1-2「いいか、盗ると決めたら迷わず盗る」
ミンが料理、アルフォンが洗濯に、とそれぞれ家事に奔走してる間、子どもたちに乞われてラッセルはスリの技術を教えていた。
「いいか、どんなに酔っているやつでもポケットの中に違和感が走ればスリに気づく。だからなんの違和感もないように、自然に財布を抜き取らなきゃいけない」
子どもたちの中で一番ノリ気だったのはヴィラだ。紺色の髪の毛が自分に似ていたから、アルフォンはどこか弟のように感じていた。
「自然に抜き取るには角度とスピードが必要だ。いいか、盗ると決めたら迷わず盗る。何かあったんじゃないかと悟られないように、あくまで自然に振る舞うんだ。それから角度だが、こればっかりは手が柔らかくなくちゃいけない。ほれ、ここまで指曲がるか? もし曲がったら合格だ。スリを教えてやる」
ラッセルは自分の指を一本ずつ反対側に曲げて、手の甲につけてみせた。子どもたちから歓声が上がる。それから自分もやろうとしてみるが、できるはずがない。
得意げにするラッセル。
おいおい、と思いながらアルフォンは洗濯物を運んでいた。エリザは子どもたちの中で一人だけ「スリはダメだってミンが言ってたもん!」と言ってラッセルの講義に交わろうとせず、アルフォンと一緒に洗濯物を運んで干すのを手伝っていた。
「アルフォン、これ届かないからかけて」
エリザに頼まれて洗濯物を干そうとアルフォンが上を向いた瞬間、
「できた!」
嬉しそうな声が上がって、思わずアルフォンは洗濯物を落としてしまった。
何やってるの、もう、とエリザに怒られながらラッセルたちの方を見ると、ヴィラが中指を確かに手の甲につけていた。
「なあ、おれ、才能あるかな!」
「おおすげえな! こりゃ俺以上の腕前かもしれねえ」
ラッセルがおだてて、「よし、ヴィラは合格だ、次のステップに入ろうぜ」と言うもんだから、アルフォンは頭を抱えた。ラッセルに近寄り、耳元で「本気か?」と訊ねる。
「ああ、本気さ。俺たちがヨモツザカに行って万一戻らなかったら、ヴィラが稼ぐんだ」
「ミンが黙っちゃいないぞ」
「黙っとけよ。言わなきゃわからないさ。今だって俺たちのスリを咎めつつも黙認してる。ミンだって稼ぎが足りなきゃ子どもたちの生活が成り立たないのはわかってる」
「だったら、あのヨモツザカのカードを売り払おう。そうすれば多少の金になる」
「駄目だ。カードはすぐに足が付く。だけど実際にヨモツザカに潜る奴は少ないから俺たちがトレジャーハンターになる分にはバレる心配はない。こないだ話し合っただろ」
アルフォンは歯ぎしりしたが、どれもラッセルの言うとおりだった。
クイダーナ地方南部に、ヨモツザカと呼ばれる広大な洞窟がある。
洞窟は地下へ地下へと続いていて、地中世界へと誘っているようだ。最下層は、黄泉の国につながっている、そんな逸話から名前が付けられたダンジョンである。
ヨモツザカには財宝が多く眠っており、それを目当てで何人ものトレジャーハンターがヨモツザカに潜ってゆくが、無事に帰還できるのはほんのわずかな数でしかない。ヨモツザカの内部は凶暴なモンスターで溢れており、財宝を手に入れるのは相応以上の危険を伴うのだ。
ラッセルが集めているカードは、ヨモツザカの内部でのみ特殊な現象を起こす効果を持ち、冒険者はそれを持ってダンジョンを攻略する。魔法のカードだ、と言われてはいたが、ヨモツザカの中でなければただの薄い金属の板である。
挙句、カードの効果はヨモツザカに入って確かめる他にないものだから、「これが最強のカードだ」と言って高値で冒険者に売りつけようとする輩も数知れず、この時代の混沌とした惨状を表しているような商品でもあった。
もちろん、そんな商品だから売り捌けばすぐに足がつく。ラッセルの言うとおりだった。
ミンの作ってくれたシチューを食べた後、ラッセルはヴィラを連れて出かけた。
アルフォンは渋々二人に付いていったのだった。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
スリをするには場所と時間と相手を選ぶことが大切だ。
場所は、できるだけ人が密集していて、誰かにぶつかってもわからないくらいに混雑しているところ。その中でも人の多い時間が狙い目だ。最後に人だが、なにかに夢中になっているやつ。それから、できるだけ厚手の服を着ているやつがいい。財布を盗ってもバレにくいからな。
ラッセルがヴィラに説明していた内容は、大まかにそういう話だった。
「居酒屋なんかは狙いやすいが、見つかったときに逃げられないから、慣れないうちは『バハムートの鼻息』で経験を積んだ方がいいだろうな。ここだったら煙で隠れられるし、顔を隠していても煙にやられたって言い訳が立つ。それに商談に夢中になってるやつが多いし、万一見つかっても露店の間を何度か曲がりながら走ってゆけば逃げ切れる可能性が高い」
