3-8「あら、今回は味方として来たつもりなんだけど」
エリザたち反乱軍は、魔都へ向けて軍を進めていた。エリザが一番残念だったのは、風王と別れなければならなかったことだ。
「もともと、森を守る為にここにおるのでの」
町を守れたのは風王の力だった。いくら黒女帝の力でも、あれだけの風の精霊をすぐに集めることはできなかっただろう。
別れを惜しむエリザに、風王は「何も今生の別れというわけでもない。そのうち会えるじゃろうて」と言って、半分も残っていない黄色い歯を見せて笑った。
二千の軍が進発する。エリザは軍の中央にいた。ルイドと同じ馬に跨っている。
「いずれお一人で騎乗できるよう訓練していただきますが」
「いいよ。私、歩くよ」
「黒女帝を継ぐお方が徒では格好がつきません。それに、万一、戦闘になった場合に、ルイド将軍と一緒にいてくださった方が安心できます」
ルイドとスッラリクスに説得されて、渋々エリザは馬に乗った。
(これも、格好ついてないと思うんだけどなぁ)
まるで親子である。馬に乗るときも降りるときも、ルイドに両脇を抱えられている。格好がつくとかつかないとか、もはやそういうレベルですらない。
エリザは馬に乗れないことが恥ずかしかった。ティヌアリアに相談すると『気にしすぎよ』と笑われた。
『エリザは変なことを気にするのね。そんなこと、誰も気にしていないと思うわよ』
こうしてルイドと一緒に馬に乗るのは、ダリアードの町へ来る前以来だった。あれから、ひと月しか経っていないのに、エリザはすごく遠い過去のように感じた。
つい昨日までアルフォンたちと暮らしていたような気持にさえ、なることがあるのだ。エリザは、平穏な日々を忘れることはなかった。だが自分から思い出そうともしなかった。過去を思い出すということは、彼らの死を思い出すこととも同義だった。
不思議と、魔都へ向かうエリザに不安な気持ちはなかった。ルイドがいる。スッラリクスがいて黒樹がいる。そして二千の兵に囲まれている。それだけでどこか安心できている。どんなに大軍が相手でも負けるとは思えない。
そして魔都へ向かう途中で、兵は自然と増えて行った。そのすべてにスッラリクスは直接会って、話をして、編成に加えてゆく。
その中に、一角獣に乗った赤髪の女性がいた。彼女の姿を見るなり、黒樹が飛び出していった。
「敵将を助けたやつだ」
「あら、今回は味方として来たつもりなんだけど」
一角獣に乗ったまま、女は不敵に笑った。エリザの眼にも、それはあまり美しかった。太陽の光を浴びて、大地の色をした髪がキラキラ輝いている。端麗な容姿に、一角獣の幻想的な姿が相まって、どこか神々しくさえも見える。
エリザは彼女の姿に見とれていた。
「黒樹、やめてください。私はまず話をしたい」
スッラリクスがすぐに出てきて、喧嘩腰の黒樹を止めた。
「話の分かる人が出てきてくれたわね、ありがたいわ。私はディスフィーア。できれば代表さんとお話をしたいのだけれど。あなたは?」
「私はスッラリクスと言います。ここでは、やってきた者とまず最初に私が話をすることになっています」
「そう。なら話をしましょう」
「まずは一角獣から降りてはいただけませんか。こう、ずっと見上げていると首が痛い」
ディスフィーアは「ごめんなさい」と笑って、一角獣から降りた。そうすると、兵たちの中に彼女の姿は隠れてしまった。そこで初めて、エリザは一角獣があまりに大きいのだ、ということに気が付いた。普通の馬より二回りは大きい。じっと一角獣を見ていると、一角獣もエリザに気が付いたのか見つめ返してきた。
背で馬の手綱を握るルイドが、一瞬、緊張したのをエリザは感じ取った。一角獣が襲い掛かってくると思ったのだろうか。
「大丈夫よ、ルイド。あの子からそういう気配は感じない」
「わかるのですか」
