2-14「おれ変わったもん好きなんだけどなあ」
ディスフィーアは一角獣と共にどこまでも駆けた。海が見たいな。そう、思い付きで一角獣に語り掛けた。一角獣はディスフィーアの気持ちに応えた。
きっと私は今、世界の誰よりも速い。ディスフィーアはそう思った。
気が済むまで駆ける。疲れたら、眠る。一角獣はディスフィーアの気持ちを読み取ってくれる。ディスフィーアが降りようとすると一角獣は背を下ろし、ディスフィーアがお腹がすいたと思えば木の実のなる木へ案内し、ディスフィーアが眠ろうとすると彼女を包み込むように身体を横たえた。ディスフィーアは、柔らかな毛に顔をうずめて眠った。一角獣に抱かれているようだと思った。優しい、柔らかい。そしてあたたかい。
馬のことは、獣臭いと思っていたディスフィーアだったが、一角獣には不思議とそういう臭いを感じなかった。むしろ、どこか安心感を与えてくれる臭いがする。
母や、デメーテに似ている、と、ディスフィーアは思っていた。包み込んでくれるような優しさがある。ディスフィーアは夜な夜な、一角獣に話しかけた。父の話、母の話、母との旅の話、黒竜の塔での話、それから盗賊たちを壊滅させて旅をしていた頃の話。出生の話をする男が嫌いだという話。馬の臭いが苦手で、いつも指笛を吹いて呼びつけていたという話。
一角獣は、静かに聞いてくれていた。
ディスフィーアはそのうち、一角獣をユニコと呼ぶようになった。ユニコ。そう呼ぶと、獅子の緒を軽く振る。喜んでるのかな、とディスフィーアは思った。
海に出た。海岸沿いに走る。風のような速さだ。潮風が気持ちいい。海沿いを走り、森に入り、山を越え、川で水浴びをし、また海に出た。昼は走り、夜はユニコと語った。そうしていたら日々が過ぎ去っていった。もう二十日くらい、そうしている。旅の荷物なんて要らなかった。この子がいれば、それだけで十分だった。必要なものは必要な時に手に入るのだ。
ゼリウスもデメーテも、ディスフィーアがひと月くらいいなくなったところで心配はしないだろう。とんだ不良娘だね、と言うと、ユニコは頷く代わりに尻尾を振った。
遠くに小さな島が見える。そして、三艘の船。そこに髑髏の描かれた帆を見て、ディスフィーアはユニコを走らせた。海賊だ。どこかの町を襲うつもりに違いない。
海岸沿いを走らせた。海賊船が近づく。帆に描かれている髑髏は、鳥の帽子を被っていた。ディスフィーアはそのマークに見覚えがあった。
「またあいつら!」
知ってるのか、とユニコが訊ねたようにディスフィーアは感じた。
「アッシカ海賊団ってゆう海賊よ。リンドブルムで一回ぼこぼこにしてやったのにまったく。クイダーナにまで出てきてるなんて」
倒しきれなかったのか、とユニコに笑われたような気がした。
「あそこの団長と副長は手練れよ! それに、あいつら、状況が悪くなったらすぐ海に逃げ込むんだから」
実際にはアッシカ海賊団の副長ルーイックにボコボコに打ち据えられ、彼の気まぐれで命拾いしたのだったが、それは言わなかった。
ユニコが、お見通しだぞ、と言う風に身体を軽く震わせた。
海賊船に、徐々に近づく。アッシカ海賊団が船を止めようとしているのは港町だが、様子がおかしい。通常、海賊たちは船である程度近づいたら、船は弓矢の届かない位置に停泊させて、小舟で襲いにゆく。大型の船を動かしているのはたいていが精霊術師たちで、万一にも彼らに被害が及べば船が動かなくなる。だから上陸に当たっては小舟で攻め寄るのが海賊たちの定石だった。
だがアッシカ海賊団は海賊の旗を掲げたまま、堂々と入港しようとしている。港町側も弓矢で応戦している気配はない。
(どういうこと……?)
