007 ルーチンワーク
私は広いがらんとした場所に出た。
手を叩くと、歪な反響が周囲から返ってくる。
「ご機嫌いかが? ドラゴン殿」
「今すぐお前を殺してやりたいよ」
ダンジョンの最奥底、天井はちょうどドーム型になっており、部屋もそれに合わせたように――まるでプラネタリウムの一室のような、なめらかな円形となっている。
人為的に手を加えられたものではない。
目の前のドラゴンが自分で造ったものだ。
「機嫌は良いみたいですね」
「耳でも腐ってんのか、この人族は」
ドラゴンはまるで猫のように封印――バリアを鋭利な三本の爪でひっかいた。
バリアは一時的に破れ、すぐまた復元した。
「ドラゴン殺しを嗾けられるよりはいいだろ。今の王族だぞ」
「……」
脅しつけるように、口調を変えて話す。
ドラゴンは沈黙し、何かを考えたかのように、長い首を捻くり回した後、唸る。
「それが出来ぬという事は、その人族の実力が私よりも劣るという事だろう」
「残念。王族の命とは引き換えにできないってだけさ」
実際のところ、どっちが勝つか判らん。
王様を主力に、ギルド員総出で戦えば我々が勝つ――そう断言できるが
老いて力量を落としたアルバート王は命を失うかもしれん。
ギルド員も半数を命を落とすだろう。
だからこそ、このドラゴンを封印に留めている。
「どうせ寿命なんて無限なんだろう。しばらく休息を楽しむことだ。我々の国もギルドもいつかは滅ぶ」
「楽しませたければ、この牢獄に肥えた牛でも差し入れでもすることだな。この前のように」
「貴方の知恵が必要になれば、またそうしよう」
生きている以上は役に立ってもらう。
先代のその思想から、このドラゴンにはたまに知恵を借りてもいる。
肥えた牛一頭と引き換えなら安いものだろう。
……餌を与えないようにしても、ドラゴンは餓死しないしな。
「一つ、聞きたいことがある」
「知恵か?」
「いや、知恵といったほどでもないのだが……」
一応、聞いてみるか。
「アンタは人化の術を使えるのか?」
「我はドラゴンの中でも伝説級だ。もちろん使えるとも」
外出の用か?
封印は解けないままでも、楽しませてくれそうだ。
ドラゴンは吠えるように口を開く。
「人化してウチの国の姫様と結婚とかどうだ。この国丸ごと手に入るぞ」
「貴様、何をトチ狂っている」
「自分ではいい案だと考えたんだが……」
心の底から呆れたように鼻を鳴らすドラゴン。
「我は雌だぞ」
「じゃあ駄目だな」
5年ばかりの付き合いになるが、このドラゴンは随分理知的だ。
この辺り一帯――要はこの国を縄張りと認識しているから、近寄る人間すべてを敵と見做しているだけで。
この国をいっそ丸ごとくれてやれば、上手くいくかなと――
「いや、そう上手くはいかないか」
「お主は時々、どうしようもないくらいにバカげたことを言い出すな」
「思考をまとめるのに丁度いいんだよ、馬鹿言い出すのもな」
私は一つため息をつき、カンテラを持ち上げて
濃密な暗闇に一つの灯りをもたらす。
「それではまた来週」
「お前が私の知恵を必要とするのを、それまで祈ってるよ」
私は一人、慣習としているドラゴンへの訪問を終えて部屋から出て行った。
「失礼します。迷宮探索依頼の照査と、掲示板への貼り付け終了しました」
ドアから、いつもの甲冑姿の女性が私室に現れる。
「いつもお疲れ様」
「まあ仕事ですからね」
ルル嬢は私の言葉に応じ、円形のテーブルに書類を投げ出した。
書類の表紙を流し見しながら、会話を続ける。
「ドラゴンの様子はどうでした」
「いつも通りですよ。何か借りたい知恵はありますか?」
「特に何も」
アリーナ・ルル嬢には迷宮探索に関する依頼の全般を任せている。
この一度は踏破した――けれど、モンスターは絶えず湧き出るダンジョンの事だけではない。
他のダンジョンの探索や、遺跡――迷宮の踏破などもウチのギルドの仕事だ。
単純なモンスター退治の依頼などは、街の出張ギルドでの担当になる。
