3-17「しかし、見事な物です。人の心の扱い方を良くご存じだ」
久々にベッドで眠ることができた。スッラリクスは自分が疲れていたことを自覚した。陽が落ちるとともに深い眠りに落ちたのだ。
翌朝、目を覚ましたスッラリクスが顔を洗おうと井戸へ向かうと、ダルハーンが姿を現した。長い髭を弄びながら近づいてくる。スッラリクスは、自分の周りで風が動いたのに気が付いた。ダークエルフの護衛がスッラリクスを守ろうと動いているのだ。
「ジャハーラ子爵が失脚し、ライデーク伯爵が死にました」
ダルハーンが言った。スッラリクスは「そうですか」と短く答えた。エリザとルイドから、ダルハーンと会う時には一緒にいさせてくれと言われている。
「しかし、見事な物です。人の心の扱い方を良くご存じだ。疑心暗鬼にさせ、仲間内で崩壊させる」
「何が言いたいのです?」
「いえ、スッラリクス様のように頭の切れる方とお知り合いになれたことを嬉しく思っているだけです。あなたの策謀をすべて知る者がこの世にいるとは到底思えません」
「そんなことはありませんよ。私はエリザ様を欺くようなことは致しません」
「ですが、黙っておくことはある。そうでしょう?」
スッラリクスはそれに答えなかった。今はまだ、あえて黙っているようなことはない。だがこれから先はどうか、自分でもわからなかった。
「このあと、エリザ様とルイド将軍を呼びますので、そこで魔都の詳しい話を聞かせていただいてもよろしいですか?」
ダルハーンは不気味に一礼をした。スッラリクスは今更になって、冬の朝の空気が冷たいことに気が付いた。
エリザとルイドを呼び、場所を移した。ダルハーンはそれに従った。
「魔都から報告が入りました。スッラリクス殿の離間工作は成功です。そして、貴族の中で発言権を持っていたライデーク伯爵の殺害にも成功しました」
「何をしたのだ」
「ルーン・アイテムを盗み、それをジャハーラ卿のせいに見せかける、というのが私が指示した離間工作ですよ。ですが結果はそれ以上になった」
ルイドが訊ね、スッラリクスが答えた。
「おや、それを期待されていたのではありませんか? ライデーク伯爵が一番邪魔だったはず」
ダルハーンが言った。
「ええ、ですから期待以上の成果でした。怖いくらいに」
「良かったではありませんか。これで魔都は混乱する。まっとうに指揮を執れる者もいなければ、貴族たちをまとめられる者もいない。ずいぶんと攻略は楽になったはずです」
エリザは黙ってダルハーンを見ている。
「ジャハーラ卿は捕らわれたのですね。助け出すことはできますか?」
「それは儂には難しい仕事ですな」
「たとえばダークエルフの部隊が潜入して助け出す、というのは?」
「危険でしょうな。魔都に兵が集中している今、透明化を見破る者も出てくるでしょう。残念ながら、我らがお手伝いできるのはここまでのようです」
いくつか違う案で訊ねてはみたが、ダルハーンの答えは変わらなかった。
最後に、ダルハーンは補給物資の確認と、魔都を落とした際の約束だけ確認をして、出て行った。
「エリザ様、あの奴隷商人は嘘をついておりましたか?」
ルイドが訊ね、エリザは首を振った。
「ダルハーンの言葉に、嘘の精霊は混じっていなかった。だけど、どうしようもなく深い闇の色が、彼のすべてに漂っていたわ」
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ディスフィーアがザイードの村へ着いたのは、エリザたちが村に入ってから丸々一日経ってからだった。一騎で単独行動をしていたディスフィーアが本隊へ帰ってみると、エリザたちがいなかったのだ。レーダパーラに事情を聴いて、村へ来るのに時間がかかってしまった。
村に着いたディスフィーアは、エリザとルイドに迎え入れられた。
「まったく。どこか移動するんなら教えといてもらわないと困るわよ」
「ユニコが速すぎるのよ。迎えを出したところで意味がないって、スッラリクスが」
「それはそうだけど、エリザ様が一緒だったなら精霊術で光の球を上げるなり、風を起こすなり、私に知らせる方法くらいあったんじゃない?」
「敵に具体的な位置を知られちゃうだけなのでやめてください、ってスッラリクスが。それからこうも言ってたわ。『むしろ位置を知らせてくるべきなのは彼女の方なのですよ』って」
いちいち正論で返してくる男だ、とディスフィーアは思った。顔は整っているが、こうも見透かされたように言われていると腹が立つ。何か一つでも反論しておきたい。
「知らせたところで伝令出してくれないんでしょ?」
「場所さえわかれば、私がいるんだから、風に乗せて声だけ届けることもできるかもしれないのに、って」
ディスフィーアはぐうの音も出なかった。それは考えていなかった。
確かに、エリザの魔力なら、場所さえわかれば声だけ届けるような芸当も可能かもしれない。
風の精霊を中心に訓練してきたディスフィーアの方が、繊細な精霊術では分があるかもしれない。たとえば風で音を遮断するような空気の壁を作ったり、上空の空気だけを動かして雲を移動させたりなんてことは、精霊たちに細やかに意思を伝えなければならないから、エリザにはまだ難しいはずだ。
だが、そもそも『黒女帝』の力と、しょせんは純血種ですらないディスフィーアでは持っている魔力のレベルが違う。たとえば同じ風の精霊を使ったとしても、エリザの方が強い風を起こせるだろうし、持続時間も長いはずだ。声を風に乗せて飛ばすのも、ディスフィーアよりよっぽど遠くまで届けられるだろう。居場所の方角さえわかれば簡単な情報伝達もできる。言われてみればその通りだった。
エリザと話をしている間も、ルイドは一言もしゃべらなかった。腕の間にエリザを入れて、黙ったまま馬を操っている。
ディスフィーアはエリザのことは好きだったが、ルイドのことは苦手だった。かつての英雄ということだが、とっつきにくい上に、冷たい眼をしているから話しかけにくいったらありゃしない。
「それで、私に会ってほしい人って?」
「説明するより、見てもらった方が早いと思う」
村の中でもはずれにある家に、案内された。ディスフィーアは扉を開けて、中に入った。ベッドには男が寝かされている。
ディスフィーアは自分の身体が震えるのを感じた。
「サーメット兄さんっ!」
モグラの頭を左肩から生やした兄が、そこにいた。全身はやせ細り、骨と皮だけになったような兄の姿。肉親の中で唯一、ディスフィーアの居場所を作ろうとしてくれた兄の変わり果てた姿に、ディスフィーアはサーメットの身体を抱き寄せて泣いた。そのとき、サーメットの腕が動いた。
「どうした……」
サーメットが、意識を取り戻した。震える手を持ち上げて、ディスフィーアの髪を撫でる。細い腕だ、とディスフィーアは思った。
サーメットの爪は、やたらと長く、鋭くなっている。