☆3-4「美味しいディナーよろしく。三回分くらいかな」
夜だった。申し訳程度にまだ火の残っている焚火の明かりと、夜空の輝きが、クイダーナの大地を照らしている。
サーメットは上半身を起こした。肩口の傷が痛んだ。肩を見ると焚火の反対側で、螺旋状の角が持ち上がった。角の生えた白馬が、じっとサーメットを見ている。サーメットはじっと一角獣を見返した。
「うぅん……」
身体を横たえた一角獣に身体を預けていたディスフィーアが、寝返りを打った。一角獣はサーメットと目を合わせるのをやめて、ディスフィーアを包み込むように頭を落とした。
「……お母さん」
ディスフィーアの寝言は、まるで泣き声のように、か細かった。
サーメットは、ディスフィーアとその母が、父に追い出された時のことを思い出した。サーメットはその時、まだ少年と青年の間くらいだった。腹違いの幼い妹が急にいなくなった。ナーランが生まれた頃だ。
父は何も言わなかった。そのうちに、周囲から、父が追い出したのだという話を聞いた。
父には、何も聞かなかった。武術や精霊術の修行の手を抜いたら、妹と同様に追い出されるのではないか。そういう恐怖が常にあった。そうなれば、自分はともかく母は耐えられないだろう。
サーメットは幼い妹のことを、よく思い出した。守ってやれなかった。自分の無力さを感じて悩んだ。
その妹が生きていて、クイダーナに帰ってきたときにはサーメットは年甲斐もなく喜んだ。大地の色にそっくりな赤髪、炎のような瞳。間違いなく、自分の妹だ、と思った。
父はディスフィーアのすべてを一切無視した。サーメットは何度も粘り強く掛け合い、ようやくゼリウスへの紹介状を書いてもらった。
「おれは守ってやれなかったというのに、お前はおれを助けに来てくれたのだな」
情けない話だ、とサーメットは思った。焚火に、木の枝を投げ込む。
朝まで火を絶やさないようにした。いくら一角獣に包まれているとはいえ、冬の夜である。
「うーん、良く寝た」
白い獣の間から、ディスフィーアが上半身を起こした。長い赤髪が揺れる。器量の良い娘だ。
我が妹ながら、美人に育ったものだ……。サーメットは思わず嘆息した。
「あ、おはよう。肩の傷、大丈夫?」
「おはよう。手当してくれたんだな、ありがとう。おかげでちゃんと動くよ」
「そ。なら良かった」
ディスフィーアはそう言うと、黄色い果物をサーメットに放った。朝食、ということらしい。
「……あ、言い忘れてたけど貸しだからね。美味しいディナーよろしく。三回分くらいかな」
ディスフィーアは意地悪げに笑うと、自分も果物にかじりついた。口元に果汁がべっとりついて、せっかくの美人が台無しだ。
サーメットは苦笑すると、自分も果物を食べた。甘味の少ない、柔らかな果物だった。こういう野生の食事は久々だ、とサーメットは思った。
食事を終えると、ディスフィーアは一角獣に跨り、サーメットに手を伸ばした。
「魔都へ行くのか」
「まっさか。私はゼリウス様に報告しに戻るのよ。ダリアードの町で討伐軍が負けた件について」
「頼む、その前に魔都へ行こう。お前の一角獣なら誰より早くライデーク伯に知らせることができる。弟たちの無事も確認したい。それから父上とゼリウス様の指示を仰ごう」
「いーや! 私はゼリウス様に報告しに行く。サーメット兄さんが魔都へ行くっていうなら、歩いて行ったらいいじゃない。歩いてボロボロになっていけば、負けましたっていっても許してもらえるかもよ」
妹の皮肉に、サーメットは屈しなかった。
「いいや、頼む。せめて父上に会いに行こう。黒女帝の力を継いだという少女が反乱軍の中にいるんだ。それに背徳の騎士の名前も出てきている。そのことを一刻も早く知らせたい」
「大昔の戦争で死んだ人たちじゃない」
「おれもそう思っていた。だけど、確かに見たんだ。純血種並みの力を持つ少女を」
「ふーん」
ディスフィーアは少し悩んだが、やはり首を振った。