そんな事を考えながら、書類のページをめくっていく。
「いつもと筆跡が違うようですが?」
「今回、いつもの担当者ではなくアレキサンダー君が書いてますので」
「なるほど」
正直、アレキサンダー君は拾い物だった。
積極的にギルドの運営に携わってくれるギルド員が少ない。
別に文官を雇ってはいるが、こんなダンジョンの最奥で働いてくれる人間は少ない。
一時とは言わず、正式に働いてくれないか頼んでみることを考えながら
私は書類を閉じた。
「ギルドマスター、ドラゴンの知恵に関してですが」
「なんですか」
「この際、姫様の婚約者探しについても投げてみてはいかがでしょう?」
それに近いことはもうやった。
が、それは黙っておき、反論に近い言葉を返す。
「あの数百年封印されているドラゴンに、人探しを頼めと?」
「いえ、伝説級のドラゴンならば知恵の一つも出てくるのではないかと思いまして」
「人間については人間以上に知っていても、いま世情に通じていないドラゴンに聞いてもね」
良いアイデアは出てこないだろう。
私は否定的な言葉を吐いた後、何故か眉をしかめたルル嬢に睨まれる。
「しかし、このままだと本当に結婚させられてしまいますよ」
「私が? 姫様と?」
それだけはない。
きっと必ず誰かが反対してくれるはずだ。
それでも駄目なら――
「その時はいっそ逃げてしまうよ」
ギルマスの立場を維持するどころの話ではなくなってしまう。
それなら逃げてしまうのもいいだろう。
そして先代を探すのだ。
「……その時は、お供しますよ」
「いや、君はいいよ。やっと冒険者の仕事を辞めて、ギルド員になれたんだろう」
「……」
ルル嬢は若くして名持ちになったが、本当は危険な冒険者生活を望まず、安定した文官職に就きたいとギルド員の面接時に聞いている。
その時から少ない――というよりたった一人のギルド内の味方でありパートナーだが、だからこそ国を逃げ出すような逃避行に巻き込む事は許されない。
「たとえ名持ちでも、国に喧嘩は売りたくないだろ」
「女性には憧れのシチュエーションだと思いますが?」
何がおかしいのかクスクスと笑いながら、ルル嬢は読み終えた書類を受け取る。
そうして、私室のドアノブを捻り、書類を保管しに行くべく背を私に向けた。
「まあ、逃げるなら私も一緒という事は覚えておいてくださいね」
「わかった。多分そうはなるまいが」
何故か、ルル嬢の笑顔が印象に残った。
私はそれを打ち消すようにしてかぶりを振った後、たまにはギルド内に顔を出してみることにした。
ギルド内からは、飲食を楽しむ音と、掲示板を指さしながら依頼を探す冒険者の声が聞こえる。
懐かしい、とは言えない。
自分は、先代に引きずられていたからあんな風に冒険者を楽しむ暇はなかった。
なんか、引きずられていた記憶しかないのだ。
そう、文字通り引きずりまわされては難易度の高い冒険に駆り出されていた。
レッサードラゴンも殺したし、逆に噛まれて死にかけたりもした。
「あまりいい思い出じゃないな」
私は思いだすのをやめることにした。
今は若々しい冒険者たちの声を聴きながら、ギルマスとしての喜びに浸るとしよう。
「もう動けねえ。薬草茶一杯くれ」
「このギルド、ダンジョン最奥にあるから来るだけで死に物狂いだぜ」
それも無理だった。
若々しい冒険者たちの声どころか、半死半生とかした冒険者の声が聞こえる。
「彼らは、冒険依頼を受けるどころではないな」
まあ、それを見越しての話だが。
そもそも彼らからして、ここが到達点であり、ダンジョン内のモンスターの駆逐――それによる報酬が目的だろう。
今は休息をとっているだけだ。
恐らくは、私の顔もよく知らないだろう彼らを素通りして――ギルドの受付に座っているアレキサンダー君に声を掛ける。
「どうだね、ギルドの業務は」
「……」
順調です。
そう、手元のボードにチョークで書いたコボルトの王族に満足しながら、雇用の件に関して今切り出すべきか悩むが――止めることにした。
