090 そして日常へ?
キリエが汗だくの顔で、地面にへたり込みながら呟く。
「……モルディベートの呪縛、解除に成功しました」
「素晴らしい。さすがキリエだ。お前、生物学の分野では先代を超えたかもしれんぞ」
「そう言ってもらえると光栄ですがね。一分野の中の更に一分野、極小の範囲内ででしょう。キメラの解剖何千体やったと思ってるんです。実地経験がモノを言っただけです」
「それでも素晴らしい。結果として私の呪縛を外せた」
これであのような痛み――錐で歯の神経をえぐるような偏頭痛に悩まされることは無い。
アリエッサ姫一味と会っても困ることは無いだろう。
……うん?
何を言っているのだろうな、私は。
別にもう会う必要もないだろうに。
「さて、術後の経過は如何に?」
「かなりの錬金素材、秘薬を使いましたが完璧に呪縛は外せました。もう動いていただいて結構ですよ。ですが、私はしばらく使い物にならないと思ってくださいね」
とにかく、疲れた。
キリエはそう呟きメスを手術台の上に投げ出しながら、血しぶきの跡が飛び交っている地下室をボーっと眺めている。
言葉通り、大分疲れているようだ。
「手術に三日三晩かかりました。このまま眠らせてもらいますよ。ああ、それからもう一つも成功しましたが……」
キリエはそう呟きながら、地面で横になり、しばらくするとスーッと寝息を響かせ始めた。
私は私財から特別ボーナスを出すことを決定しつつ、キリエに感謝の手を振り地下室からダンジョンギルドの中へと向かっていった。
◇
ダンジョンギルドの酒場。
いつもワイワイと賑わっているそこを無視して、自室に戻ろうと階段を昇るが――
途中で肩を掴まれ、強引に酒場に引き戻される。
「ギルマス、手術成功おめでとう」
「……有難う。いや、何だ? 何で手術した事なんか知ってる?」
大分、久しぶりである。
私はそんな感覚を得ながら、祝福の言葉を投げかけて来たオマール君に言葉を返す。
「アリエッサ姫が教えてくれた。先代のギルマス――モルディベートに呪いを掛けられてたんだって? 女性に性的な欲求を抱くと偏頭痛がする呪い。早く言ってくれりゃよかったのに」
「アリエッサ姫……」
何重要な情報をいらん人物に漏らしている。
オマール君に漏らしたところでどうなるというのか。
何を企んでいるのやら。
「わかってる。わかってる。もう心配いらないぞギルマス。今までそれが理由で娼館行きを断っていたんだな」
「違う」
肩を掴みながら、オマール君がぶんぶんと首を縦に振る。
全然違う。
私は先代を愛しているから娼館行きを拒んでいたのであって。
偏頭痛が原因ではない。
「娼館へ行こう! 姫様公認だぞ!! 金まで出してくれた」
じゃら、と硬貨の音を鳴らしながら、金貨の詰まった革袋を懐から取り出すオマール君。
ゴミを見るような目で私はそれを見ながら、思考する。
――アリエッサ姫、本当に何考えてるんだ。
呪いが解けたなら娼館へ行け!
