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ユーガリア戦記  作者: さくも
第2章 虹色の眼
21/163

2-15「起きてしまったことは、もう変えられないってことよ」

 戦線は膠着していた。だが、だからと言って死傷者が出ないわけではない。敵は昼夜を問わずに攻撃を仕掛けてきた。火矢はもちろん、投石や、油を染み込ませた布を投げ込んできて、時限式に精霊術で爆発させるような道具も使ってきた。

 エリザは黒樹(コクジュ)のやりようを真似て、風の精霊術を使って敵の矢を逸らし、火が付けば水の精霊術で鎮火した。あくまで目立たないように、ダークエルフの陰に隠れるように行動した。


(私なら、もっと上手く精霊を扱える……)


 心のどこかで、そう思っている自分に、エリザは気づいていた。

 エリザは毎日、敵の矢によって傷つき、仲間に支えられている兵を見た。被害は、兵だけではない。町に住むすべての人が攻撃にさらされていた。燃えた民家もある、死んだ人も、重傷を負った人もいる。それでも、何とか敵の侵入は防いでいた。


 レーダパーラは、良く負傷した人たちのところへ行っていた。エリザはそれについて行って、レーダパーラと共に怪我の治療を手伝った。

 重傷を負って唸り声をあげる兵の手をレーダパーラが握ると、嘘のように落ち着く。エリザは、レーダパーラの周りを漂う精霊が、見るたびに違うことに気が付いた。負傷兵の傷を癒すように、水や土の精霊が舞っていることが多いが、それを超えて「生きる活力そのもの」とでも言うような魔の精霊がレーダパーラの行動を支えているようだ。


 本当に精霊が見えないのかな、本当に精霊術が使えないのかな、とエリザは何度も思った。レーダパーラに手を握られた人は、すごく安らかな顔になる。その人の周りを漂っていた邪気のような色も、少しだけ薄まるようだ。


 なまじ精霊が見えてしまうから、エリザはもう助からない人のことも、事前にわかってしまっていた。重傷を負って苦しんでいる人の周りには、死の精霊が、じわじわと寄ってきて傷口から侵食する。薬草をすりつぶしたものを傷口に塗る。栄養のある木の実を食べさせる。だけど、あなたは助からない。レーダパーラは、そんな兵でも手を握り、優しい言葉をかけ、看病をする。


 エリザは、ひどく自分が冷酷な人間になったように思った。人の生死さえ見通せる。だから最初から諦めている。


 どんな怪我でも治せる精霊術があればいい。エリザはそう思った。それで眠っているとき、ティヌアリアに訊ねた。


「ねえ、ティヌアリア。死の間際の人からその精霊を動かしてあげたら、どうなるの?」

『エリザ、これだけは覚えておいて。精霊術は万能じゃない。死者を蘇らせたり、傷を瞬時に治したり、時を巻き戻したりはできないわ。精霊術にできるのは、この世の理に、小さな小さな神様に、ちょっとだけ力を貸してもらうことだけ。世の理に逆らうことはできない。不可逆的な事象は、たとえ精霊でも覆せないの。死の精霊は、そういう部類の物よ。決して触れちゃいけない。せいぜいできるのは、死ぬまでの苦痛から救ってあげることか、死をちょっとだけ先延ばしにすることだけ』

「フカギャクテキなジショー?」

『起きてしまったことは、もう変えられないってことよ。もう助からない人はどうあっても助からない。死んでしまった人には、もう会えない。それと同じことなのよ』


 エリザは、アルフォンたちのことを想った。死んでしまったら、もう会えない。


 敵の攻撃は、日に日に過激になっているようだ。味方は五つある櫓に交代で登り、敵に矢を射かける。敵にも精霊術を使う人たちがいて、矢は逸らされたり、炎の大盾で燃やされたりして、あまり効果をなさなかった。それでもすべての矢を逸らすことは難しいし、精霊術を使わせることで敵を疲弊させることもできた。


 夜になると、ダークエルフたちは森を通じて町の外へ出て、町の外から大声をあげて夜襲を装う敵や、砦内に侵入しようとする兵と交戦していた。

 昼は兵士たちの戦場、夜はダークエルフたちの戦場だった。ダークエルフは風景に溶け込む精霊術を使っていた。太陽の下では、動けばすぐにその空間に何かが潜んでいることはわかってしまうが、夜の闇は透明化の精霊術と相性が良いようだった。ダークエルフはほとんど数を減らしていない。


