3-3「人間族の支配に不満を持っていない魔族などいるものか!」
ターナーと名乗った男の、手枷を外すようにエリザは命じた。
「しかしエリザ様、手枷を外せば精霊術を使うやもしれません。精霊を寄せ付けない為のルーンを施してあるのです」
「いいから、解きなさい」
渋々だったが、黒樹は従った。手枷を外されたターナーは、それでもエリザを睨み付けるのをやめない。
「私はエリザ。ターナー、あなたはどうして私を睨み付けるの?」
「お前が、おれの兄と弟を奪ったからだ。兄は最期まで戦い、弟はおれの目の前で槍に刺された。あの傷では逃げ切れないだろう」
「待て、お前の兄なら生きているぞ。一角獣に乗せられ、逃げ切った」
ターナーが、黒樹を見た。
「一角獣……だと? それは本当か」
「本当だ。嘘を言ってどうする」
「だが、弟を殺したことは変わらん」
「戦だったのだ。誰かが死ぬ、当たり前のことではないか。それとも名も知らぬ兵なら良くて、肉親はダメだとでもいうのか」
「そうではない、そうではないが……」
「理解していても、納得できないのは分かる。だがおれもダークエルフの仲間を何人も殺された。それも、お前の兄にだ。だが、こうしてお前を生かしている」
「……くっ」
エリザは、ターナーの周りに嘆きや怒りの精霊を見た。だがそれは、兄が生きていると知って、少しは収まった。
エリザは黒樹に、スッラリクスを呼ぶように命じた。ターナーと二人きりにすることを渋った黒樹だったが、エリザは押し切った。黒樹が離れる。
エリザは、じっとターナーの眼を覗き込んだ。
「ターナー、話を聞いて。私も、家族のように思っていた仲間を殺された。だから、私は誰も傷つかない世界を目指して、戦うことを決めた。その為に、誰がどんなに傷ついても、私はやり遂げるつもりよ」
「それがどうした。おれになんの関係がある」
「ジャハーラ公と話をしたいの。それで、流れる血を減らせるかもしれない」
「無理だ。父上は自分の考えにしか従わない」
ターナーの言葉に、嘘は感じられない。
「それじゃあ、ターナー、あなたの意見を聞くわ。あなたは私の考えを知った。その上で、聞きたいの。今の世の中が正しいと思ってる?」
「そんなわけがない。人間族の支配に不満を持っていない魔族などいるものか!」
「不思議よね。私たちは共に、今の世界がおかしいと思っている。なのに戦争をしている。兄弟を殺されたり仲間を殺されたり、傷つけ傷つきあっている」
ターナーは答えなかった。エリザは続けた。
「ねえ、ターナー、私たちと一緒に魔都へ行かない? そうして、自分の目で見て判断するの。ジャハーラ公でもなく、あなたの兄弟でもない。あなた自身で、答えを出すの。そして私をジャハーラ公に会わせるだけの価値があるかどうか、あなたが決めたらいい」
「断る。おれ自身が不満に思おうと、おれは父上や兄上の判断でなければ動かん」
「あなた自身の考えは?」
「おれは……おれ自身は、正直まだわからない」
ターナーが俯いて、首を振った。
黒樹がスッラリクスを連れてくる。エリザは、スッラリクスに訊いた。
「ねえ、私はターナーを解放しようと思うのだけど、どうかしら」
黒樹が目を丸くし、スッラリクスは笑った。
「御意にございます。エリザ様がそう望まれるのであれば、そうしましょう」
「待ってくれ! せっかくの人質だぞ! それも、最大の敵になるかもしれない炎熱の大熊公の息子だ。せめて身代金でも取るべきだ」
「そんな盗賊のようなことなど、私たちはしませんよ。ねえ、エリザ様」
スッラリクスが意地悪げに笑った。
スッラリクスは他の捕虜たちも全員を集めた。
「エリザ様の恩情により、あなたたちを解放します。ですが、いいですか、魔都クシャイズはこれから戦場になる。ジャハーラ殿の領地へ行くのです。ここにいるターナーという青年が先導してくれるでしょう。もちろん魔都へ帰るというのなら止めはしませんが、あまりオススメはできませんね。もちろん、どうしても私たちと戦いたいというのなら、止めることはできません。ですが私は、もう一度あなた方と戦いたいとは思いません。同じクイダーナの民ではありませんか。エリザ様もあなた方との戦を望まれておりません。ジャハーラ殿の領地へ帰り、庇護を乞うと良いでしょう。彼なら厚く迎え入れてくれます」
解放した捕虜は百人にも上った。その全員に十日分の兵糧を与え、モンスターに遭遇した時の為に最低限の武装も返した。
これにはエリザも驚いた。エリザはターナーだけ解放するつもりだったのだ。それが、捕虜の全員を解放する話になっている。
ぞろぞろと解放された敵兵が砦から出てゆく。さすがに驚いたルイドが、スッラリクスに訊ねにきた。
「どういうつもりだ?」
「はて、なんのことでしょう。私はエリザ様の意思を尊重したまでのこと。ところでエリザ様、どうしてあの若者を解放しようと思ったのです?」
「真っ直ぐな人だと思ったから。いずれ、私たちは一緒に戦えるようになる。そんな気がしたの」
精霊がそう言ってるようだったから、とは言わなかった。未来のことは、しっかり見えるわけじゃない。
「おそらく、それは正しい、と思います。それに、これは無駄なことではありませんよ。魔都は今、大きく二つに割れています。旧帝国派と、王国派。言い換えれば、魔族と人間族。そして魔族側の求心力は、ジャハーラ殿とゼリウス殿のお二方。そのうちジャハーラ殿に、これで楔を打ち込むことができる。おそらく、ターナーというあの青年は、私たちのことをそう悪く言わないでしょう」
「ジャハーラ公に、息子の意見が通るとは思えないが。それに、全員を解放する必要はなかっただろう。こちらの陣容も何も、すべて見られているのだぞ」
「陣容と言いますが、私たちの編成など敵には筒抜けです。今更心配することではありません。それから、全員を解放したのは、そうしておけば、ジャハーラ殿の領地へ向かえと言っても、魔都へ向かうからです。そしてジャハーラ殿の領地へ向かうようにここで言われたと勝手に吹聴してくれます。捕虜の中に、こちらに寝返った者を何人か紛れ込ませています。彼らが仕事をしてくれれば、ジャハーラ殿がどのように考えて行動しようとも、周囲が勝手にジャハーラ殿は裏で反乱軍とつながっている、と思い込んでくれます。仮にそこまで上手くいかなくても、ジャハーラ殿に何かあるのでは? と、敵の陣営に疑念を覚えさせることはできる」
「離間の計ということか」
「ええ、そういうことです。では、ご納得いただけたところで私たちも出発しましょう。さすがにこちらは輜重を含めた二千人です、先行した捕虜たちに追いつくことはないでしょう」
スッラリクスがにっこり笑い、片眼鏡から首にかけて垂れた紐が微かに揺れた。
女性のような笑顔だ、とエリザは思った。