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ユーガリア戦記  作者: さくも
第1章 スラム=ルイド
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1-3「ずっと長いこと、独りぼっちだったの」

 アルフォンは屋根伝いに移動し、路地裏で身を隠すようヴィラに指示すると、フードを取って町の様子を見に行った。大丈夫、顔は見られていない。

 兵士の数が多い。手にたいまつを持って、二人一組で巡回している。バハムートの鼻息から屋根伝いとはいえ一刻(二時間)は移動したにもかかわらず、そこかしこに兵士を見かけるということは、それなりの兵が動員されているということだろう。


(百か、二百か……)


 いや、もっとずっと多そうだ。魔都クシャイズの傍らということもあって、ルイドと名付けられたスラム街は広い。その中でこれだけの兵を見かけるのは珍しい。下手をすれば五百人くらい駆り出されているかもしれない。


(まずったな。思った以上に大物だったか)


 ヴィラが盗みを働いた相手は大商人か貴族だったということだろう。そうでなければこれだけ大規模な動員は考えにくい。


 素知らぬ顔でニーズヘッグに入る。一番大きな酒場を覗き込むが、いつもうるさく騒ぎ立てているへべれけ連中は店の隅に追いやられて、端でちまちまと酒をすすっていた。五人ほどの兵士が店内にいて、テーブルクロスを上げて机の下まで調べ上げている。盗難の情報が多かったのだろうか。アルフォンは日ごろの行いを少し反省した。

 そっとニーズヘッグを離れ、ヴィラのもとへ戻る。


「このまま朝まで隠れていた方が良さそうだ。兵士がうろちょろしてやがる」

「なあ、アルフォン、そんなヤバいのか」

「思った以上に大事になってるみたいだ。よっぽど城に顔の利くやつだったんだろうな。たった一刻でこんなに兵士を駆り出すなんてな」


 ヴィラは盗み取った袋をアルフォンに差し出した。


「頼む、預かっててくれよ。これ持ってると、おれ、心臓がバクバク言ってさ」


 アルフォンは袋を受け取った。ズシリ、と想像以上の重量に驚く。不審に思って袋を開けると、暗がりでもそれとわかる大量の金貨が入っていた。


 一瞬、アルフォンは気が遠くなった。


 おそらく百枚は下るまい。これだけの金貨があれば何年か盗みをしなくても孤児仲間全員が食べてゆける。バハムートの鼻息どころか、魔都に店を持つことだって可能だ。

 これまでラッセルと組んで盗みをしてきた中でも、金貨を手にしたことは片手の指で数えられるほどしかない。あれだけの数の兵士が血眼になっている理由が十分に分かった。


(とんでもないの、引いちまったみたいだな……)


 アルフォンはヴィラの頭にぽんと手を置いて、大丈夫だ、と言った。

 自分に言い聞かせているようだ、とアルフォンは思った。アルフォンは、ヴィラの頭に乗せた自分の手が震えていることに気が付いた。その震えが、まもなく冬を迎えようとする冷気によるものでないことは、よく分かっていた。


      ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


 エリザは酒場「雛見鳥(ひなみどり)」で唄を歌っていた。

 盗みで生計を立て続けるわけにはいかないと考えているミンの考えで、子どもたちもそれぞれ何らかの仕事を得るようにしていた。エリザの今日の仕事は、日没から一刻半(三時間)、酒場で弦楽器を奏で、唄を歌うことだった。

 雛見鳥はニーズヘッグにある酒場の一つで、小さな店だった。子どもたちが日替わりで歌ったり芸を披露するのを売り物にしている。マスターはミンの知り合いで、無口だが信用のできる人だ。ミンの口利きで、孤児の子どもたちは日替わりで使ってもらえることになっていた。


 酒場に集まる者たちは人生に疲れている。エリザは肌でそれを感じ取っていた。

 眼に力が宿っていない。酒におぼれている。何をやってもうまくいかない、そんな顔だ。

 雛見鳥はニーズヘッグの中ではまだ大人しい客が多い方だが、この場合、大人しいとは裏を返せば生気がないということだ。


 だからエリザは、なるべく気分が上がるような曲を歌うことにしていた。元気いっぱい、少しでも笑顔になれるように。

 酒瓶が飛んできて罵声を浴びせられることもあるし、逆に銅貨を何枚か渡されて路地裏へ引き込まれそうになったこともある。アルフォンやラッセル、それにマスターが助けてくれなかったらどうなっていたことかと思うような危うい場面も多々あったが、それでもエリザはこの仕事が気に入っていた。


