097 心の監視とダメ人間
「監視を放つ」
「監視、ですか?」
「ほっとけば、いつこの国から出ていくかわからんからな、スズナリは」
俺の言葉にヨセフが聞き返した。
玉座は最近散々蹴っ飛ばしたせいで座り心地がやや悪い。
新調すべきか?
「やはり逃げますか?」
「逃げるな。スズナリにはこの国に対する枷が無い。自らモルディベートを探して殺しに行きかねん.
……今の実力差で勝てるわけが無いから、そこまで無謀では無いと信じたいがな」
俺は自分の言葉に頷きながら、背後に控えさせた道化師に顎をくいとやる。
その道化師はその通り、顔を白粉で塗りたくって目に月と星のマークを黒墨で塗っていた。
我が王宮――いや、俺専属の道化師だ。
「お前、スズナリとは面識なかったよな」
「残念ながらというべきか、機、来たれりというべきか」
「ミゲルですか」
ヨセフが訝し気な顔をしながら、道化師の名を呼ぶ。
真面目一辺倒なコイツには、ミゲルの価値は――この道化師の価値はわからんだろうな。
いや、一度コイツの言葉の妙を味わってみれば、ヨセフにも判るだろうが。
「確認するまでもありませんが――私は何をスズナリ殿にすればよろしいのですかな?」
「スズナリの心の内側に入り込め」
「心の内側?」
ヨセフの疑問の言葉。
俺はそれを気にせず、言葉を続ける。
「スズナリの心の内側に入り込み、本音を引きずり出せ。全てだ。モルディベートへの感情、娘を中心にした女性陣への感情、何を不満に思っているのか、これから何をしたいのか、全て、全てだ。スズナリの全てをさらけ出してしまえ。俺が今知っている以上の情報を俺に提供しろ」
「それは不可能ですよ、アルバート王。スズナリ殿はそのような性格では……鬱屈した――自分の心を内側に秘めた性格。一言でいえばスズナリ殿と腹を割って判り合う事は不可能かもと……」
「それが可能だから任せるんだ。ミゲル、もう一度いうぞ。スズナリの心の内側に入り込め」
「了承しました」
ミゲルが頭を下げ、手を胸元に下げながら承知の合図を俺に送る。
これでスズナリが何を今考えているのかは判るだろう。
ミゲルはその口を大きく開いて、ヨセフに向かって舌を大きく伸ばした。
ヨセフは怒りとも戸惑いともつかない、奇妙な顔をしていた。
◇
「君は……不思議な人物だな」
「そうでしょうか」
ミゲルが呟く。
名は変えていない。スズナリ殿は私の存在を知らないから。
姿も変えていない。道化姿のままだ。
変える必要はない。
そもそも、王宮でも私の存在を知る人物は数少ない。
あのアリエッサ姫やマリー嬢ですら知らないのだ。
私はアルバート王の、ごくごく個人的な相談相手として雇われている。
……たまに、諜報と暗殺もやるがね。
スズナリ殿が暗殺を請け負わなくなってから、その機会は多少増えつつある。
「実に話しやすい。私は……酒を飲まなければ、ろくに人とも喋らない性格だと自覚があるのだがな」
第一関門突破。
スズナリ殿が、この冒険者ギルドの私室にて、心の薄皮一枚剥がした。
「そのような言葉を呟いても、よろしいのですか? 私が貴方の監視役だと知っていても?」
「それを最初に言ったから信用している」
スズナリ殿は酒を飲んでいない――素面の状態で私に相対している。
こうしてみれば、年相応の立派な面立ちをしているのだが。
何分、アルバート王から聞いた話ではともかく幼稚な性格だ。
恐らくは幼少のみぎりに、親から十分な愛情を受けられなかったことが起因しているのだろうが――
それは、まあいい。
「お聞きしたいことがあります、スズナリ殿」
「スズナリと呼び捨てでいい、君が監視役とすればしばらく長い付き合いになるだろうから」
「『かつて』モルディベート嬢に、スズナリはどのような想いを抱いていたのだろうか?」
私はまず、ワンクッションを置いてかつてのスズナリの感情を聞く。
「それは監視役として抑えておくべき重要な情報なのか? かつて? 昔の話だぞ」
苦笑いをしながら、スズナリが口を開く。
『かつて』の話を聞いたから苦笑いで済んだ。
直接今の感情を聞いていれば、スズナリの性格ではすぐ激怒したことだろう。
「いいだろう。語ってやる。かつて、私は師匠を愛していた」
スズナリが語りだす。
私は黙って拝聴するだけだ。
「私はただ、彼女の綺麗な黒髪の長髪を搔き上げたかった」
但し、一言も聞き逃さないように。
「抱きしめたかった」
スズナリの感情の機微を読みながら。
「私はただ、貴女の前に貴女を愛した男が立っているという事だけを伝えたかった」
まるで祝詞のように読み上げられるそれを、耳にした。
「……しかし、裏切られた」
スズナリの言葉に感情が走る。
