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ユーガリア戦記  作者: さくも
第2章 虹色の眼
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2-11「風になったみたい」

「ゼリウス様はどちらに?」


 ディスフィーアが訊ねると、デメーテは「そういえば」と思い出したように言った。


「ゼリウスが探していたわね。軍議に行きましたよと言ったら、そのまま出ちゃったけれど」


 ゼリウスがディスフィーアを探すとは珍しい。

 ゼリウスは口がきけないと言われるほどに無口で、顔はいつも長い青髪に隠されており、表情は口元しか見えない。青眼の白虎公と呼ばれていたくらいだからきっと眼も青いのだろうけれど、ディスフィーアはきちんとゼリウスの顔を見たことがない。そんなわけだから、ディスフィーアはいつもゼリウスが何を考えているのかさっぱりわからなかった。三百の騎馬隊を毎日ひたすら鍛えているが、彼らに指示を下すときにさえ、口で伝えずに手で合図を送るという徹底ぶりである。

 ゼリウスがディスフィーアを探していたとしても、そうだと分かるのは妻のデメーテだけだろう。


 兵の調練に出たのだろうか。そう思って、ディスフィーアは館を出た。指笛を吹いて馬に乗るか迷ったが、やめた。もしゼリウスが調練中だったら、ディスフィーアの馬ではどうやっても追い付かないし、探し出せない。ゼリウスの三百の麾下は、魔族とはいえ信じられない調練を繰り返している。馬で二日かかる行軍を、一日で進む。進んだ先で馬を乗り換え、休まずに一日で帰ってくる。領内でモンスターが出たと聞けば、すぐに出動し、一兵も失わずに戻ってくる。そんなわけだから、ディスフィーアはゼリウスを追うのはやめた。そのうち帰ってくるだろう。探しに行くより、待っていた方が早い。

 軍議では三百しか兵がいないから兵は出せないと言った。貴族の中にはゼリウスの領地を三百の兵で維持できることを疑問視する声も上がるが、ゼリウスの兵を見たことないからだ、とディスフィーアは思っていた。全員が装備を灰色で統一しているものだから、彼らが遠くを駆けているときには何か巨大な動物に見える。彼が白虎公と呼ばれる所以(ゆえん)だ。


 ディスフィーアは館から十分に離れると、精霊に呼びかけて旋風を起こした。

 もっと、もっと強く、激しく。思いに応えて精霊たちが旋回する。竜巻と言えるほどに巨大な風の渦を巻き起こすと、ディスフィーアは力を抜いた。集めた精霊が徐々に散ってゆく。これでゼリウスが遠くにいたとしても、ディスフィーアが館に戻っていることは分かってもらえるだろう。もし急ぎの用があるなら戻ってくるだろう。


 ディスフィーアは、黒竜の塔で風の精霊術を中心に学んだ。火の精霊術に才能があるのは自分でもわかっていたが、炎熱の大熊公と呼ばれる父ジャハーラの才覚を継いだと言われるのも、自分で思うのも嫌だった。そういう反骨精神が火を遠ざけ、風の精霊を扱わせた。


「立派な竜巻ね~」


 館の窓から顔を出して、デメーテが声をかけた。


「ゼリウスはすぐに戻ると思うから、それまでお茶にしないかしら」

「いいですね。お茶菓子あります?」


 デメーテは「何かあったかしら~」と言って、ディスフィーアに背を向けた。

 ゼリウスとデメーテの間に、子どもがいたらしい、とディスフィーアは聞いたことがあった。英魔戦争の際にその娘は死んでしまったという。ディスフィーアがデメーテに母を重ねているように、デメーテやゼリウスはディスフィーアに娘を重ねているのではないか。ディスフィーアは、何度もそう思った。

 最近は、それでもいいんじゃないか、と思うようになった。


 デメーテと紅茶を飲みながらクッキーを食べていると、窓の外に兵の気配を感じた。ディスフィーアはおしぼりで口の周りを拭き、ゼリウスを出迎えた。


「軍議から戻りました。金貨百五十枚、確かに軍費としてライデーク伯にお渡ししてあります」


 ゼリウスは頷き、ディスフィーアに背を向けた。後ろ手で手招きをする。ディスフィーアはゼリウスについて、館を出た。


 館の外には白馬がいた。普通の馬より一回り、いや二回り大きい。そして額からディスフィーアの腕の長さ程もある螺旋状の角が伸びている。尾は獅子のようだ。


「これは……一角獣(ユニコーン)?」


 ゼリウスが頷き、手で乗るように指示した。


「私に?」


 ゼリウスが頷く。

 ディスフィーアは、一角獣の頬に、そっと手を当てた。一角獣はじっとディスフィーアを見つめている。綺麗な紺色……。夕陽が落ち切った直後の空の色だ。


「よろしくね」


 ディスフィーアが言うと、一角獣は背を下ろした。乗れ。そう言っているようだ。ディスフィーアは、一角獣の背にまたがった。鞍も手綱もつけていなかったが、一角獣の背は驚くほどに柔らかく、厚い毛に覆われていた。


