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ユーガリア戦記  作者: さくも
第2章 虹色の眼
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2-10「ごめんなさい。私、家柄のことを話す人は嫌いなの」

 ブラック・パールでの軍議――もとい会食の後、ディスフィーアは魔都クシャイズをぶらつき、吟遊詩人に声をかけられるがまま酒場で食事を共にしていた。

 最初に、お金を持っていないアピールはしてある。おごりである。


(やっぱ美人って得よねぇ)


 ディスフィーアは髪を褒められるのが好きだ。大地の色だ、と言われるのが一番いい。長らく黒竜の塔で育ったが、故郷クイダーナの赤い大地の色は一度も忘れたことはなかった。特に夕陽に染まった赤い大地は、どこか幻想的で美しい。ディスフィーアは黒竜の塔にいたとき、自分の髪を見てはクイダーナの大地を思い出していた。いつも髪は長く伸ばしている。


 瞳の色を褒められるのも好きだ。炎を閉じ込めた紅宝玉(ルビー)のようだ、という表現が一番気に入っている。

 それから、白磁のような肌をしているね、と言われるのも好きだ。


 今日の吟遊詩人はなかなかに当たりだった。なかなかに顔がいいし、口も上手い。長めの金髪に動きのあるパーマをかけていて、鼻が高く、上品な顔立ちをしている。男はイケルメーンと名乗った。


 ディスフィーアは豚の丸焼きを注文していた。それから麦酒(ビール)。吟遊詩人は最初驚いたようだったが、どうにか体裁を整えていた。ディスフィーアの容姿を褒め、愛を語り、出会いの運命性を説く。

 麦酒を何杯もおかわりした。吟遊詩人の口からこぼれる賛辞に、うっとり耳を傾ける。


 良い時間を過ごしている。ディスフィーアはそう思った。軍議の後、サーメットにせっかく久々に会ったんだし飲んでゆこうと誘ったのだが、軍を用意しなければならない、とあっさり断られてしまった。おごってもらおうと思ったのに。それで、魔都の繁華街をぶらつくことにしたのだ。ゼリウスには軍議の後すぐ帰ってこいとは言われていない。

 豚の丸焼きが届き、ディスフィーアは少しだけ腹の肉を吟遊詩人に取ってあげると、残りを切り分けては次々口に運んだ。脂が程よく乗っていて美味しい。


 至福だ。ディスフィーアはそう思った。

 美味しい料理に、顔のいい男に、私を褒める言葉の数々、それから麦酒。


「さぞや高貴な方とお見受けしますが、いずれの家系に連なるのか、無知な私にお教え願えますか」


 ああ……、ディスフィーアは、酔いが醒めてゆくのを感じた。吟遊詩人はディスフィーアが何と返しても褒めるだろう。

 貴族の家の子だと言えば、高貴さが滲み出ているわけだと言い、庶民を装えば謙遜しなくても、と言うに決まっている。


 ディスフィーアは容姿を褒められるのは好きだったが、家柄を話題に出す男はあまり好きではなかった。


「あなたこそ、どこの何者なのかしら。吟遊詩人にしては身なりが良いし、お金に困ってるようにも見えない。さぞや良い家柄なのでしょうね」

「とんでもない。私は愛の騎士と謳われたネックスタンの孫ではありますが、私は一銭も継いではおりません。母は幼い私を残して死にました。それから一人流浪しながら生きてきた、しがない吟遊詩人ですよ」


