3-2「それ程までに、ジャハーラ殿は恐れられている、と」
「そういえば、戦いの指揮を執っていたのはジャハーラ殿の三男でしたね」
スッラリクスが思い出したように言った。
「すまない、そいつは逃がしてしまった。最も、包囲戦に移ってからは指揮を執っていたわけではないようだったが」
黒樹が言い、スッラリクスは「責めているわけではありませんよ」と笑った。
「ただ、こちら側に加わった者の中にジャハーラ殿の兵もいるのでは、と、ふと思っただけです。そうであれば、ジャハーラ殿の説得の糸口も見えるやも、と」
「……いや、いないだろうな」
スッラリクスの言を、ルイドが遮った。
「ジャハーラ公の兵であれば、彼の恐ろしさは良くわかっているはずだ。指揮官が投降したというのならまだしも、サーメットとかいう将は最後まで戦っていたのだろう? そうであれば、ジャハーラ公の兵が反乱軍に加わっているはずがない」
「それ程までに、ジャハーラ殿は恐れられている、と」
「苛烈な方だ。裏切りは決して許さない」
「なるほど」
スッラリクスは腕を組んで、少しの間、思考した。
「では、捕虜はどうでしょうか。逃げ惑う敵に追撃を仕掛け、私たちはその多くを討ち取りましたが、同時に捕虜も得ております。その中に、ジャハーラ殿の兵がいる可能性は?」
「それはまだ可能性がある。ジャハーラ公は、部下に不必要に死ねと命じはしないだろう」
「早速、当たらせましょう」
黒樹が「任せておけ」と言って、出て行く。スッラリクスが改めてエリザに向き直った。
「お目覚めのところ慌ただしくて申し訳ございませんが、兵を鼓舞してはいただけませんか。エリザ様の無事を知れば士気は高まります」
「わかった。それからすぐに出発よね」
エリザは立ち上がった。足が言うことを聞かなくてふらついてしまうが、エリザは何とか踏ん張った。二日も寝ていたから、足に力が入らない。レーダパーラが手を取って支えてくれた。
ルイドとスッラリクスが兵を集めると言って、先に出てゆく。
エリザはレーダパーラと共に館から出た。
町中が、人で溢れていた。
訓練中の兵たちだけではない、町中の人々が、エリザを見ている。以前見たことのある兵の顔、魔都の城下兵、貴族の私兵だったと思われる人たち、冒険者、歴戦の猛者という感じの傭兵たち、ダークエルフ、それに、町の人々。エリザはなるべく多くの人の顔を見るように、ゆっくりと見渡した。
ふう、と息を吐く。「大丈夫?」耳元でレーダパーラが訊ねる。エリザは頷いた。
風の精霊を集める。良く声が通るように、お願いする。その段になってようやく、エリザは住居の屋根で暇そうにしている風王に気が付いた。目だけは楽しそうにしている。
「私は、エリザ。黒女帝の力を継ぐ者」
エリザは魔の精霊に呼びかけなかった。今はその時ではない。自分の声で、自分の思いを伝えるだけでいい。
「私はスラムで育った。スラム=ルイド。貧困にあえぐ人々が集う場所。私の故郷。そして、私の家が焼かれた。どうして、こんなに世界は不条理に、不平等に、奪われ奪うようにできているの? どうして他人の幸せをかすめとって、あたかも自分の幸せだという風に言い張れる人たちがいるの? 私は、それが許せない」
怖ろしいくらいに静かだった。誰も、一言も発しない。
「世界を、変えよう。それには私一人の力では及ばない。でも、みんなでなら変えられる。どうか力を貸して欲しい。人の手から、私たちの権利を奪い返そう。幸せに生きる権利を、取り返そう」
短い演説だった。だがそれでも、群衆は歓声に沸いた。口々に魔族の世を取り戻そう、人間族の時代を終わらせようと言う。魔術を使うまでもなく、全員が何かに洗脳されているかのようだ。エリザは自分の考えに少しぞっとした。
ルイドはそのまま兵に進発の準備を整えさせた。日が暮れるまでには発てるという。
エリザが館に戻るとすぐ、黒樹が一人の男を連れてきた。手枷を嵌められている。まだ二十歳そこそこという所だろうか。赤い髪に、赤い眼。炎のようだ、とエリザは思った。
「その人は?」
