2-8「そんな理由で幸せになれない世の中なんて間違ってる」
純血種の子が純血種とは限らない。むしろ、そうなることの方が少ない。
『炎熱の大熊公』の異名を取るジャハーラの六人の子どもは、全員が純血種ではなかった。母は魔族だから、全員、純粋な魔族ではある。それなのに、ただの一人も魔術が使える子は生まれなかった。純血種、あるいは貴族種とも呼ばれる魔術の使い手は、魔族の中でもほんの一握りしか生まれてこない。
サーメットは子どものころ、自分が純血種に生まれなかったことが悔しくて仕方がなかった。父のような強大な力があれば。魔族の世を取り戻せるだけの力があれば。そう思っていた。
いつしか、その思いは薄れていった。
今では、自分が力を手にしたところで、という思いすらある。
クイダーナ地方には純血種が三人もいる。父ジャハーラに、盟友のゼリウス、ゼリウスの妻のデメーテ。彼ら三人がその気になれば、クイダーナを王国から独立させるくらいは難しくないように思える。
それなのに、そういう動きにならない。
父ジャハーラは練兵に精を出すばかりで、決して王国に背こうとしない。ゼリウスも同じだ。帝国時代には公爵の爵位を持つ純血種の二人が、今や人間の王国から形ばかりの子爵位をもらい、小さな領地を与えられて、それに甘んじている。デメーテなど、爵位すら持たない。
不満じゃないのか。
人間の下に見られて、賊の横行や反乱が起きたときには金や兵を徴収される。
何のために精兵を鍛えているのか。サーメットには純血種たちの行動の真意が読めなかった。
きっと、時の流れが違うからだ。サーメットは最近はそう思うようになっていた。
魔族は人間とほとんど時の流れが変わらない。見た目も大きくは違わない。人間より体格が大きく力が強い場合が多いが、それとて個体差の域である。決定的な差は、精霊術が扱えるかどうか、それだけだ。
だが、純血種は、魔族や人間の何倍も生きることができる。具体的にどのくらいの差があるのかサーメットは知らなかったが、物心がついてから、父の姿がずっと変わらないのは見てきた。母が老いても、父は老いない。そして母が老いると、父は新たな妻を娶る。
「兄上、出撃の準備、整いました」
報告に来たのはナーランだった。ナーランは兄弟で一番若い。まだ十五歳なのだ。今年三十を迎えたサーメットの年齢の半分である。父譲りの赤い髪と眼をしている。炎のようだ、それは兄弟全員が言われる。
「ターナーも準備できていたか」
「はい。ターナー兄上も、すでに兵をまとめております」
サーメットは反乱の討伐に二人の弟を連れてゆくことにしていた。ターナーとナーラン。二人とも五十人の騎兵を率いている。それに、サーメットが騎兵百人。ジャハーラ軍は全員が魔族で構成されている。
合わせて二百人が、ジャハーラの領地から討伐軍に加わる。間違いなく討伐軍の主力になる精鋭部隊だった。しかも、全員が騎兵である。農民や冒険者上がりの反乱軍など敵ではない。
「よし、魔都クシャイズへ進発する。列を崩さず、整然と進むぞ。さすがジャハーラ卿の兵だ、と思わせろ。郊外で城兵と合流し、反乱の鎮圧へ向かう」
ナーランが「はい!」と元気よく返事をして去ってゆく。
ジャハーラ領から二百、他の貴族たちの私兵が三百、それに魔都クシャイズの城兵一千を加えた、合計一千五百の軍である。
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レーダパーラは良くしてくれた。スッラリクスも優しい。それなのに、エリザはいつも心の底から笑うことはできなかった。
目を閉じると、たまに炎が見える。それから、ミンの悲痛な叫びが聞こえて、何本もの槍に身体を貫かれたヴィラの姿が映る。
それから、自分が気絶していたという巨大な穴の話。もしかしたら、自分がスラムに一緒に住んでいた人たちを殺してしまったのではないか、もしかしたら、アルフォンはあのとき生きていたのに、エリザが力を爆発させてしまった結果、殺してしまったのではないか……そういう罪悪感と自責の念に苛まれる。
レーダパーラは、エリザが落ち込んでいるのを見ると、いつも遊びに誘ってくれた。
エリザは、レーダパーラから色んなことを教わった。ダークエルフの森に生えている食べられる植物や、黄色くて甘い木の実のこと、夜になると光る虫のことや、蜜を集める蝶の話。