「それなら、なおのこと先にゼリウス様に伝えるわ。ゼリウス様がどうするか決めて、私はそれに従う。だって、もし本当にその少女が純血種なら、残りの三人の純血種がどう動くかで戦況が決まるようなものでしょう。ゼリウス様のところへ行けばデメーテ様もいる。お二人が反乱軍につけば反乱軍の勝ち、王国軍につけば王国軍の勝ち。そうなるんじゃない? それなら別に魔都へ行く必要もない」
「……やはり、父上を許してはいないか」
「さあね。どうするの? 私はゼリウス様のところへ行く。乗ってく? それとも歩いて魔都へ向かう?」
サーメットは肩をすくめた。決めたら譲らないところは父親譲りだ。
「おれは歩いて魔都へ向かうよ。ここがどこだかいまいちわかっていないが、星の位置でだいたいの方角は分かる」
「そ。死なないでね」
「お前こそ、達者でな」
白い騎影が赤い大地に溶けてゆく。サーメットはそれを見送ると歩き出した。日が暮れてゆく方角に向けて、ひたすら歩く。泉を見つけ、喉を潤すことはできたが、食料が問題だった。サーメットは野生の植物の何が食べられるのかわからず、胃を満たすことはできなかった。
弓でもあれば狩りができるのだが、あいにく武器は剣しか持っていない。精霊術を使うにも、あまり遠くに火を起こすことなどできないし、ディスフィーアのように風の精霊が使えるわけでもない。
丸々一日も空腹のままでいると、さすがに参ってきた。このまま餓死するまで歩き続けなくてはならないのではないか。そんな幻想にとらわれてしまう。
それでも歩き続けた。事の次第を報告せねばならない。そういう義務感だった。
ディスフィーアと別れて二日目の昼、サーメットは足元に違和感を感じた。見ると地面のあちこちが不規則に盛り上がっている。そのうちの一つからひょっこりと顔を出したのはモグラだった。
サーメットは必死に地面に剣を突き立てた。
食糧! モグラは食べられる!
領内で何度か、香草につけたモグラの肉を食べたことがある。あまり美味しいとは思わなかったが、この際、背に腹は代えられない。
何度も何度も剣を穴に突き立てては空振りをする。あざ笑うように別の穴からモグラが頭を出す。それを十回以上も繰り返して、サーメットは物理で攻めるのをやめた。
炎の精霊を集める。赤い大地を、より紅く染め上げろ。
焦げたにおいが、辺りに充満した。サーメットは焼死したモグラに、今度こそ剣を突き立てた。そのまま穴から引っこ抜く。
ずいぶん長い胴体だった。サーメットはモグラの全身を穴から抜き出すのに、三歩も下がらなければならなかった。長い胴体には、等間隔で足が十本以上生えており、その先は魚の尾ひれのように鱗がびっしりついている。
これは本当にモグラだろうか。
サーメットは少し悩んだ。だが空腹には勝てなかった。モグラの胴体を切り分けると、精霊術で火を起こし、あぶった。焼死したとはいえ十分に焼けているわけではないのだ。
塩も振っていない、香料もまぶしていないのに、辺りに食欲をそそる臭いが立ち込める。
サーメットは我慢できず、肉に喰らいついた。
(旨い!)
貪りついた。もはやこの生物が本当にモグラだったのかどうかなど大した問題ではなかった。
結局、ずいぶん長いと思ったモグラの胴体部分を、ほとんどを食べてしまった。満腹である。サーメットはその場で寝転がった。もう二日間、ほとんど休んでいない。疲れがどっと出た。サーメットは心地よい眠りに落ちて行った。
……あまりの腹痛に目を覚ました。
腹を下したとか、そういうレベルではない。胃腸の中で何かが暴れている。サーメットは食べた物を吐き出そうとしたが、出てくるのは唾だけだった。
寒気がする。脱糞しようとしても出て行かない。
すぐそばに転がっているモグラの死骸が、もう骨だけになっていることに、サーメットは気が付いた。
おれは、何を食べてしまったのだ……。サーメットは死を覚悟した。
イラスト:白石ひなた(ゆーり)様
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