ヴィラは、なるほど、と相槌を打つ。
ニーズヘッグと呼ばれる無法地帯からちょっとだけ魔都側に進むと、鍛冶職人たちが店を構える通りがある。ここでは昼夜問わず鉄製の武器や農具が生産されており、常に灰が舞っている。
そんな中にユーガリア中から鉄製の商品を仕入れに商人が訪れる。当然、人力では量を運べないから馬や牛を引き連れてやってくる。商人たちのキャラバンを相手にしようと食べ物を売る屋台が軒を連ねる。ただでさえ煙たい中に、焼けた肉と油の臭いに、焦げた金属の臭いが入り混じる。さらに商人の連れてきた動物たちが所構わず糞を振りまいてゆくものだから、いつも強烈なスモッグで覆われている。たいてい、初めて訪れた旅人は強烈なスモッグで目と鼻をやられるくらいだ。
商人たちはこの屋台通りを「バハムートの鼻息」と呼んでいた。バハムートを見たことはないけれど、たぶんだいたい合ってるんだろうな、とアルフォンは思っている。
かつて栄華を誇り、大陸一の城下と言われた魔都クシャイズがこのような惨状になるとは英魔戦争以前から生きている老人たちには信じられないようだった。
四十年前の英魔戦争以後、魔族の没落によりクイダーナ地方の中流階級が減ると、貧富の差が拡大し、富める者とそうでない者が完全に二分化されてしまった。その結果が、スラム街を形成させた。
だが、アルフォンに言わせてみれば、生まれるより前のことなど知らないわけで、この鼻の曲がりそうなスモッグを発する地域こそが自分の故郷だった。たぶん、ラッセルやミンも同意見だろう。
さて、そんなスモッグの漂う「バハムートの鼻息」でラッセルが実践演習を始めた。
「見てろよ」
ラッセルは顔を布切れで隠して、人込みの中を歩いていった。煙の中に消えてしばらく後、何事もなかったように帰ってきたラッセルは、ポケットから貨幣の入った袋を三つ取り出してみせた。
「すげえ」
「わかったか?」
「煙で何にも見えなかった!」
そりゃそうだな、とアルフォンは思ったが、口は出さないようにした。
「何か言いたそうだな」
別に、と返したアルフォンに、ラッセルは盗んできた袋をすべて預けた。持っていたら動きに制限がかかる。
ラッセルはヴィラに見えるように何人かから金目の物を盗み取ってみせた。その都度、目をキラキラさせるヴィラを見て、アルフォンはスリを教えるのも悪くないと思い始めていた。
「そら、ちょうどいい、そこの酔っ払いから盗ってみな」
太った身体の酔っ払いが露店と露店の間で倒れこみかけていた。片手で露店の柱に手をかけ、何とか身体を支えている。着ているローブはずいぶん柔らかそうだから、きっとそれなりに成功している商人なのだろう。その男のローブのすそから袋の緒が伸びている。
「介抱する振りをして右手で男の身体を支えてやりながら、そっと右手で袋の緒に手をかけて、そのまま引き抜きながら紐の部分を手に巻き付けるんだ。そうしたら金の入った袋がじゃらじゃら鳴らないし、その重さが消えても気づかれにくい。男の注意は自分を助けようとしてくれる人間に向くから、財布が盗られてることに気づきにくいさ」
分かった、と言ってヴィラは男に寄る。
助け起こそうとして、その隙に金が入っているだろう袋を抜き取り、上手く紐を巻き取って手に絡めた。
「よし、いいぞ」
遠巻きに見ていたラッセルが呟く。スリの常習犯であるアルフォンとラッセルにとっては、多少のスモッグなら大きな問題にはならない。
男が体勢を崩した。嘔吐しようと身体を丸め込む。
「うえ、きたねえ」
場所が離れているからヴィラの声が聞こえるはずがない。それなのに、アルフォンは確かにヴィラがそう言ったのが聞こえた気がした。
ヴィラは吐こうとする男を支えていた手を放した。急に支えを失った男は地面に手をつき汚物をまき散らすと、すぐにヴィラのいた方へ「泥棒だ」と叫んだ。
「やべっ、逃げろ!」
アルフォンは近くの果物店の屋根に飛び乗った。ラッセルは泣きそうな顔をしているヴィラのもとへ走り、その手を引いて果物屋の方へ走ってきた。
「アルフォン、頼むぜ」
ラッセルはヴィラを持ち上げると屋根の上にいるアルフォンに託した。そのまま駆け寄ってきた兵士たちに目立つよう、わざと果物の入ったかごをひっくり返して注意を自分に引き付けて逃げてゆく。
アルフォンは先ほどラッセルから預かった袋をひっくり返して、ラッセルが台無しにした果物の上に落とした。
「おばちゃん、果物すまねえ。これ、代金だ」
通行人や物乞いたちが我先にと銀貨銅貨に群がる。
その混乱の中、アルフォンはヴィラの手を引いて屋根伝いに逃亡した。