「悪いんだけど、もう少し歌っていてくれないか」


 切り上げて帰ろうとしたエリザに、銅貨を一枚放って客がそう言った。


 酒場のマスターをちらりと見る。軽く頷かれたのを確認して、エリザは唄を続けた。

 エリザに歌を注文した客は、人間の年齢で四十過ぎといったところか。額に刻まれたしわと、鋭い目つきが特徴的な男だった。白髪の混じった長めの黒髪を後ろに流している。男は鎖帷子を着込み、マントを羽織っていた。それからずっしりとした荷袋を床に置いていた。

 他の客と違って、まだ目に光が宿っている。冒険者だろうか。エリザは珍しいな、と思った。


 半刻ほど追加で歌い切り上げようとしたとき、マスターがエリザに銅貨を放ってきた。

 マスターが銅貨をエリザに放るときは、閉店するまで続けてくれ、という合図だった。エリザは小休止を挟みつつ歌い続けた。冒険者風の男はグラスを持ったまま目を閉じている。


 雛見鳥は子どもたちの芸を売り物にしていることもあって、酒場の中ではかなり閉店が早い。それでも日没から三刻(六時間)ほど歌い続けることになった。

 客が引いてゆく。冒険者風の男はグラスを握って目を閉じたままだった。眠っているようだ。客が男だけになる。


「すまなかったね」


 マスターはそう言うと、エリザに銅貨を三枚くれた。ミンがここのマスターを信用している一番の理由は、必ずお金を払ってくれることだ。


「あの人はいいの?」

「ああ――気にしなくていい」


 エリザは楽器をしまった。ふと、男の荷物を見ると、袋から剣の柄が飛び出しているのが見えた。先ほど見たときには気が付かなかった。金色(こんじき)の柄に何か宝石がはめ込んであって、それが高価なものだろうことは容易に想像がついた。


 マスターは客の飲んだ後を片付けている。冒険者風の男は眠っている。

 ミンとラッセルがお金のことで良く揉めているのを知っていた。もしかしたら、この剣一本あれば、お金のことで二人が揉めなくてすむかもしれない。ミンは盗みが悪いことだと言うけれど、でも――。

 エリザはそっと男の荷に手を伸ばした。


 剣の柄を握った瞬間、エリザの目の前が真っ暗になった。マスターが片づけをする音も掻き消え、エリザは暗黒の静寂に閉じ込められた。


 エリザは目が見えなくなり、耳が聞こえなくなったのだと思った。悪いことをしたから、罰が下ったんだ。

 ところが、沈黙の中、微かに女性の声が聞こえることにエリザは気が付いた。ミンの声ではない。もっと大人の、もっと高貴な、高潔さを感じる凛とした声。


『聞こえますか』


 やっと、エリザは声の主がそう言っているのを理解した。声の意味を一度理解すると、次の言葉からは自然と聞こえるようになった。


『私はティヌアリア、あなたは?』

「私はエリザ」

『エリザ。嬉しいわ、やっと話ができる相手が見つかって』


 エリザは、ティヌアリアの声に親しみを感じた。


「ティヌアリアは独りぼっちなの?」

『ええ、そうよ。ずっと長いこと、独りぼっちだったの』

「寂しかった?」

『寂しかったわ。だからこそ、今話せることが本当に嬉しいのよ』


「ティヌアリア、私は目が見えなくなってしまったの?」

『いいえ、そんなことはないわ。ただ、そういう気がしているだけよ。目を開けてごらんなさい』


 エリザは、目を開けた。


 見慣れた雛見鳥の店内のはずなのに、エリザはその光景に吐き気を感じた。


 色だ。色が塗ってある。


 どす黒い染みのような色が、至る所に塗りたくられている。眼を開けたら音も聞こえるようになった。マスターはまだ片づけをしているようだ。エリザは、吐き気をこらえて顔を上げた。

 血の色と、錆びた銅のような色が混じりあっている。エリザは吐き気を堪えられなくなった。


 剣を落とす。乾いた音が店内に響く。盗もうとした剣が、柄の先で折れていることに、エリザは今気が付いた。

 冒険者風の男が目を覚まし、事態を察すると驚愕した表情でエリザの両肩に手をかけた。男の両腕がひどく重い。エリザの肩を揺する男の顔が、クイダーナの大地の色よりも禍々しい赤銅色に染まっている。血の色だ、とエリザは思った。それも、流れ出てから時間がたった後の、黒みを増した赤色。


 殺されるかもしれない。

 意識の片隅でエリザはそう思った。


(この吐き気を止めてくれるのなら、いっそ殺してくれても、いいん、だけど、な……)

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