3-11「まだ幼い少女だからこそ見られる、純粋で繊細な夢なんだ」
軍議の後、ライデークは、人間族の貴族たちだけを招集して会議を行った。幸いにして、ジャハーラは兵の編成と調練に忙しいようだ。ライデークの動きに気づかれた気配はない。
「今日、皆様に集まっていただいたのは、問題を共有しておくべきだと、思ったからです」
「問題と言うと?」
「裏切り者がいるのでは、ということです。貴族たちの中にいるのか、商人たちの中にいるのか、いずれにせよ敵は誰かしらから補給を受けている。ダリアードの町に蓄えられていた糧食などたかが知れているのです。誰かが後ろ盾になっている、そう見るべきだと私は考えております」
まず最初に怪しまれるのは、魔族の純血種である二人だった。特にゼリウスは辺境の地から帰ってきていないという。
「念のため、ゼリウス卿の領地から不審な物資移動がないか見張らせていますが、今のところ、そういう気配は一切ないようです。また、もしゼリウス卿の仕業であれば、反乱軍に合流しているはず。それだけで情勢は傾きます。ところが、その気配がない。本当に辺境地へモンスター討伐に出たのではないか、とさえ私は思い始めています」
「では何か? ライデーク伯はジャハーラ子爵を疑っているのか?」
バーカカ男爵が訊ねた。直球な男だ、とライデークは思った。
「可能性はある、と思っています。皆様もお分かりの通り、旧帝国の将であったジャハーラ卿が、この機に反乱軍側につく可能性はもともと高かった。そして、もし裏で彼が反乱軍とつながっていたとすると、すんなり理解できることがいくつもあります。
まずサーメット殿が生きているとすると、ジャハーラ殿のご子息たちは誰一人亡くなっていないことになります。討伐に参加した将は誰一人生きて戻ってきていないのに、ジャハーラ卿のご子息だけ三人とも生き延びるというのは、いくら彼らが魔族であることを加味して考えても、おかしくはないでしょうか。
それから、ターナー殿の言葉を遮ったジャハーラ卿。サーメット殿が生きていることを我々に知らせないよう、余計なことを言うな、という意味にも取れます。そしてターナー殿たちはなぜ解放されたのです?
もしターナー殿が、反乱軍とジャハーラ卿の間の伝令を言付かっている、と考えるとどうでしょうか。反乱軍から何か言伝を持って魔都のジャハーラ卿に伝え、その答えを持って魔都から出て反乱軍に伝える。そういう役割のようにさえ、私は見えるのです。
我々がいま最も警戒しなければならないのは、反乱軍を門の外にした状態で、内部で魔族が蜂起する状況。そして、それを起こせるのはジャハーラ卿しかいない。もしジャハーラ卿が、反乱軍に呼応して内部で兵をあげたら、間違いなく我らには滅びの道しかない」
「邪推ではないか。何一つ証拠がない」
「そうです、証拠はない。ですが、警戒しておくに越したことはない。彼が連れてきた百人ほどの兵は念のため、別々の部隊に振り分けさせましょう」
同調する声が上がり始めたのを確認してから、ライデークは「しかし」と続けた。
「魔族だからと言って指揮権を剥奪でもすれば、余計に魔族の反感を買うでしょう。反乱軍を前にして火種を自分たちで作ってしまっては仕方がない。証拠がない限り、絶対に手を出してはなりません」
「ターナー殿はどうするのだ、もし先ほどの伯爵の懸念が当たっていたとすれば、彼が魔都の外に出ることでジャハーラ卿と反乱軍の密約を成立させてしまうのではないか」
「そうですね、戦時を理由に決して魔都の外には出さないようにしましょう。ターナー殿だけでない、これまで以上に、魔都への出入りを厳しく監視させましょう。ジャハーラ卿ではない、他の誰かが糸を引いている可能性も十分に考えられます。内と外で連携を取らせないことです」
それはもしかしたら、この中にいる人物かもしれない、とまでは口にしなかった。
「ジャハーラ卿は打って出ると言っているが、それはどうするのだ。外に出た軍がそのまま敵に回るのではないか?」
「いえ、その可能性は低いかと。もし裏切るのでしたら城内で兵をおこすはずです。そうすれば内側から開門もできますし、リズ公爵を人質にすることもできるかもしれません」
