☆2-19「私はエリザ、黒女帝ティヌアリアの力を受け継いだ者」
破られた門から、騎兵が突入してくる。まるで濁流のようだ。エリザは物陰に身を潜ませていた。風王の周りに漂う風の精霊を使って、敵の侵攻を止めようとするが、ほとんど効果がない。
突撃してきた騎馬兵たちは長い槍を持っていた。エリザはそれが、ヴィラやミンを刺し殺した槍と同じに見えた。騎馬が駆ける。女子どもが逃げ惑う。黒樹の率いるダークエルフ部隊が応戦するが、ほんの一部の流れを止めているだけに過ぎない。
物陰に潜んだエリザの目の前を、水瓶を抱えたレーダパーラが走り抜けた。「こっちよ」とエリザは手招きした。レーダパーラはエリザに気が付いた。その直後を、騎馬が駆け抜けた。
騎馬は走り抜けたが、レーダパーラの肩には槍が突き刺さっていた。
貫かれた孤児仲間たちの光景が、レーダパーラに重なって見えた。何が起きたのか理解できない、という表情。槍に貫かれた瞬間のミンの顔。
エリザの中で、何かが弾けた。
「風王のおじいちゃん、力を貸して」
声が震えているのが、エリザは自分でも分かった。風王は何も言わずにエリザに近寄ってきた。エリザは、風王の手を握った。風の精霊が濃度を増してゆく。風王を、いや、エリザを中心として、風が集まる。エリザは、傷ついたレーダパーラを風で持ち上げた。
エリザは、風王の手をしっかり握ったまま、物陰から出た。
エリザに気づいた騎兵が、突っ込んでくる。エリザはその一騎を強風で吹き飛ばした。騎兵は馬から投げ出される。馬は嘶いて駆け去った。
レーダパーラが抱えていた水瓶から漏れた水の精霊を支配下に。崩れ落ちそうな民家を、水の球体で丸ごと包み込む。消火。
燃え盛る町。火の精霊を支配下に。突破された門の外側に、再度、行く手を阻む火の壁を。
十数騎の小隊が精霊術を使うエリザに気が付いた。取り囲もうと馬を走らせる。エリザは風王の力を使った。自分を中心に旋風を起こす。鎌鼬。風の刃で切り刻まれた騎兵たちは一瞬の間を置いて落馬する。
「エリザ様……」
スッラリクスだった。腕から血を流している。エリザは土の精霊に傷口を塞がせた。風の精霊に運ばせたレーダパーラを託す。
「レーダパーラを、お願い」
エリザは宙に浮いた。風王の手を強く握る。高く、高く、宙を浮く。
櫓の高さを超えた。五つあった櫓は、一か所が残るだけだった。轟々と燃え盛る町の中で、エリザの存在だけが異質だった。敵も味方も精霊も、この場にいるすべての存在が、エリザを注目していた。
「き、君は、いったい……?」
櫓の兵士が、エリザに問いかけた。
「私はエリザ、黒女帝ティヌアリアの力を受け継いだ者。――みんな、聞いて」
エリザは、風の精霊たちに自分の声を広げるよう命じた。風に乗って、エリザの声は砦中に届くはずだ。
「外の敵は私が受け持つ。これ以上、ダリアードの町へ入れさせはしない。だから、砦の中に入った敵を討って。敵の居場所の頭上に火花を散らすから、それを目印に、敵を倒すの。兵士だろうが、そうじゃなかろうが関係ない。全員で武器を持って、敵を倒すの。もう十分分かったはずよ、戦わなければ殺される。奪われたくなければ、敵を殺すしかない。それができなければ、レーダパーラやスッラリクスが傷を負った意味さえなくなる。あなたたちがここに集った意味さえなくなる」
エリザは言葉の中に魔の精霊を紛れ込ませた。ルイドのような檄はできない。不器用な言葉でいい。私は私のやり方で戦う。エリザはそう決めた。思いを乗せて、言葉を紡ぐ。
逆境を乗り越えられるだけの強さを、みんなに。
「戦いなさい、勇猛なるダリアードの民! あなたたちの戦いは、私、エリザが見届ける」
火の海の中から、住民たちが獣の叫びのような大声を張り上げた。エリザの鼓舞が効いたようだ。敵の部隊は何事か分からず、右往左往している。
エリザは、彼らの頭上に火花を散らした。