 イケルメーンは優雅に微笑んだ。同情を引く生い立ち、それでいて名門の血を継いでいることをアピールする。

 ディスフィーアは残っていた麦酒を飲みほして席を立った。豚の丸焼きはまだ半分くらい残っているが、もうそれに手を付けようという気はなくなっていた。


「ご馳走様」


 そう言って酒場を出ようとすると、慌てたイケルメーンが追いかけてきてディスフィーアの手を掴んだ。


「私は、何か失礼なことを?」

「ごめんなさい。私、家柄のことを話す人は嫌いなの。それに愛の騎士ネックスタンの子や孫を名乗る人は特に嫌い。御免なさい、ご馳走様。楽しかったわ」


 ディスフィーアは掴まれた手をほどくと、酒場を出た。酔ってふらつきながらも厩へ歩く。ディスフィーアは厩に入るのが嫌いだった。馬は便利だが獣臭い、と思っている。

 厩の前で指笛を吹いた。一頭、すぐに厩から出てきた。ディスフィーアは自分の馬に、指笛を吹いたら寄ってくるよう調教してある。それも口には旅の荷物を咥えてくる。


 馬に乗った。荷を自分で担ぎ、走らせる。


 ディスフィーアは、ジャハーラを恨んでいた。

 ジャハーラはディスフィーアが生まれるなり、ディスフィーアの母と別れた。幼いディスフィーアは、父と母が言い争うのを何度も聞いた。


「女は戦場で使い物にならん。おれは男を産めと言ったはずだ」

「子は授かるのであって、私が選んで産むわけではございません」

「いいや、男だと念じていれば男になったはずだ。おれはそう念じ続けたのだからな。それともおれの子ではないのか」

「そんな」


 何度もそのやり取りを聞いた。私が男だったら、とディスフィーアは何度も思った。母が殴られる姿も見た。そしてジャハーラは新しい妻を娶った。母はディスフィーアを連れて、領内に小さな館を与えられた。だがそれも五歳の誕生日までだった。ディスフィーアが五歳になったとき、ディスフィーアには腹違いの弟ができた。その知らせを聞いた翌日、ジャハーラがやってきて、母に金貨の入った袋を持たせ、黒竜の塔へ行けと言った。出て行け、そういう風にディスフィーアは聞こえた。


「せめておれの子だというなら黒竜の塔で精霊術でも学ばせるんだな。精霊術師であれば食うに困ることはなかろう。餞別だ。これだけ金があればルクセンドリアまで行けるだろうさ」

「そんな。この子はまだ幼く、一人で馬にも乗れないのですよ。それに伴もなしに東の果てまでどうやって」

「傭兵でも雇えばいいだろう。金は足りるはずだ」


 西の果てから、東の果てまでの旅路。それも幼子を抱いての旅だった。

 雇った傭兵に金があることが見つかり、身ぐるみを剥がされルノア大平原で放り出された。母は泣き叫んだ。ディスフィーアは幼い腕で、母を抱きしめた。


 母は二年の歳月をかけ、都市を転々としながら、幼いディスフィーアを連れてルクセンドリアまでようやくたどり着き、黒竜の塔にディスフィーアを預けた。


 ディスフィーアは母が好きだった。母は、ルクセンドリアまでの旅路で生命力のすべてを使い果たしたようだった。黒竜の塔から出られる日には必ず母に会いに行ったが、彼女は見るたびにやせ細っていった。そして、ディスフィーアが十歳の誕生日を迎える前に死んだ。

 あなたの髪はクイダーナの大地の色そっくり。母はそう言ってディスフィーアの髪を撫でてくれた。慈しみと悲哀の混じった母の声を、ディスフィーアは忘れない。


 ゼリウスの領地に帰り着いたのは、翌朝だった。夜の間、ほとんど休まずに走らせたから、馬は限界を迎えていた。馬を休ませると、ディスフィーアはゼリウスの館へ入った。酔いはもうすっかり醒めている。


「あらフィーアちゃん、おかえりなさい。お使いはできた?」

「ええ、それはもちろん」


 館にいたのはデメーテだった。彼女はゼリウスの妻で、クイダーナに三人しかいない純血種と呼ばれる存在だったが、ディスフィーアは彼女が魔術を使う姿を一度も見たことがなかった。おっとりとしていてどこか抜けている。ふんわりとした緑の髪。ディスフィーアはデメーテが好きだった。どこか母に似ている気がする。

 彼女がお使いと言ったのは、ゼリウスに渡された金貨を軍費として渡してくることである。


「それは偉いわ~」


 デメーテが優しくディスフィーアの頭を撫でる。ディスフィーアは優しい気持ちになった。


 十五歳で黒竜の塔を出たディスフィーアは、精霊術を使って悪名高い盗賊団や、凶暴で人里に出てくるモンスターを退治して回った。人助けをして旅をしていると、いつしか『紅の戦乙女』などと噂されるようになった。これで少しは父も見直してくれるのではないか。自分の噂がクイダーナ地方まで届いていることを確信したディスフィーアは故郷に戻った。十九歳になっていた。


 父は、会ってさえくれなかった。

 兄のサーメットが、「ゼリウス様にお会いするように」という言伝をくれた。


 ディスフィーアがゼリウスの下を訪れると、デメーテが一目でディスフィーアのことを気に入ってくれた。悪い気はしなかった。デメーテのことは好きだったし、ゼリウス卿と言えば『青眼の白虎公』の異名を取り、かつて帝国時代にはジャハーラ卿と並んで帝国の双璧と呼ばれたほどの武将だ。彼の下で手柄を挙げれば、父を見返せる。母が私を生んだのが無駄じゃないと、父に認めさせることができる。そういう思いがあった。それで、そのままゼリウスの領地で一年も厄介になっている。

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