3-12「ダルハーンと言います。商人です、お見知りおきを」
ディスフィーアは、本隊と別行動で一騎駆けすることが多くなった。どうにもスッラリクスと話し合って、ディスフィーアだけ食糧の自給自足という話でまとまったようだ。エリザはその話を聞いて、ちょっと笑ってしまった。本音を言えば一緒に一角獣に乗せてもらいたいところだったが、ルイドとスッラリクスは決して良いとは言わないだろう。まだ完全に彼女は信用されているわけではない。
一騎駆けしたディスフィーアは、反乱軍に合流しようとしている民や、飢えに苦しむ人々を救っていた。時にモンスターを倒し、時に食糧を届け、時に人々の誘導までした。そうやって、自力で信頼を勝ち取っていった。
ダリアードの町を出て、もう十二日も経つ。だというのに、まだ魔都は見えない。スッラリクスは日に日にやつれていった。毎日何百人と会い、それぞれと話をして編成に加えるのだ。疲労がたまってゆくのは仕方がない。夜更けまで人と会っているスッラリクスに我慢ができなくなって、エリザはルイドに言った。
「休むように伝えてくるわ」
「……私も一緒に行きます。直接話したいこともある」
エリザにも聞かせておきたい、ということなのだろう。
スッラリクスのいる営舎の中は松明で照らされていたが、なお薄暗かった。二人が営舎の中に入ると、スッラリクスは「ああ、ちょうどよかった」と言った。
「ちょうど、お二人にもそろそろ紹介をしておこうと思ったのです。彼は商人のダルハーン」
言われて振り返ると、暗黒の中に男がいた。松明の光を遮るように、存在感のない男だった。エリザと同じくらいの身長しかない。長く伸ばした髭と、窪んだ眼が特徴的だ。エリザは、男の周囲の闇が異様に濃いことに気が付いた。これは精霊がもたらしている闇色だ。ルイドのような血の色ではない。純粋なまでの闇の色。
「何者だ」
ルイドが問う。
「ダルハーンと言います。商人です、お見知りおきを」
ダルハーンはそう言い、礼をした。ルイドはダルハーンを睨み付けている。
「ダルハーン殿は王国に恨みをお持ちです。それで今は私たちに協力をしてくれています」
「なるほど」
ルイドはダルハーンを睨むのをやめない。
「そう睨まないでください。――と言っても、なかなか難しいですかな。それではまた」
ダルハーンは礼をして営舎を出て行った。エリザは、スッラリクスに訊ねた。
「ねえ、あの人は本当に商人なの?」
「ええ、商人ですよ。ですが商人は商人でも、彼は奴隷商人なのです。……エリザ様のお耳にはあまり良く聞こえないことと思いますが、彼らから物資の補給がなければ我が軍は成り立たない。もうそういうレベルになっているのです」
奴隷、という言葉が、エリザは嫌いだった。人として扱われない、という意味に聞こえるからだ。
だがエリザは、奴隷のすべてがひどい生活をしているわけではないことを知っていた。スラムでは知り合いの子どもが親によって奴隷商人に売られたりすることは、さほど珍しいことではなかった。奴隷になったことでスラムで生きるよりも良い生活ができる場合もあることを、エリザは知っていた。
「スッラリクスがそう言うのなら信じるわ」
エリザは震える声で言った。
「いったい、いつになったら魔都へ着くのだ。このままでは敵の数が余計に増えて厄介になる一方ではないか。それに糧食の問題もある。奴隷商人などから援助を受けるくらいなら、さっさと魔都を落とせばいいのだ」
スッラリクスは目を細めた。
「実は、あえて時間をかけている部分もあるのです。ジャハーラ殿のご子息であるターナーという捕虜を解放した際に、私は何人か、こちらに寝返っている者たちを捕虜の中に紛れ込ませています。彼らが仕事をするだけの時間を確保しようとも思っているのですよ。それから奴隷商人とはあくまで今を乗り切るための間柄。エリザ様の求める世界に奴隷は不要ですし、奴隷商人などという職業は私も嫌いです」