手に武器を持ち、目を血走らせた民たちが、武装した兵たちを追い詰めてゆく。魔の精霊が濃い。狂気に渦巻いた紫の色をしている。
(ごめんね)
エリザは誰にも聞かれないように、心の中で呟いた。
町を囲う砦の外、敵の本隊に目を向ける。町に侵入した兵は全体の三分の一といったところか。まだ千人以上が町の外にいる。
「なんだというのだ! 少女一人に何を恐れておる。黒女帝の力を継いだだと? はったりだ! 黒女帝は貴士王ゲールデッド様が四十年前に討ち取った。いいか、これは敵の策略に過ぎない! やつを撃ち落せ。弓兵構えー!」
貴族風の一人が、何とか指揮を執ろうとしている。百人余りの兵が矢をつがえ、エリザを狙って弓を引き絞った。
敵の声はずいぶん遠くだった。だが、風王の力を借りたエリザは、この場の誰よりも風を操ることができる。風に乗せて必要な音を拾う。
「撃てー!」
百余本の矢がエリザを目掛けて飛んでくる。中には風の精霊を行使して一直線にエリザを狙おうとする物や、火の精霊によって途中から火矢と化す矢もある。
「愚かなことを……」
エリザは手を払った。疾風。矢のほとんどが一撃で落ちた。わずかに残った矢は、方向を変え、敵の中へ落ちてゆく。敵陣から悲鳴が上がった。
「う、撃て、撃て! あの化け物を撃ち殺せ!!」
エリザは飛来するすべての矢を弾き飛ばした。飛んでくる矢の数が減ってゆく。
町の中に入り込んだ敵も、ほとんどを倒し終えたようだ。何が起きたのかわからず混乱する敵を、黒樹の率いるダークエルフの部隊が次々と屠っている。住民たちも手に武器を持ち、不意を突いては敵兵を一人一人倒してゆく。
矢が、止んだ。
目を閉じた。
エリザは、遠くに馬蹄の音を拾った。夜だというのに休まずに走り続ける騎馬の音。
目を開けた。
月明かりに照らされた赤い大地の先で、わずかに土埃が上がっている。
エリザはその先頭を走るのが、漆黒の騎士に違いないと信じて疑わなかった。
「ルイド!」
エリザは自分の声に喜びが混じっていることに気が付いた。来てくれた。黒女帝の騎士が、来てくれた。
一瞬の隙だった。そこに敵の矢が放たれた。エリザは風で打ち払うのが遅れた。
だが運命の女神はエリザの味方をした。矢はエリザの頬をかすり、耳の下を抜けていく。
エリザは敵陣を睨み付けた。
「聞きなさい。もうまもなく、黒女帝に仕えた最高の騎士がやってくる。あなたたちは今まで、自分たちが狩る側だと思っていたようだけれど、もうすぐそれは逆になるわ。ルイドが来れば、あなたたちは終わりよ」
敵陣が騒めいた。ルイドという名を、誰もが恐れている。
「背徳の騎士……いや、バカな、やつは死んだはずだ。それに生きていたとしても老人ではないか」
「待て、黒女帝が復活したのであれば、背徳の騎士が生きていてもおかしくはない」
「そもそもだ、黒女帝が復活し、背徳の騎士が生きているのであれば我々魔族が人間の下につく必要もない」
「はったりに決まっている」
「じゃあ、目の前のあの少女はなんだというんだ!」
混乱は混沌を呼んだ。やがて敵の指揮官を襲う魔族の兵が現れると、敵はもう軍としての体裁を成さなくなった。
将の首を取って反乱軍に合流しようとする者。あくまで貴族を守ろうとする者。算を乱して逃げ出す者。
遠くの土埃が、徐々に大きくなってゆく。
エリザはその先頭に間違いなくルイドの姿を見た。これで、もう大丈夫、そう思った瞬間、身体から力が抜けてゆくのを感じた。強く握っていた風王の手を離す。
浮遊感から解放され、エリザの身体が地に落ちてゆく。
手を離された風王が驚いて目を見開いている。
(おじいちゃんでも、そんな顔するんだ……)
エリザは落下しながら、そんなことを思った。精霊術を、使いすぎたみたいだ。
イラスト:白石ひなた(ゆーり)様
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