要するに、率直にはそう言う事なんだろうが。
「……」
姫様の思惑には乗らん。
何が悲しゅうて色欲をアリエッサ姫にコントロールされなければならんのだ。
それに、私の対応は今までと変わらない。
先代を愛しているからな。
「行かないよ」
「何でだよ! 今なら快楽のるつぼにハマれるよ! 婚約者公認で」
オマール君、どっかから湧き出た悪魔みたいな事口走ってんな。
姫様の策略にハマる気はない。
「一人で行け、一人で。或いは――」
「手術お疲れさまでした。ギルマス」
横合いからアルデール君が喋りかけてくる。
まあオマール君が知ってるならアルデール君も知ってるわな。
「コイツと行け、コイツと」
「コイツ呼ばわりは無いでしょう。でも三人なら行きますよ」
「ほら! アルデールも行くと言っている!!」
何故アルデール君までオマール君の味方をするんだか。
私は疑問に思いながら、それを口に出す――前にアルデール君に指摘される。
「ギルマスは幻想を女性に抱きすぎなんですよ。その幻想をブチ壊す必要があります。そのためなら一緒に行くぐらいは協力しましょう」
「いい事言った、アルデール! 俺、ギルマスを娼館に連れて行ったら将来の騎士団長の座が約束されてるんだ!!」
何ちゅう餌ぶらさげとんだアリエッサ姫。
ともかく行かん。
アリエッサ姫は、私が性的な快楽にハマったら自分たちにも手を出すとか考えてるのだろうか。
多分そうだろうな、頭、単細胞だしアイツ。
「行かないよ。まあ、何もかもに決着を付けたなら付き添いでぐらいは行ってもいいかもな」
私は真剣な顔で、オマール君とアルデール君に答えた。
一旦、何故か空気が停滞したような気がした。
だが、すぐに立ち直り、オマール君は笑顔でしゃべりだす。
「わかったぜ、ギルマス。その時は付き添いで来てくれよ。俺の脱童貞を見守っていてくれ」
「私は遠慮しておきますが、その時が来たなら一緒に付き添いで行きましょう」
意気揚々と答えるオマール君とアルデール君。
その場合、アルデール君と私が付き添いでオマール君が娼館に脱童貞しに行くと言う奇怪極まりない光景になるがそれでいいんだろうか。
いいんだろうな。
どうでもいいや。
「オマール君、アルデール君、せっかくだし酒でも飲もうか」
「いいのか、術後だろう?」
「問題ない」
オマール君の言葉に返答を為し、エールを注文する。
私はなんだか久方ぶりに緊張がほぐれたような気がして、頬が緩むのをこらえきれそうにない。
そうだな。
私が日常に求めていたのはコレだよ。
「さて、酒を飲むとするか」
「じゃあ、乾杯の合図といくか」
「よーし、じゃあ」
私とオマール君とアルデール君はエールの入ったコップをぶつけ合い、叫ぶ。
「乾杯」
私はエールを一気に飲み干した。
◇
ほろ酔い気分で階段を上がる。
そしてルル嬢にすれ違いそうになりながら、その足を止めるように口を開く。
「で、どこまでオマール君とアルデール君には話したんだ。ルル嬢」
「殆どを。ギルマスが呪いを掛けられていた事。先代がギルマスに執着している事。何をしたか。その全て――ギルマスが異世界から来たこと以外、全てを」
「何故話した?」
「イザと言う時、味方になってもらうためです」
「何故オマール君とアルデール君を巻き込んだ?」
「本人たちに言わせれば、巻き込まれない方が怒りますよ」
ルル嬢が足を止め、私の目をじっと見る。
「あの二人は、ギルマスの事を――親友だと思っていますよ」
「分かっている。だから巻き込みたくなかった。判らんかね」
「分かります。でも一人でも仲間が欲しかったのですよ。モルディベートに対抗するには」
二人、言葉を言い切って沈黙が起きる。
「……まあいい。オマール君とアルデール君を巻き込む事はあるまい。実力差が違い過ぎる」
「私どもは役に立ちませんか?」
「立たんね」
先代――モルディベートと相対する際に役に立つのはアルバート王と私だけ。
いや、このアポロニア王国を背負うアルバート王を巻き込むのも御免だ。
全ては――私一人で決着をつける。
元々私一人の問題なのだから。
筋道をつけるだけの話だ。
思いだした、アルバート王にも挨拶に一度行かねばならん。
全くもって、せわしない。
「私の事はもう放っておけ、ルル嬢」
「……二人きりの時はアリーナと呼んでは頂けないのですか?」
「……そんな話をしたこともあったな」
私は少し沈黙して、彼女を傷つける言葉を吐く。
「だが、忘れた。君も忘れろ」
「……」
私は足早にその場を去り、自室に閉じこもろうとするが――
「忘れません。貴方が私にスズナリと名前で呼んでもいいと言ってくれた事も、私と一緒に二人で逃げてもいいと言ったことも決して――私は忘れることはありません。だって、私は貴方を愛していますから」
ルル嬢の言葉に、足を止める。
「お休みなさい、ギルマス。今日はモルディベートの呪縛が解けた初めての夜です。良い夜を」
「……」
私は沈黙したまま、彼女と別れた。
そして自室に入り、そのドアを閉じる。
「……さて」
今日は晩酌といこうか。
飲み続きだ。
意識があやふやになるまで飲んで、ベットに倒れ込んでしまおう。
私はどうしたらいいのかわからなくなって、とりあえずそう決め込んでしまう事にした。
了