エリザが訊ねると、黒樹が乱暴に男の背を蹴った。男はエリザを睨み付けている。
「名乗れ」
「おれは……ターナー。ジャハーラ子爵の四男、ターナーだ」
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
ダリアードの町での戦いに、サーメットが敗れた。その報告は、ナーランが瀕死で魔都へ辿り着いた時とほぼ時を同じくして、ジャハーラにも届けられた。ジャハーラは調練中にその報を聞くと、息子たちの安否も確認せず、兵に出動準備を整えさせた。
長男アーサー、次男カートにも準備をさせた。二人は、父であるジャハーラよりも老いて見える。すでにアーサーは五十を超え、カートも四十を超えている。
「黒女帝の力を継いだ少女、と報告では言っていたな。それはティヌアリア様の魔力に似たものを持っているだけではないのか。いや、ルイドが加担しているということは、そうではないだろうな」
ジャハーラは一人呟くと、どう動くべきか慎重に考えた。
魔都へ行き王国軍につくか、反乱軍につくか。
反乱軍につくのが、自然な流れに思えた。魔族は不当な扱いを受けている。その不満はジャハーラ自身にもあった。帝国時代の四分の一にも満たない小さな領土に封じられ、多数の兵を養うこともできずにいる。そして人間どもは黒女帝の魔都を我が物顔で占拠している。
その気になれば、ゼリウスを巻き込んで反乱を起こすことはできた。
それをしなかったのは、黒女帝の意思を尊重していたからだ。黒女帝ティヌアリアは、貴士王ゲールデッドに未来を託して死んだ。
自ら命を絶ったようなものだ。ジャハーラは、そう思っている。ユーガリア中の魔族へ対する憎しみを、その身にすべて背負い、死んだ。
ならば、人間たちがどういう世を作るのか、黒女帝に代わり見届けよう。それがジャハーラの決めたことだった。口には出さないが、ゼリウスも同じように思っていることだろう。だから、動かない。
(あなたは、あんなところで、あんなことで落とすような命ではなかったはずだ……)
人間族に玉座を明け渡したのだ。そうして得た玉座を、今は人間どもが汚している。
されど、黒女帝はそうなることも見通した上で玉座を明け渡したのではないか? 貴士王がどんなに理想を掲げた所で、代を重ねればそれは薄れる。魔族への畏れは、今や侮蔑に近い物に変わっている。
いつまで、見守ればいいのだ。
いつになれば、黒女帝が信じた世が来るのか。
英魔戦争から四十年が経った。貴士王ゲールデッドも既に世を去り、今やその孫であるビブルデッドがユーガリア全土を治めている。
五騎士と呼ばれた騎士たちもすでに三人がこの世になく、残るのは聖騎士パージュと、ルイドだけである。
戦争が、風化していた。
錆びついた剣のようだ。研がなければ錆びる。錆びがひどくなれば、使い物にならなくなる。そうなる前に、手を打つべきではないのか。
だが、それは黒女帝を裏切ることになる。彼女が死んだ意味がなくなる。
出動準備を兵に取らせてから、二日が経った。ジャハーラは自問自答を繰り返していた。
魔都、ライデーク伯から早馬が入った。軍を率い、魔都へ参集せよ。
ジャハーラは準備を理由に使者を帰させた。既に準備はできている。だが、まだ答えは出ていない。どちらにつくか。
ルイドが祭り上げた少女は、本当に黒女帝の力を継いでいるのか。そもそも、ルイドはいつまで、過去の妄執に取りつかれているのだ。もう決着はついた。黒女帝が敗れ、人間族の世になった。四十年という月日は、それが失敗だったと結論付けるのにふさわしいだけの時間なのか。
まだ時ではない。ジャハーラはずっとそう思い続けてきた。今が時だ、とも思えない。
使者を帰した翌日、ジャハーラは兵に出動を命じた。
魔都へ、向かう。
どうすればいいのか、明確な答えは出なかった。だが、ルイドが妄念で戦争をやり直そうとしているのならば、黒女帝の墓標にかけて、止めなくてはならない。一度は決着がついたことなのだ。
何より……。ジャハーラは思った。
「おれは、ルイドと剣を合わせたい」