘を聞いてはいただけませんか。人の上に立つということの責務を、一度、人間族の手に渡してみましょう。力を持つ者が上に立ち、虐げられる者が反逆しては血が流れる。そういう連鎖を断ち切るためにこそ、力を持つ者が持たない者に支配されてみる必要があるのです。私の死によって、負の連鎖が終わる可能性に、賭けてみたいのです。どうか、彼らがどういう世を作り上げるのか、見守ってあげてください」

「私は敗れるつもりで戦はしませんよ」

「わかっております。わかってはおりますが、この兵力の差はもはや覆せないでしょう。ユーガリアの全土が変革を求めているのです。ジャハーラ公爵、ゼリウス公爵、無駄な血を流す必要はありません。私はもう討たれる覚悟はできているのです。彼らがより良い世を作り上げられるというのなら、私はそれを信じてみたいのです」

「黒女帝ともあろうお方が」

「ジャハーラ公、これは黒女帝としての願いです。父を殺しこの玉座に座ったときから、決めていた最期です。私に付き添って死ぬ必要はない、と言っているのです」


 ティヌアリアはいつも真っ黒なドレスを着ていた。それが亡き父王へ哀悼の意だと、ジャハーラは知っていた。『黒女帝』の異名の由来だった。彼女は玉座に着いたその日から、常に喪服だった。


「ですが、ティヌアリア様を討とうものなら、やつら人間族は増長し、好き勝手な治世を行うだけでしょう。そうなればもはや収拾がつかない。混乱と混迷でユーガリアを覆いつくすおつもりですか」


 クシャイズ城の中へ入ろうとするジャハーラを止めに、兵士が次々と現れる。ジャハーラは歩みを止めなかった。兵たちはジャハーラを取り囲みつつ後退する。集めたわけでもなく寄ってきた怒りの精霊たちに圧されて、近づいてさえ来ない。


(意気地なしどもが……!)


 百人余りに囲まれて、ようやくジャハーラは火を起こした。自分を取り囲むように、そして、無駄に燃え広がらぬように。美しいクシャイズ城を、焼くことはないだろう。


 業火に包まれ、ジャハーラを取り囲んだ兵たちがのたうち回る。悲鳴がこだまし、絶叫が轟いた。

 たった一人の純血種の暴走で、クシャイズ城は混乱に陥った。


「――ジャハーラ公、私は信じたいのです。彼らがよりユーガリアを良くしてくれると、信じたいのです」


 ティヌアリア様……あなたは優しすぎたのだ!

 その優しさに対する人間族の答えが刃だと、どうして理解してくださらなかったのか!


 ジャハーラは怒りに身を任せている自分に気が付いた。

 たった三日間、暗闇の中で断食をする羽目になったことに対してではない。四十年間の苦汁の日々に対してでもない。それで何かが変わったのなら、ここまで内に炎を秘めこむ必要もなかった。


 黒女帝ティヌアリアの思いを裏切った、支配者どもが、どうしても許せない。荒れ狂う炎は、ジャハーラの心の内を表しているようだった。


 城に入った。門衛たちは魔族の兵で、ジャハーラの尋常ではない殺気を感じると、黙って門を開いた。


 ジャハーラの姿を見て武器を構えた兵は、ことごとく燃やした。皮膚がただれ、焼け落ち、もがき苦しむ兵たち。阿鼻叫喚の地獄絵図の中、ジャハーラは玉座の間へ歩みを進めた。


「どけ」


 玉座の間を守る兵士を力ずくに引き離し、蛇をあしらった取っ手を掴み、巨大な両扉を開く。

 重い金属音を立てて扉が開いた。


 実にもならない軍議にうつつを抜かす、貴族どもの姿がそこにあった。


「ふんっ。おれを出していればこんな無駄な時間を過ごす必要もなかったものを」


 ジャハーラは一瞬、怒りに任せて貴族たちを燃やし尽くすかどうか考えたが、やめた。

 おれはこいつらに三日間、食べ物も運ばれずに放置されたのだ。同じ以上の苦痛を与えることに、何の抵抗もない。劫火に焼かれるよりも長い苦痛を味わい、ゆっくりと死に向かえばいい。


 何が起きているのかわからず、呆然とジャハーラを見る貴族の顔を殴る。ジャハーラはさほど力を入れていないつもりだったが、いとも簡単に貴族は倒れ、地に伏せた。


 一人、二人、三人……抵抗する間も与えずに貴族たちを全員地に伏せさせた。武器さえ必要なかった。歯向かってこようとする気概もない。赤い絨毯が血に染まる。

 どうして力もない者がここにいるのだ。怒りは、今や冷ややかな気持ちに変わっている。


 あまりに弱い。あまりに脆い。

 通った意志を持たず、あまりに身勝手だ。


「おい」


 玉座の間に入れず、入り口に固まっている兵たちに声をかける。


「こいつらを縛り付けておけ」


 言うと、ジャハーラは玉座に続く階段を上った。十段もある階段。玉座の手すりから、でっぷりとした腹をはみ出すリズの姿がそこにある。顔を真っ青にして震えている。

 ジャハーラの目には、青ざめた豚にしか見えない。


「わ、私が何をしたというのだ、子爵よ! 私は何もしていない」

「何もしなかったというのか。何もせずに餌だけを喰らっていたと。それではまるで家畜ではないか。……そこは帝王の玉座、畜生が穢していい所ではない」


 ジャハーラは、リズの頭を掴むと、貴族たちの方へ無造作に放り投げた。盛大な音がして、リズは階段の下、先ほどまで貴族たちが軍議をしていた机に、頭を突っ込んだ。


 どうして……

 ジャハーラは思う。


 ……どうして、黒女帝はこんな家畜どもに、玉座を明け渡したのだ。


 おれたちは、いったい何のために、四十年耐え忍んだのだ。

 こんな――こんなにどうしようもない人間族の為に、ティヌアリア様は命を投げ打ったと言うのか!


 ジャハーラは、行き場のない怒りを感じて、空白の玉座をじっと見つめた。

 玉座の両肘掛にあしらわれた二匹の蛇が、どこか憐れみを含んだ瞳で、ジャハーラを見つめ返していた。

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