008 アカデミー
「わざわざご足労頂きありがとうございます」
「いえいえ、何度もこちらがお世話になっておりますので」
冒険者ギルド――ダンジョン奥底にあるほうではなく町の、そのギルドマスター室でアカデミーの学長と顔を合わせる。
今回、呼んだのは私の方だ。
学長はシルクハット姿にステッキをついており、まるで元の世界の老紳士のような姿をしている。
「前から疑問に思っていた事がありましてお呼びしたのですが……アカデミーを一般開放する気はありませんか?」
「はて、ギルドマスター殿が妙なことを言い出しますね」
わざわざ、他組織の事を言い出すなど初めての事ではないですかな。
そう言いたげに学長が首をかしげる。
事実、こんな事を言うのは初めてだ。
「いえ、先日ギルド内でそういう話があったのですよ。アカデミーに入りたいが、貴族ではないから入れないと。もちろん干渉する気等はありませんが、少々気になりまして」
「そういう事ですか」
別にアルデール君の味方をしたいわけではない。
彼は生贄だ。その立場は変わらない。
ただ、少しばかり気になった。
この国はもっと開放的な国だと勝手に思っていたが――
「面倒臭いから嫌なのです」
回答は一言で終わった。
「付け加えますと、何もアカデミーだけが学校というわけではありません。この国の開校届は簡単ですし――学問所など市井で自由にやって構わないのですよ。アカデミーを開放する必要が?」
薬草茶をズズ、と音を立て一啜りし、学長が続ける。
「わざわざ身分差の軋轢を処理するような制度や気配りをしてまで、アカデミーに市井の学徒を入れたいとは思いません。貴方の推薦書でもあるなら別ですが」
「……」
「推薦者でもいますか?」
アルデール君の少し愚かなところは、貴族になるのではなく私にアカデミー入学への推薦を頼むべきことだったと今思う。
アカデミーの学長と私の親しさ等知らないので仕方ないだろうが。
「いえ、今のところいませんね」
だが、頼まれてないので推薦してあげない。
生贄だし。
「体系的な学問を教える市井の学問所ってないものですかね」
「モノによりますな。錬金術などは聞いた覚えがありませんね。皆研究を基本秘匿しますし」
せいぜい、ウチのアカデミーでやってるぐらいでしょうか。
学長はそういい、ふと何かに気づいたように呟いた。
「冒険者の中では……確かアルデール殿でしたか、あのグローブ等はどうやって錬金したのか気になります」
良かったな、注目されてるぞアルデール君。
私も彼がどうやって独学でその領域に至ったのか気になってきたが、まあいい。
「今日はご足労をお掛けしました。それではこれで」
「いえ、少し待っていただきたい」
学長はステッキに手を掛けず、顎髭を擦りながら喋る。
「呼ばれた筋で言うのもなんですが、実はまた頼みごとがありまして」
「頼み事?」
「アカデミーの教員の招致です」
「……」
今までの話の流れからすると。
嫌な予感がしたので、全力で断りを入れる。
「アルデール君はもちろん、現役の冒険者は駄目ですよ。引退後の冒険者は別ですが」
「いえ、それが冒険者ではなく……」
違ったようだ。
学長は私の反応を無視した様子で、言いにくそうに言葉を連ねる。
「むしろ、ギルドとは因縁のある方でして。頼むには心苦しいのですが」
「誰です?」
「……」
学長は長い沈黙の後に、ようやく口を開いた。
「今は屋敷に引きこもりとなっている、元王国魔術師長ヴォルフガング・パラデス殿です」
一度だけ、聞いたことある名前だなあ。
私はそんなことを思いながら、何でそんなことを頼むかなあ、と。
いつもの面倒くさそうな依頼に眉をしかめることにした。
「まさか、家を訪ねてくださるとは思いもしませんでした」
「……私も訪ねる事になるとは思いませんでしたよ」
笑顔のパラデス嬢に対応しながら、私は頭の中で学長の心臓にナイフを刺す。
「あの……ひょっとして、ですが。先日の縁談の件でこちらに」
「いえ、違いますので。パラデス嬢」
もじもじと身を揺すりながら尋ねるパラデス嬢に、きっぱりと断りを入れる。
そうではない。
そうではないのだ。
だが、積極的な恋話に私はどこか弱い。
隙を見せないように気を引き締める。
「マリーとお呼びください。パラデスは家名ですので」
「わかりました、マリー嬢」
二コリ、と笑うマリー嬢。
それにたじろぎつつ、ここに来た要旨を頭の中で整理する。
ヴォルフガング・パラデス殿をアカデミーに招致する。
これだ。
「その……ヴォルフガング殿はどちらに」
「……今は書斎に引きこもっております」
「引きこもっているとはうかがっていましたが……」
本当に引きこもってんのかよ。
先代の日誌を見るにもう8年も経つ。
そろそろ立ち直っても良い頃だろうに。
「私は王様に諭されて元に戻りましたが……その、父は特に王様の命令で先代のギルドマスター殿に打ちのめされたことに恥を感じておりまして」
「まあ……いろいろと考えるとその心境には同情する点がありますが」
調子に乗ってたところを躓いたぐらいならまだしも、王様の依頼でぶちのめされたんだったか。
余り気にしていなかったが、確かに恥ではある。
私は思ったより深い問題に、自分の頭を撫でた。
「以前に私が、一族の汚名と言ったのもわかったでしょう?」
「ええ、そう気楽なものではなかったようですね」
私はため息を吐く。
何か、口当てが欲しい。
テーブルの上に設けられた茶菓子に手を伸ばし、頭に糖分を補給した。