そう焦ることもないだろう。
「それにしても、何でコボルトが受付やってんだ?」
「モフモフしたい」
評判は上々のようだ。
下手な美女の文官を立たせるよりも、冒険者の荒くれどもには効果的なのではないだろうか。
アレキサンダー君が駄目でも、誰か亜人の代わりがいないか真剣に考慮する。
「ギルドマスター殿」
「ん?」
考え事を遮るようにして、背後から声がかかる。
「いえ、もはや王子と呼ぶべきでしょうか。おめでとうございます」
「もうそこまで噂が悪化しているのかね」
振り返りながら、市井の噂のぶっ飛び具合に頭を痛める。
そうして、声を掛けてきたギルド員の顔を見つめた。
若い。二十台前半だろうか。
黒髪の短髪で、凛々しい容姿をしている。
「君は確か……アルデール君だったか」
「憶えて頂いていたようで、光栄です」
アンデットの領地で謀反を起こした吸血鬼――王族の一人を殴り殺した事で有名な「名持ち」だ。
斬り殺したではない、文字通り「拳で」殴り殺した。
再生能力の高い吸血鬼を、灰になるまで殴り殺したその能力の高さは口にするまでもない。
「無事、ギルドマスター引退となった折は、私の事を思い出していただきたく」
「ん? ギルマスになりたいのかね」
まさか、そんなけったいな輩がいるとは思わなかった。
譲る気はないが、望むなら次の候補には入れてもいいが。
「いえいえまさか。ギルマスではなく、貴族になりたいのですよ。王族となった暁には是非推挙の程を」
「世間の噂を真に受けるな。第一、君なら推挙の必要もなくその体一つで貴族になれる」
「推挙無しだと強制的に騎士団行きでしょう? それは御免です」
何か勘違いされてますが、私は錬金術師希望なのですよ。
そう言って両手のグローブをこすり合わせながら、呟く。
「錬金術師、ねえ。そのグローブの質の高さは認めるが」
「体系的な学問を学んだわけではないので、これ位しか能がないのですが」
冒険者に必要な能力は平均的な能力よりも、一点突破的な能力だ。
彼はその能力を、武具の錬金に求めた。
それがグローブというのはよくわからんが、元々格闘家としての技術が高いのだろう。
「将来は、マトモな錬金術師として学問をやり直したいのです。そのためには貴族となりアカデミー入りが一番早いのですよ。なにとぞ」
「ああ、覚えておこう」
知能労働ができる、ギルマス候補として。
或いは、姫様の婚約者候補として。
「有難うございます」
私は姿勢を正しく頭を下げるアルデール君の思惑を完全に無視しながら、一人の生贄を見つけたことを神に感謝した。
「今日は良き日だ」
多分見つからないと思ってた生贄が早くも見つかった。
まあ、すぐに紹介するのは露骨すぎるので、姫様に差し出すのはだいぶ先になるが。
「とはいえ、そう簡単に気に入るかな」
姫様が気に入るかどうかが最大のネックだ。
ワイングラスを傾けながら、それを一気に飲み干す。
「いや、姫様は焦っている」
最悪でも私のようなオッサンよりも、若くて名声のあるアルデール君でお茶を濁すはずだ。
酒が進む。
「何か悪代官みたいな気分になってきたぞ」
一人、誰もいない私室で呟いているとテンションが上がってきた。
「だが、悪いのは私ではない。姫様と、そこに現れたアルデール君が悪いのだ!!」
ワハハハハと笑い声を上げながら、ワイングラスを床に叩きつけた。
「プロージット(乾杯)!!」
ひしゃげ割れるワイングラスの音。
元の世界で言う、帝国作法であった。
すかさず、ファウスト君がホウキとチリトリでワイングラスを片付ける。
それを操っているのは私だが。
「まあ、案外うまくいくかも知らん」
少し話した限りだが、アルデール君は地位や金に固執するようなタイプではない。
姫様の好みと合致しないとも限らん。
アルデール君だって、今の少しばかり落ち着いた姫様を好むかもしれん。
「オッサンの出る幕じゃないさ」
私は本日分の日誌――今考えた内容とは全く別な内容を書き上げた後、それを閉じることにした。
了