私が聞いたのは『かつて』の話だが、それはスズナリの中で切り変えられた。
今語るのは現在の事だ。
「今の彼女は、ただの愛する――殺害対象でしかない」
「もはや殺すことは貴方の中で決定しているのですね」
「一度、想像通りになった」
スズナリが酒に手を伸ばそうとして――止める。
どうやら、私との会話を通して自分を一度見つめなおそうという意図がスズナリに芽生えたようだ。
その意図を解釈し、出来る限り、スズナリを怒らせない方法を考える。
酒の抜けたこの幼稚な男は――すぐ激怒するとの情報がある。
おそらく、会話の想像通り――の意味は。
「一度、想像通りに、彼女は私より知識を優先した。裏切ったんだ」
想像通りに、モルディベートに裏切られたという意味だろう。
私は少し違うと推論立てているが。
モルディベートは裏切ってなどいない。
上手いたとえ話が見つからず、奇妙な言い方になるが。
少なくとも、モルディベートはモルディベート自身の事を裏切ってなどいない。
スズナリより知識欲を優先しただけ?
それとは違うかもしれない。
化け物だって恋をする、ただし化け物なりのやり方で。
この例えが一番近しい。
モルディベートはスズナリの事を、愛している。
ただやり方が、スズナリや普通の人のそれと違っただけだ。
――化物の思考。
そしてその化物の思考は――やはりスズナリや普通の人にとっては裏切ったと言えるのだろうな。
アルバート王には、私の推論は抜いてスズナリの言葉だけを伝える事としよう。
「裏切られたんだ、私は。違うか?」
「違いませんよ。スズナリは確かに裏切られました」
肯定で言葉を返す。
それが一番無駄が無い。
「だから二度目も裏切るだろう。私が愛していると囁いても、彼女は納得しない、抵抗する。造花に水を注いで何になる? 花は咲かない。何も意味も無い事だ」
いや、少し違う。造花は咲き続けるだけだろう。
そうだ、彼女は納得はしている。
だからこそ「やってもしまってもいい」と踏ん切りを踏んだのでは?
心の中で一つの疑問が湧く。
何故、モルディベートは明らかに怪しい人物であるスズナリを最初から――実験体としなかった?
異世界人。
その情報を得るまでは何もしなかった。
無駄骨を踏むから? いや、大した手間ではあるまい。
私の推測に過ぎない。
私の推測に過ぎないのだが――最後の一線を越えたのは、異世界人としての存在の告白ではなく。
「貴女を愛している」のプロポーズだったのではないか。
だから「何をやってしまってもかまわない」と思ったのではないか。
少し、ズレた答えだが、どうにも私にはそう思えてならない。
繰り返すが、私にはそう思えてならないのだ。
化物の、モルディベートの思考が少しばかり、私にはトレースができるからだ。
当事者であるスズナリと違い、他人であるから。
だから――
「私は愛していたのに!」
やや感情的になったスズナリの言葉が、本当に幼稚じみて哀れに思えた。
すれ違いにも程がある。
だが――
「アリエッサ姫は?」
私の目的はモルディベートとスズナリのすれ違いを訂正することではない。
情報を抜き出す事。
そして、あわよくば。
『スズナリの心の内側に入り込め』
アルバート王の命令。
それを自分なりに解釈する。
ようするに、アリエッサ姫とスズナリをどうにか縁付ける事にある。
「何?」
「アリエッサ姫の事は愛しておられないのですか?」
「……何を訳の分からん事を、と言いたいが、君の立場ならそれは聞くか」
訳の分からん事等ではない。
この幼稚な男は決して鈍感では無いと聞く。むしろ、そういった気配には過敏。
アリエッサ姫に愛されている事ぐらいは十二分に理解しているだろう。
「愛されることが愛する理由になるのか? それも、何故私を愛しているのかも判らん女性相手に」
ただ、愛に理由を求めるのだ、この男は。
いや、理由というのは適切ではないが――
どうも適切な言葉が思い浮かばない。
妙な男なのだ、このスズナリという名の男は。
思わず内心で愚痴を吐く。
騎士団長のヨセフが鬱屈した性格と評したのも良くわかる。
これでその能力には次の王として欠点が無いというのだから、本当に性質が悪い人物だ。
「理由の無い愛情程理解不可能な物はない。そうだな……信用ができない」
クラウス王。
いらない事をした人物に腹を立てる。
あの吸血鬼王、「愛は育むもの」と、そうスズナリに教え込んだらしいな。
だからスズナリは余計に理解できないのだ。
スズナリは、「他者がスズナリに対して育んできた愛」という物を感覚で感じはしながら理解はしない。
……いや、自分で考えてなんだが、そんなことあり得るのか?