「ならば出撃させてしまえばいいではないか」
「そうもいきませんよ、まだ敵の姿も見えていないのです。もし城内に裏切り者がいるのなら、おそらく行動を起こすのはジャハーラ卿の出撃の前後でしょう……。そして、我々は証拠がないことには動けない」
「つまり、敵の姿が見えてから、すべてが動き出すということか……」
そう、それまでは目立つ動きはないだろう。何をしてくるのか。そして、敵に兵糧を送っている者をあぶりださねばならない。
もし商人たちの中に裏切り者がいるのならば、リズ公の道楽投資が、少しは役立つかもしれない。ライデークはそんなことを考えていた。
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ナーランが、生きていた。
ターナーはそのことを聞くと、すぐにナーランに会いに行った。城の一室をあてがわれ、ベッドに寝ていたナーランを見たとき、ターナーは柄にもなく涙をこぼした。
「ナーラン、良かった。無事で、本当に」
言葉が胸の中で詰まっているようだ。喉まで上がってこない。ナーランもターナーに気が付くと、驚き、顔をほころばせ、瞳に涙を浮かべた。
「兄上こそ、良くご無事で」
「情けない話だ。私は逃げ切れずに敵に捕まったというのに、お前は傷だらけになりながらも魔都へ駆け続けたのだな」
「必死でした。サーメット兄上の最期の命令を果たさねば、と、それだけを考えて馬を駆ったのです」
ナーランは瞳に溜まった涙をこぼした。サーメットのことを考えたのだろう。ナーランはまだ、サーメットが死んだと思っている。
ターナーは、サーメットが生きていたことと、モンスターの肉を喰らってしまい助けを待っているのだということを話した。
「だが、魔都から出られないのだ……。こんなに口惜しいことがあるものか。兄上を助けようと、魔都で手に入る何種類もの聖水を集めさせた。だというのに……」
「どうして父上は、ターナー兄上を向かわせてあげないのでしょう?」
「父上の問題ではない、魔都全体が出入りを厳しく制限している。その中で無理を通して、反乱軍と我らがつながっているという疑念を持たれたくない、ということなのだろう。王国側につくと決めた以上、波風を立てて亀裂を生じさせるのは本意ではないだろう」
ナーランは俯いた。ほんの少しだけの静寂。開け放した窓の外には、晴れ渡った空が広がっている。あまりに晴れ渡った、冬空。
大空を飛ぶ鳥が、鳴いた。自分の無力さと臆病さをあざ笑っているようだ、とターナーは思った。助けに行かねばならない。約束を果たさねばならない。そう口で言っていても、命令に違反してまでそれを決行しようとはターナーには思えなかった。
もし……、ターナーは思った。
もし、自分とナーランが逆だったら、どうするだろうか。この末の弟は、どこか、行動してから考えるというところがある。ターナーはそれを羨ましく感じる時があった。勢いがある。
「そういえば、兄上。反乱軍にいたあの少女は、本当に黒女帝の力を継いだのでしょうか」
「さあ、な……。だが、不思議な少女だった。おれを解放する前、あの子に訊ねられたのだ。『私たちと一緒に魔都へ行かない?』と――」
「それは、兄上を勧誘しようとして?」
「ああ、もちろん断った。だが胸に響く言葉だった。『誰も傷つかない世界』を目指す。あの子はそう言ったんだ。その為に誰がどんなに傷つこうとも、やり遂げると」
「誰も傷つかない世界……ですか」
ナーランは傷を負ったわき腹に手をあてた。巻かれた布地には、まだ時たまに血が滲むようだ。
「夢物語のようですね」
「……夢さ。夢なんだよ。まだ幼い少女だからこそ見られる、純粋で繊細な夢なんだ。だが確固とした意志で、その夢を追おうとしている。ふと、おれもその夢を一緒に追いたいと思ってしまう。そういう魅力があった」
「兄上は、ずいぶんと彼女を評価されているのですね」
「できれば、戦いたくないと思えるほどに、な」
「戦えますか」
「戦うさ」
ターナーは、ナーランの眼をしっかりと見つめて答えた。
しかし、心のどこかで、そうならないことを祈っている自分にも、気が付いていた。外では何匹かの鳥が羽ばたき、鳴いている。