 ゆっくりと、一角獣は立ち上がった。

 ディスフィーアは世界が遠くまで見渡せることに気が付いた。高い。いつも見上げる格好になっていたゼリウスを、見下ろせる。


 ゼリウスが自分の馬に乗った。驚いたことに、乗馬したゼリウスでさえ見下ろすような格好になった。


 一角獣の首筋にそっと手を当てる。一角獣は、主の気持ちに応えた。一歩、二歩と進み、やがて駆けだす。ゼリウスの黒い騎馬隊も、走り出した。


 風が顔に当たる。冷たい。目を開けているのもつらい。それなのにディスフィーアは嬉しくなっている自分に気づいた。この子となら、どこへでも行ける。


 走ろう。一角獣に語り掛けた。主の思いに応えたように、一角獣はより速度を上げた。

 ゼリウスの騎馬隊を引き離す。気が付いたときには、もう後ろを振り返っても黒い騎馬隊は点にしか見えなくなっている。


 すごい、すごいよ。

 誰よりも速く駆けられる。どこへでも行ける。この快感は、麦酒(ビール)でも料理でも男でも与えてくれはしない。


「風になったみたい」


 ディスフィーアは呟いた。


      ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


 ルイドは軍議を終えるとすぐに、エリザに状況を説明しに行った。


「エリザ様、私は一度、敵軍とぶつかった後、この地を離れます」

「どこへ行くの?」

「一度、魔都へ戻り兵を率いて帰ってきます」

「私はどうしていたらいい?」

「この町で籠城します。エリザ様は精霊術を使って火矢を防いでいただければ。火がかかれば、この砦はすぐにでも落ちてしまいます」

「わかった。風王のおじいちゃんも、森を守る為に力を貸してくれるって言ってる。だから大丈夫よ。私がこの町は必ず守る」


 エリザは、泣き顔をあまり見せなくなった。強い人だ、とルイドは思った。そして頭が良い。黒女帝の力を継いだだけではない。たまにルイドは、幼いティヌアリアに見えることがあった。ティヌアリアの幼い頃をルイドは知らない。だが、エリザが成長すればティヌアリアに近い存在になるだろうという確信があった。そういう意味で、エリザが幼いティヌアリアに見えるのだ。


「ですがエリザ様。間違っても敵に姿を見られないようにしてください。敵は魔族の軍勢。エリザ様の魔力に全員が気が付かないとは思えません。あくまでダークエルフたちの精霊術で火矢を防いでいる、そのように見せかけてください」


 エリザは不承不承と言った感じだったが、頷いた。


 ダリアードの町の周辺は、森林ばかりである。伏兵はどこにでも隠せる。ルイドはスッラリクスと共に策を練った。


「一度、大きく勝って敵の勢いを削げばいいのですよね。それなら私に案があります」

「では、策はお任せしよう。このあたりの地形についてもあなたの方が詳しい。だが、兵には作戦を伝える前に、少し本気になってもらわねばならん。ちゃんとした実戦は兵も初めてだろうからな」


 五百の兵を集めた。黒樹の率いるダークエルフ部隊も入っている。


「敵が、すぐそこまで迫っている。兵数は千五百、我々の三倍だ。それも全員が正規兵、半数は魔族だ。これまで諸君らは戦いという戦いを経験していないと思うから油断しているようだが、正直に話そう。間違いなく、ぶつかればここは落ちる」


 ルイドがそう言うと、兵の表情が引き締まった。ルイドの声は、よく通る。


「私が援軍を連れてくるまでの間、砦を死守する必要がある。もし万一にでも守り切れなければ、全員が死ぬだけではない。妻も、子も、森も、諸君らが守りたいと思うすべてが焼かれるだろう。敵は軍隊だ。情けなど期待するな。ここが落ちるということは、諸君らが守りたかったものは、何もかも塵と化すことと同義だ」


 兵の表情が真剣みを増した。ルイドはそれをしっかりと確認してから、続きの言葉を紡いだ。


「勝つためには、敵の数を減らす必要がある。先の模擬戦で分かっただろうが、騎馬隊の突破力は侮れん。それも、正規兵であるやつらは、馬を駆けさせながら武器を扱うなどお手の物だ。それがいかに恐ろしいか、諸君らも想像はできるはずだ。まずは敵の騎馬隊を叩き、攻撃力を削ぐ。その為の指示を今から伝える」


 少しはマシな面構えになってきた。ルイドは兵の顔を見て、そう思った。

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