 それでも、無傷というわけにはいかなかった。

 片腕を落とされ、死にかけたダークエルフの兵が運ばれてきた。レーダパーラをはじめ、多くの者が看病にあたった。エリザは、彼がもはや助からないことをわかっていた。


 夜、エリザは一人で負傷者たちのところへ行った。重傷を負ったダークエルフは、苦しそうに息をしている。他の負傷兵たちは眠っているようだ。


「ありがとう、ここまで頑張ってくれて……。でも、あなたはもう死ぬ。苦しいなら、終わらせてあげるよ」


 ダークエルフが、エリザを見た。


「おれは、死ぬのか」

「……ええ」

「そう、か……」


 負傷兵の目から、生気が失われてゆく。エリザは彼の最期の灯を心に刻み込もうと思った。人の気配を感じて、エリザは振り返った。

 黒樹が、呆然と立っていた。


「殺したのか?」

「……いいえ」


 ダークエルフの負傷兵は、もう息絶えていた。

 エリザは、彼を殺そうとしたとは、言わなかった。


「死んだの」

「そのようだ」


 黒樹は、それ以上エリザに尋ねなかった。ダークエルフの微かに開いたままの瞼を閉じさせ、その遺体を担ぐ。


「死んだ者は、森に還ってもらうのさ。どうした、ついてくるか」


 エリザは頷いた。

 黒樹は、死者を担いでダークエルフの森へ入っていった。エリザはそれに続いた。精霊の気配が濃い。


「森の中心に立っている大きな木に向かっているの?」

「驚いたな、そこまで見えているのか」

「珍しいものなの?」

「エルフでも見えない者もいる。あれは世界樹だ」

「世界を支えている大きな木?」

「そうだ。正確にはここにあるのは世界樹の枝だが、世界樹には違いない」

「そこまで運ぶの?」

「ああ」


 森を進んだ。道なき道だったが、エリザは一度も躓くことがなかった。

 精霊が、エリザを導いている。


「今日は、戦わなくて大丈夫なの?」

「敵も攻めてくる気配がない。夜じゃおれたちに敵わないとようやくわかったんだろうさ」


 戦いが始まってから、もう七日が経っていた。ルイドが援軍を率いてくると約束した日まで、ちょうど明日で折り返しになる。


「着いたぞ」


 一刻ほど歩いただろうか。先を進んでいた黒樹が言った。エリザは追いついて、黒樹の先を見た。

 美しい泉だった。木々に護られ、隠されているようだ。泉の周りには色とりどりの花が咲き誇っていて、透き通った水を鮮やかに彩っている。


 エリザは空を見上げた。信じられないほどに巨大な樹木がある。枝の一つ一つがまるで一本の木のような太さで、数多の枝が伸び、豊かに葉が生い茂っていた。それが空を覆い隠している。夜空の光は一切入らぬはずなのに、泉の水も、その周りを彩る花々も、すべてが浮き上がるように映し出されている。


「世界樹だ」


 黒樹が言った。それから、死んだダークエルフの兵を背から下し、そっと地に横たえた。

 死者の周りを精霊が飛び回るのを、エリザは見た。死の精霊ではない。仄かに青く、黄色く点灯する光の粒。


「見えているんだろうな、それが魂だ。高潔に生きたエルフの精。世界樹より生を賜いし、尊き魂」


 黒樹が手を合わせた。


「世界樹よ、森を護り、勇敢に散った僕に、どうか安らかなる永遠の眠りを。命の灯を輝かせた勇者に、どうか慈愛の手を」


 短い祈りを捧げ終えると、黒樹はダークエルフの戦士の身体を持ち上げ、そっと泉の上に横たえた。

 勇敢なる戦士が、静かに泉に沈んでゆく。武を誇った肉体は森に還り、清廉なる魂は世界樹へ還る。


 エリザは立ちすくんだまま、じっとその光景を見つめていた。死とは何なのか。人間や魔族の何倍も生きられるはずのエルフが、戦いに負ければこうやってあっさり死んでゆく。

 黒樹は、死んだ同族の全員をこうやって弔ってきたのか……。


「森に還れない者も、当然いる。だがそういう者は、ユーガリアのどこかで土となり、大地の一部となり、世界樹を支える。そうやって命は巡るんだ。エルフも、人も魔族も、純血種だろうが混血だろうが関係ない。全員がその理の中で生きている。早いか、遅いかの差はあるがな」


 黒樹は一度言葉を切った。


「少し、話をしよう。エリザ」


 初めて名前を呼ばれたな、と、エリザは思った。

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