「しかし、アカデミーからの招致がかかっています。これは名誉な事でしょう?」
「ええ、できるなら私も父に受けてもらいたいと考えています」
マリー嬢は乗り気、と。
なんとかプラス要素を見つけながら、私は茶菓子から手を離す。
「受けてもらえる可能性は何パーセントぐらいあると?」
「難しい質問ですわね」
マリー嬢は長い髪を指でこねくりながら、私の質問の回答を考える。
答は――
「スズナリ様次第ですわね。今すぐ縁談を結んでいただければ、100%成功しますが」
「……それは遠慮しておきます」
私は肩をすくめて答えた。
「書斎はどちらに?」
「……地下にありますわ。私もお供しましょうか?」
「有難うございます」
私は素直に礼を言い、マリー嬢に頭を下げた。
断りの返事を受けたマリー嬢は、いささか不愉快気ではあったが――それは気にしないことにした。
「アカデミーからの招致がかかっています。ドアを開けてください、ヴォルフガング殿」
「……」
返事はない。
私は横目で隣のマリー嬢に視線をやった。
マリー嬢は笑顔で答える。
「お父様、この方は私の婚約者になります。もしもあっていただかなければ、勝手に話を決めてしまいますよ」
「……」
言いたいことは山ほどあるが、上手い手ではある。
沈黙したままではあるが、扉の軋む音が響き、ヴォルフガング殿がその姿を見せた。
ひげもじゃの、いかにも引きこもりといった憔悴した顔をしている。
「お前のような行き遅れに相手がいるわけなかろう」
「フォースよ、我が眼前に……」
「冗談だ冗談! 爆発魔法は止めろ!!」
意外と余裕あるなヴォルフガング殿。
そう思った瞬間、その視線がこちらに移る。
「貴様が私の義息子となるものか」
違うが、とりあえず沈黙することにした。
「アカデミーからの招致を持ってきた使者です」
「アカデミーか」
ヴォルフガング殿は、頷きを返すようにして――それを止めた。
「それは、断ってくれ。私など、書斎で引きこもって研究しているのが関の山の男なのだ」
「お父様、それは違います」
「いや、いいのだ。王に見限られたとき、私はそれを痛感させられた」
「見限られた、とは違うと思いますが」
現ギルドマスターの立場からそれを発言する。
あくまでお灸を据えるための依頼だったものだ。
見限るためなら、もっとキツイ事を頼んでいた。
レッサードラゴンの退治とか。
レッサードラゴンの退治とかだ。
私がやらされた時はイジメかなと思った。
「違う、と。ではどう言えばいい」
「期待していたからこそ、わざわざ依頼など手順を踏んだのでは」
「なんだと!?」
「王様の実力をお忘れですか。他人に依頼などの必要なく、調子に乗った貴方ごとき叩きのめせる」
あえてキツイ言い方をする。
その方が納得しやすいだろう。それを見越してだ。
「それは――そうかもしれないが」
「そうですよ。そうでもなければわざわざ――」
迷宮の奥底からギルドマスターなど呼びはしない。
そう言って、口を閉じる。
「そうか――そう思うか」
「そうですよ。お父様」
「私も今となってはそう思う。だが、外の世界が怖いのだ」
ニートか貴様。
言いたくなるが口を無理やり閉じる。
「このお腹の子のためにも頑張ってください」
「私に孫が!?」
「ちょっと待て」
マリー嬢の嘘も大概ひどくなってきたのでさすがに止める。
「嘘もいいかげんにしてくださいマリー嬢」
「孫は嘘なのか」
「婚約者も嘘ですよ」
コホンと咳をつき、話を戻すべく口を開く。
「アカデミー側もすぐに教授職を果たせとは言いません。まずは特別講師としてからでもよいから、段々体を慣れさせてくれとの事です」
「……そこまで私への配慮を考えてくれてるのか」
考え込むように、何かに感謝する様にして瞑目するヴォルフガング殿。
「……これ以上の断りを入れるのは、学長にも君にも失礼に値する。受けよう」
「有難うございます」
私は頭を下げ、今回の依頼が上手くいったことに安堵した。
マリー嬢にも感謝の意を示す。
「有難うございました。マリー嬢も」
「いえ、我が家にもメリットがある事でしたので。そうですね……でも感謝してくださるなら今度デートでも」
それには答えず、私は黙って学長に出す手紙の文面を考え始めた。
「逃げ切れなかった」
結局、デートの約束をさせられてしまった。
そもそも感謝するのも何も、マリー嬢にメリットのある話ではなかったか今回の件。
なんで私がご褒美をあげないといけないのだ。
「いや、ご褒美……褒美?」
だが、その言い方も失礼な話だ。
相手はまだ年下だ。
二十台後半まで名誉回復にこだわり、結婚機会を逃したから多少血迷っているのではないかとの感があるが。
ワイングラスを傾け、中身を揺らす。
「そもそもデートって何をするものだ」
私の人生でデートする機会などなかった。
せいぜい、元の世界でグループ交際があったぐらいだぞ。
今も昔も寂しい人生だったな、となんだか悲しくなる。
酒が進む。
ワイングラスの中身は着実に量を減らしていく。
「何か一人で酒を煽る寂しいオッサンみたいな気分になってきたな」
というか、それそのものである。
私室で独り言をいう癖も虚しい。
だが、何かを書きながらだと呟きながらの方が筆が進むのだ。
「ともあれ、対策を考えねばな」
デートの対策を。
近しい女性――ルル嬢に相談でもしてみようか。
私は筆を置き、アカデミー学長への手紙をしたためた後、それを出すべくして
私室から立ち去ることにした。
了