代わりにエリザは、スラムで習った唄を教えてあげた。たまに精霊術を使って見せることもある。精霊たちの扱い方は、ずいぶん上手くなった。風を起こすのはお手の物だし、火を起こすこともできる。町の枯れた井戸を水で満たしてあげたし、野菜が育たないと嘆いていた畑では土の精霊にお願いをした。ティヌアリアに教わった五属性の内、魔を除くすべてをエリザは試してみていた。
レーダパーラと遊んでいるときは、少しだけ自責の念が薄れる。ただ、彼と別れると、自責の念はより強力に攻め寄ってくる。
私だけが、こうして楽しそうに遊んでいる。
『あまり、自分を責めないことよ』
ティヌアリアだけが、真の意味でエリザの理解者だった。寝床で嗚咽をもらして眠ると、必ずティヌアリアが背中をさするように言葉を投げかけてくれた。
エリザは、何もかもティヌアリアに話した。
ティヌアリアは、自分の話をほとんどしなかった。エリザの言葉に適度に「そう」と相槌を入れて、聞いてくれるだけだ。
ティヌアリアが唯一反応を示したのは、ルイドの話をしたときだけだった。吐き気を催すほどに強力な、こびりついた血と死の精霊を宿していたのが、ルイドだったとエリザは話した。
『ルイド……ああ、ルイド……。貴方は、どうして……』
「昔は違ったの? ティヌアリアには精霊が見えていたんでしょう?」
『昔は……ええ、そんな、こびりついた血の色なんて纏っていなかった。彼が纏っていたのは清涼で高潔な精霊よ。それがどうして……』
ルイドがマーメイドの血を飲んだらしいという話をした。ティヌアリアの声は震えていた。
「ティヌアリア、あなたを蘇らせるためにルイドは世界中を旅したと言っていたわ。信じられる? 竜も倒したんだって」
『ええ、信じるわ。ルイドは、そういう嘘はつかない』
「すごいんだね」
『ええ、ええ。彼はすごいわ。とても人間とは思えない。相手が純血種だろうと物怖じしないし、武を争えば荒太刀の騎士テドリックと並び、軍勢を率いれば王国最強と呼ばれた聖騎士パージュにも引けを取らない。ジャハーラ公が認めた人間は、きっと今でもルイドだけでしょうね。まさに最高の騎士だった』
それがいまや、背徳の騎士と後ろ指をさされている。
「そんなにすごいのに、ティヌアリアとルイドは負けちゃったの?」
『エリザ、この話はもうやめましょう。それから、一つお願いがあるのだけれど』
「なに?」
『ルイドに、私のことは話さないで欲しいの。それだけ約束してくれる?』
エリザは、不思議な約束だと思った。どうせ話したところで誰も信じてなどくれない。眠っている間に、四十年前に死んだはずのティヌアリアと話しているなんて、誰が信じるんだろう。
「わかった。話さない。ルイドだけじゃなくて、誰にも話さないわ」
『そうね、その方がいいかもしれないわね』
ティヌアリアは安堵しているようだ。
変なの、と、エリザは思った。
『エリザ、あなたが望んだとおりに世界は動くわ。それだけの力をあなたは持っている。だけど忘れないで。何かを選ぶということは、何かを選ばなかったということ。本当は、私はあなたには戦いに立ってほしくない。だけど、エリザは選んだのよね』
「私は、誰も傷つかない世界を作る」
それは、もう決めたことだった。ルイドにも宣言した。
『そのために、あなた自身がどれだけ傷ついても? あなたは友達の死に涙を流せる子よ。それが戦争になれば、もっとたくさんの血が流れる。わかっている?』
「わかってる。――でも、そうしなきゃいけないっていうのも、わかる。魔族だからとか、人間だからとか、混血だからとか、そんな理由で幸せになれない世の中なんて間違ってる。世界を変えなきゃいけない。誰も傷つかない世界にしたいの。そのために誰かを傷つけても、私が傷ついても、そうしなきゃいけない。だから、ティヌアリア、あなたの力を貸してほしいの」
『私の力じゃないわ、あなたの力よ』
エリザが世界を変えたいといったとき、ティヌアリアは初めて反対した。それから、何度も同じような会話をしている。
『ごめんなさい。あなたに幸せな世界を残してあげられなくて――』
エリザは、応えなかった。
ティヌアリアの声が霞んでいる。夜明けが近いみたいだ。