ディスフィーアは訝しんだが、考えても仕方がない。彼女はそのままユニコを走らせ、港町に入った。
町中がお祭り騒ぎをしていた。海賊たちであろう男たちが、そこかしこで酒を飲み、肉や魚を喰らっている。海賊たちには町中の娘たちが接待していて、町が総出で海賊たちを歓迎しているようだ。
ディスフィーアは、大通りをユニコで駆けさせた。一角獣の姿に気づいた海賊たちが口々に囃し立てる。声を上げ、手を叩き、指笛を吹く。
「おー、すげえ、角の生えてる馬とか初めて見た」
酒場から、少年が一人出てきて、道を遮った。手にはこぶし大の赤い木の実を持っている。ディスフィーアはその少年に見覚えがあった。身体に似合わないほどに大きな鷲の帽子を被っている。愛嬌のある顔立ち。くりっとした目が特徴的で、頬についた傷跡が似合わない。腰には短めの半月刀を刺している。
まだ十代半ばにしか見えないので思わず「海賊ごっこ?」と聞いてしまいたくなるような格好をしているが、彼がアッシカ海賊団の副長ルーイックだった。頬につけた傷はディスフィーアがつけた物だ。
「って、お前、どっかで見たような」
「くっ……忘れたとか言わないでよね」
ディスフィーアは自分の頬をなぞって見せた。ちなみにルーイックは『紅の戦乙女』の異名を取って盗賊たちを壊滅させて回っていた頃に、唯一負けた相手である。一角獣を手に入れた今戦っても、たぶん勝てない。それほど完膚なきまでに負けた。
「ああ、あんときの姉ちゃんか。なんか珍しい馬に乗ってるから気が付かなかったよ」
「馬って……一角獣よ、知らないの」
「知らない。初めて見た。ちょうだい」
「あげないわよ!」
ディスフィーアは、ルーイックが相手だとどうにも調子を崩される。ユニコは二人のやり取りに笑っているようだ。面白そうに尻尾を振っている。
「えー、ケチ。おれ変わったもん好きなんだけどなあ」
ルーイックはそう言って赤い木の実を一口かじった。
「まあいいか、おれ、珍しい物好きだけど、姉ちゃんのことも好きだしな。そのうちくれればいいや。……あ、喰う? これ美味いぞ」
「いや、いらないわよ……。それよりあんたたち、どうしてここに」
「どうしてって、ここおれらの国だもん。リョードって言うんだろ? 親分がなんかそんなこと言ってた。おれ難しいことは良く分かんないけど」
「ふざけたこと言わないでよ。海賊が領土なんて持ってるわけないでしょ?」
「うーん、そう言われてもな。おれ、良く分かってないし。ただ、ここに来たら美味しい物喰えるし、みんな良くしてくれるし、それでいいかなって。難しいことは親分が考えるよ」
ディスフィーアは頭が痛くなった。ユニコが尻尾を振っているのがわかる。
「あんた、いつもそんな感じなわけ?」
「あんた、じゃなくて、ルーイックって呼んでくれよ。おれは気に入ったやつにはそう呼ばれたい」
「あんたねえ」
「だから、ルーイック。そう呼べってば」
ディスフィーアは根負けした。
「ルーイック」
「うん、なに?」
「町の人を脅してるんでしょうけれど、バカなことはやめさせなさい。すぐに討伐隊が来るわよ」
「トーバツタイ? あ、軍隊か。うーん、でも大丈夫じゃね? おれ、強いし。それに、軍隊はダークエルフの森に行ってるんだろ。こっち魔都挟んで逆方向だし」
「ダリアードの町なら、兄さんが行ってるわよ。すぐに鎮圧してこっちに来る」
「へー」
ルーイックはにやっと笑った。
「兄さん、大丈夫かな。ついさっき、討伐軍が負けたらしいって聞いたけど」
「誰から!」
「そこの酒場の姉ちゃん」
ディスフィーアはユニコから降りて、酒場に入るなり「ダリアードの町での戦況を知ってるっていうのは?」と大声を張り上げた。店の中で騒いでいた海賊たちが、ぱたっと静まる。
「あ、あの」
おどおどとした様子で声を上げた女性に詰め寄る。
「知ってることを話して」
「あの……昨日立ち寄った旅人さんに聞いたんです。ダリアードの町で討伐軍が苦戦してるって。このままじゃ反乱軍が勝つぜ……って」
「詳しい話は聞いた?」
「いえ……、反乱軍の砦を包囲してるけど、包囲している討伐軍の方が苦戦してるとしか……」
「そう、ありがとう」
ディスフィーアは酒場を出た。店の外ではルーイックがユニコに話しかけていた。
「なあなあ、おれの馬にならねえ。おれ、馬乗れないけど」
ユニコはそっぽを向いているが、相変わらず尻尾は振っている。
ディスフィーアが酒場から出ると、ユニコは寄ってきて腰を下ろした。ディスフィーアはその背にまたがる。ディスフィーアの心を読んだのか、ユニコは尻尾を振るのをやめた。
「ちぇ、今日は相手してくんないんだ」
「それどころじゃないの」
ディスフィーアは、ユニコを駆けさせた。サーメットが苦戦している。そんなバカな、と思うと同時に、負けてしまえ、という気持ちもある。男だからと父の下でぬくぬくと育ち、軍を率いる立場になった兄弟のことは、正直好きではない。だが、サーメットは別だった。サーメットだけは、クイダーナ地方に戻ってきたディスフィーアの世話をしてくれた。宿を用意してくれたし、金もくれた。たまに食事もおごってくれる。ゼリウスに口を利いてくれたのも父ではなくサーメットなのではないかと思ったほどだ。
間に合うだろうか。ディスフィーアは思った。包囲し、持久戦にもつれ込んでいるのなら、なんとか間に合うかもしれない。
ユニコはディスフィーアの気持ちを読み取ったように、町を出るなり全速で駆け始める。
赤い大地を、白い一角獣が疾走する。