エリザは少しだけほっとした。スッラリクスの考えがエリザと大きく乖離してしまったような気がしていたのだ。
「いったい、捕虜たちに紛れ込ませた手の者たちに、何を命じたのだ」
「そんなに難しいことではありません。ジャハーラ殿と、他の貴族たちの間を割くことだけです。そうできるであろう、いくつか具体的な案を渡してあります」
「それは上手くいくのか?」
「さあ、わかりません。私は上手くいって欲しいと思っていますが、どうなるかはやってみないことには。ただ、保険はしっかりかけてあります」
「保険というと?」
「捕虜たちの中に忍び込ませた者以外にも、味方はいるのです。そして、彼らが行動を起こしたとき、あるいは失敗した時には、その味方が保険となって動いてくれるはずです」
「だが、どうやって魔都の中と連絡を?」
「鳥ですよ。魔鳥を扱う者がいるのです。先ほどご紹介したダルハーンは鳥の声を聞く技術を持っているのです。そして、クイダーナ中に鳥を扱える者を張り巡らせている。そうやって情報を握り、自分の目的の為に使う」
「いったいあいつは何が目的なのだ」
「王国への復讐。彼もまたスラムで育ち、鳥の声を聞き、生き延びるために奴隷商人の道を選んだ者なのです。いずれ決別するとはいえ、今はお互いに利用する価値があります」
ルイドは少しは納得したようだった。エリザは二人の会話を聞くことにした。いつまでもスッラリクスやルイド頼みではいけない。今はまだ、エリザ自身のできることが少ない。だけど学ぶことはできる。その為にルイドはエリザも交えてスッラリクスと話をしているのではないか。
「奴隷商人たちは、貴族に特別な技を仕込んだ者を売りつけることがあります。たとえば男を夢中にする術や、暗殺の技を持った者。魔鳥を扱う術を仕込まれた者がいても、不思議ではないでしょう。そして、そう言った者たちを名目上『売る』のですが、実際には何らかの目的の為に潜入させているのです。買った貴族からすれば、高い金を払って体内に猛毒を入れるような物です。憐れなものですね」
「やつは、何か見返りを要求してきているのか」
「魔都陥落の際に、貴族全員の首をはねること。それから、貴族たちの所有する奴隷からダルハーンの求めた者をすべて、彼の自由にさせること」
エリザは、きっと唇を噛んだ。
誰かの幸せを、人生を食物にする。そういう人間に、頼らなければならない。そしてスッラリクスはそれが必要だと感じ、あえてエリザやルイドに相談せずに決めた。
「ずいぶん警戒なさるのですね、ルイド将軍」
「……あいつは危険だ。だが今は利用価値がある、そういうことだな。おれは今回はそれで納得する。だから独断で決めるのは今後やめてもらおう」
「ええ、わかりました。エリザ様も……出過ぎたことをして、申し訳ございません」
スッラリクスは、ずいぶん疲れているようだった。エリザはここに来た本来の目的を、思い出した。
「スッラリクス、半日でいいから休みましょう。あなたが魔都へ着く前に倒れてしまったらみんな困るわ」
「大丈夫です、エリザ様。私以外に振り分けができる者はいないでしょう」
「でも、倒れちゃったら」
「大丈夫です。それに、私はいざ戦いになったら足手まといです。今が私の戦いなのですよ。戦わせてください。守られているだけでは自分が惨めになってしまう」
「いや、休め。エリザ様の言葉を無駄にするな。判断を誤りでもしたら一大事だ。それから、ダルハーンと会う時には私とエリザ様を呼んでくれ。やつが何か嘘をつけばエリザ様が見抜くし、変な動きをすればおれが斬る」
スッラリクスは目を細めた。
「わかりました。お言葉に従うことにします」
「もうすぐザイードという小さな村があったはずだ。そこで宿を借りよう。営舎で休むよりは、少しでも疲れが取れるだろうさ」