3-10「ジャハーラ卿、彼はあなたのご子息で間違いないか」
ターナーが魔都クシャイズについたのは、クイダーナの町を出てちょうど十日目のことだった。途中、一度ザイードという村で休息を取ったが、その分、負傷兵を預けられたので進軍速度を上げられた。
魔都への入場は、厳しく制限されていた。東西南北、四つの門は固く閉じられ、商人たちのキャラバンですら通行する前に身分の証明を求められるような次第だった。ターナーは自分の身分を証明する物を何も持たず、ダリアードの町の方面から来たことで疑われ、父ジャハーラの名を出しても父は迎えになど来ず、たまたま通りかかったバーカカ男爵によってようやく入場を許可された。
「ターナー殿ではないか。これはどうしたのだ」
「ダリアードの町で捕虜にされていた者たちです、バーカカ男爵。解放され、ここまで来ました」
「解放……? 貴殿らは捕虜だったのか」
「情けなくも……。ダリアードの町での状況は、既にお耳に入っていることと思いますが、私の口からもご報告申し上げたいことがございます」
「そうか。おい、彼は正真正銘、ジャハーラ卿のご子息だ。無礼のないようにしろ。そうだ、宿を用意させよう。百人ほどか? ジャハーラ卿は編成でお忙しいようだからな」
「既に父は魔都に?」
「ああ。反乱軍を迎え撃つ指揮を執る為に、既に編成の準備に取り掛かられている」
「そうでしたか」
バーカカ男爵は、宿代だと言って、銀貨の詰まった袋を従者から受け取りターナーによこした。
「ベルタッタン、宿までご案内差し上げろ」
「はい」
「では、ターナー殿、ちょうどこれから軍議なのだ。私は先に行って貴殿のことを報告しておくので、宿に兵を預けたら来てくれるかな」
「もちろん、すぐに伺わせていただきます。何から何まで、ありがとうございます」
ベルタッタンは、美しい男だった。端麗な顔立ちと、すらりとした手足、それに無駄な肉のない引き締まった身体をしている。長い黒髪を後ろで一つに束ね、まつ毛は女性のように長く、黒水晶のような瞳をしている。高い身長と、膨らみのない胸がなければ女性だと錯覚してしまったかもしれない。
バーカカ男爵と別れ、ベルタッタンに案内されるまま宿についたターナーは、宿代を払っても随分と金に余裕があることに気が付き、ベルタッタンに金を返そうとしたが、ベルタッタンは首を振った。
「主人は他人に渡した物が戻ってくるのを、喜びません。余る程にあったのでしたら、それはターナー様に差し上げたという意味です」
ターナーはベルタッタンの言葉に素直に従うことにした。確かに持ち合わせが一切ない状況なのである。これからザイードの村へ届ける食糧を買うにも、金は必要だった。
兵たちに宿で休息を取らせると、ターナーは一人、クシャイズ城へ向かった。
玉座の間には、名のある貴族たちが勢ぞろいしていた。その中に、一人だけ存在感がまるで違う男がいる。父ジャハーラだ。玉座に座るリズ公よりも、ただ黙って立っているジャハーラの方がよほど恐ろしく、逆らってはならないという気持ちにターナーはなった。純血種は魔の精霊を操ると言われるが、父は常に威圧感という精霊を纏っているのではないか。そういう気持ちには何度なったか、わからない。
「ジャハーラ卿、彼はあなたのご子息で間違いないか」
ライデーク伯が訊ね、ジャハーラは頷いた。言葉を返すつもりはない、そういう頷き方だった。
「ではターナー殿、ご報告をお聞かせ願えるかな」
ターナーはこれまでのあらましを話した。ダリアードの町での戦闘、黒女帝の力を継いだとされる少女の出現、敗走、そして捕虜になったことと、解放されたこと。
「ジャハーラ卿の領地へ向かうように言われた、と言うのは本当かな」
バーカカ男爵が訊ねた。おそらく兵たちからベルタッタンあたりが聞きつけてバーカカ男爵に報告したのだろう。ターナーはそう思った。
「何、それは本当か」
ターナーが答える前に反応したのはライデーク伯だ。ライデークは、ターナーを不審がっている。そういう素振りを見せないようにしていたが、ターナーですら見抜けるほどだった。
「はい、事実です。ですが、父はここにおります。それが父の潔白を何より証明しておりましょう。これは敵の離間工作とみるのが正しいかと」
「未だ連絡を寄越さないゼリウス卿と違い、ジャハーラ卿はこうしてここにおられる。それこそ王国に対する忠義の証という物。ライデーク伯、何を疑っておられる」
助け舟を出してくれたのはバーカカ男爵である。
「だが近隣の町や村から一切を徴収しているのだ。反乱軍は食糧事情にさえままならないはず。なのに、どうして捕虜にわざわざ糧食を渡して解放する? 逆に身柄と交換に食糧を寄越せ、くらいのことは言ってきてもいいと思うが。それに、敵の進軍速度があまりに遅いのも気になっているのだ、私は。ターナー殿の話が本当であれば、反乱軍の姿がもう見えても良さそうな物だ。にも関わらず、狼煙の報告を信じるならば、反乱軍はまだ徒で五日以上先の距離にいる。亀のような歩みではないか。それも、飢えた民にまで食糧を配り、兵を増やし続けていると聞く」
「畏れながらご意見申し上げます。私どもが解放されたのは、反乱軍が進発する前でございます。彼らはクシャイズ城の付近の町や村の徴収状況を知らなかったのではありませんか。私はここに来る途中でザイードという村に立ち寄りましたが、あまりの物資の欠乏さに驚きました。それが戦略であるならば、私の口からは何も申し上げることはございません。ですが、どうか民を見捨てられることはないよう」
「ターナー、少し黙れ」
父が、初めて口を開いた。
「申し訳ございません。ですが、最後に一つだけ、ここにいる皆様方にお願いがございます。先ほど申し上げたザイードの村に、負傷者を置いて参りました。反乱軍が来る前に、彼らを迎えに行かねばなりません。その為に、どうかご支援を」
「負傷者か……。彼らには残念だが、今は戦力にもならぬ者にかまけている余裕はないのだ」
貴族の一人が言った。ターナーは頭を下げた。
「私の兄、サーメットもそこにいるのです。私が助けに来るのを待っております。村の人々も、飢えに苦しみながらも、私が食糧を持ってきてくれると信じて、少ない糧食を兵や兄に与えてくれている。私は、彼らを裏切れない」
ジャハーラが、動いた。ターナーに向かって歩む。
「ターナー、黙れ」
「しかし父上」
「黙れと、言った」
ターナーは頬に衝撃を感じてのけぞった。殴られたのだ、と気が付くのに一瞬の時間がかかった。口の中が切れたようだ。
血を、飲み込む。玉座の間を、汚すわけにはいかない。飲み込んだはずなのに、すぐにまた口の中に血が溜まるのを、ターナーは感じた。
父はすでに背を向けていた。
ターナーは父の背中を、悔しい気持ちで睨んだ。言葉はもう、出なかった。
貴族たちは、親子の行動を見つめたまま、しばらく一言も発しなかった。