「なんとなくだけれど……。普通の動物と纏っている精霊が明らかに違うの。高潔な感じがする。見た目が神聖なだけじゃなくて、魂が高潔なのよ、きっと。だからあんなに美しいんだわ」
一角獣が、ゆっくり寄ってきた。間にいた兵たちが、道を開ける。
エリザは馬上で立ち上がった。ルイドが支えてくれる。一角獣の角に触れようとしたが、一角獣は嫌がるように頭を逸らした。エリザは角の代わりに、一角獣の首筋に手をあてた。
毛は、驚くほどに柔らかかった。ふかふかしている。エリザはしばらく一角獣の毛を撫で続けた。気持ちいい。一角獣が獅子の尾を振り、エリザにもう一歩寄ってきた。エリザは、一角獣の身体に顔をうずめた。至福である。
「エリザ様、よろしいですか」
スッラリクスがやってきて、言った。エリザは顔をようやく顔を離した。ルイドはそのままエリザを地面に下ろしてくれた。
スッラリクスの隣には先ほどの女性がいた。
「ディスフィーアよ。あなたがエリザ様ね、どうぞ宜しく」
「スッラリクスさんには話したけれど……」
「待ってください、場所を変えましょう」
周囲の兵にも、あまり聞かせたくない話、ということのようだ。
「その必要はないわ。――あ、危ないわよ、ちょっと下がって」
ディスフィーアは周囲の兵に声をかけた。彼女を中心として、風の精霊が集まる。風の精霊は静かに、ゆっくりと、ディスフィーアの周りを旋回した。圧縮された気が壁となり、静かに渦を巻く。音を遮断する空気の壁だ。
エリザとディスフィーアの他に、スッラリクスとルイドだけが壁の内側にいる形になった。
「さて、と。話を戻すわね。私はゼリウス様の名代としてここに来たわ。そして、ゼリウス様は今回の戦いに介入なさるつもりはない」
「それじゃあ、どうしてここに? ゼリウスさんの代わりなんでしょ?」
「あなたを、見に来た」
「私を?」
「そう、エリザ様がどういう人なのか。悪い人じゃないんだろうなっていうのは、わかる。そうじゃなきゃユニコがなつくはずがない。だけど仕えるに値するのかどうかは別の問題よ。私はそれを見極めに来た」
「見極めるって、どうするの?」
「そうなのよ、それなのよ。……で、色々考えたの。ゼリウス様の話をしないで潜り込んで情報を集めようとか、色々、駆けながら考えた。考えたんだけど、なんだかここまで来たらそんなつもりなくなっちゃった」
ディスフィーアはそう言って肩をすくめた。
「だから、このまま同行させて欲しいの。それが一番良いと思ってる。どうかしら」
ディスフィーアの言葉には、一片も嘘が混じっていなかった。エリザはそれが非常に心地よく感じた。
「もちろん、喜んで。歓迎するわ」
「ありがとう。お世話になるからには手伝えることならやるわ。ただし、あなたが仕えるに値しないと思えば、私は去る」
エリザは「わかっているわ」と返した。
「宜しく、ディスフィーア」
「フィーアでいいわ。宜しく、エリザ様」
差し出された手を、エリザは握り返した。
こうしてディスフィーアが加わった。
ディスフィーアの他にも大勢の人が集まってきた。そのほとんどが志願兵だったが、中には戦えない者もいた。スラム=ルイドから合流しようとやってきた孤児たちや、食うに困って土地を捨ててきた老人、乳飲み児を連れた女性。
スッラリクスは、そういった者たちも一人たりとも追い返さなかった。百人単位で集まってくると、必ず十人の兵をつけてダリアードの町まで送らせた。それの繰り返しだった。だから、いっこうに軍は前に進まない。
さらに商人たちもやってくるようになった。それもすべて、スッラリクスが信用できるか判断し、約束を取り付けて兵糧や武器の援助をさせた。
商人のキャラバンが到着するたびに輜重隊が止まる。それで、進軍はさらにペースを落としている。
「時をかければ、どんどん不利になる。そう言ったのはあいつではなかったか」
ルイドは焦れている。口には出さないが、エリザはルイドの周囲にそういう精霊が漂っているのを知っていた。