だが、目の前にあり得るのだ。
だんだんわかってきたぞ。
この男、スズナリはどこまでも恋愛面においては幼稚で自分勝手なのだ。
何もかも、自分の都合の良いように解釈する勘違い野郎というのは世にいるが。
スズナリはその逆だ。
何もかも、自分など「恋愛対象にはなりえない」と思い切っているのだ。
「まだモーレット嬢のように「優れた種が欲しい」という理由の方が理解できる。私で無くても良いのだからな」
乳神様。
そう王宮の男性陣から呼ばれている女性の事を口走る。
いや、彼女ももうお前で無いと嫌だって言うよ、と口走りたくなる。
そこら辺も理解してないのか。
いや、落ち着け、私は道化師。
このような事で平静を崩すような事は――
「本音の話をしよう。何で皆私の事なんか好きだというんだ? 逆に聞きたいところだ」
ついにこちらに質問してきた。
なんでわかんないんだコイツ。
私は頭を抱えたくなりながらも平静を装い、また思考を続ける。
スズナリは、幼少期にどんな境遇だったんだ。
――そうか、その辺りに原因があるのか。
思考が回答に辿り着く。
スズナリは、親に愛された事が一度もない。
愛情の欠落が、恋愛感情の発達に明確に異常をきたしている。
詳しく等知りたくもないが、そこら辺をえぐるか?
いや、危険だ。土魔法で首を縊り殺されかねん。
私がすべきことは――的確な返答だ。
「スズナリがモルディベートに育んでいた愛と同じことですよ」
「同じ?」
「ルル・アリーナ嬢がおられますね。彼女は貴方との2年――いや、3年になるのですか。その間に貴方に対して愛を育んだと言えば分かりますか?」
とりあえず、この幼稚な男に、他者が自分に対し愛を育む事があるという事を教えなければならない。
「それは――そうか、そういう事もあるのか」
「……理解してくださいましたか?」
「うーん」
なぜ悩む。
「そういう難しい事を考える時は酒を飲んで忘れてきたからな」
駄目人間じゃねえかなコイツ。
いや、駄目だ、コイツ。
「そうか、いや、わかった。そう言う事もあるのか。じゃあ私がそれに反応しても別に可笑しく無いのか」
やっと理解してくれたか。
いや、別に馬鹿というわけじゃないから説明すれば分かってくれるのか?
「ということは、私がアリエッサ姫にたまに抱く不可思議な気持ちも――」
うん?
スズナリが何かに納得したかのようにうんうんと頷く。
「あれは愛と呼べるものだったのか」
コイツ、ひょっとして――
「そうか、私意外と皆の事好きだったんだな。これは意外だ」
膝を叩いて、あっはっはと笑うスズナリを目前にして思った。
え、コイツ、今の今まで、周囲の女性陣への自分の好意も自覚してなかったのか。
モルディベートの呪いで頭痛はしてたんだろうに。
唖然とする私を目の前で、ニコリと笑うスズナリ。
「まあ、それはそれとしてやる事は変わらんのだがね」
「――モルディベート殺しですか」
「当然だ」
スズナリは和やかな表情で、木のジョッキを二つ取り出した。
どうやら今回の探りはここまでらしい。
いや、私も今日はここまでだと思うがな。
今日は私――頑張ったよな。
このダメ人間に、モルディベート以外への愛と言う物を自覚させたんだから。
ミゲルは自分を労うために、スズナリの差し出してきた木製のジョッキに手を伸ばした。
了




