057 日常回帰
「コボルトが酒造りしてるらしい。実に興味深い」
「……アレキサンダー君の手紙ですか?」
「そうだ」
例のウジェーヌ枢機卿が解放してきた50人余りのコボルト達。
どうやら酒蔵で働かされていたらしく、コボルト族で酒造りを試してみたいそうな。
植物は栽培していないので、公爵領から輸入しての加工になりそうだが。
「……協力するか。アレキサンダー君には世話になってるしな」
「自分がコボルト酒飲みたいだけでしょう」
「そうだ。実に興味深い」
何か人間とは違う感性から新しい酒が生まれるのではないか。
ラベルにコボルトの顔が貼ってある酒というのも飲んでみたい。
そういえば、昔はラベルに猫が貼ってあるワインが好きだった。
「さっそくドワーフに連絡して、酒造りに協力してもらうよう頼もう」
「敵対しませんか? 競争相手になるわけでしょう?」
「むしろ彼らはライバルを求めている。ドワーフ一強だからな」
なんで火酒の類をドワーフしか造っていないのかな、この世界。
人間も造れよな。
そういえば、エルフ族はどんな酒を造ってるのかウォルピス嬢に聞くのを忘れていた。
……米栽培しているらしいし、日本酒ねえかなあ。
「酒は人類最高の発明だぞ。どんな嫌な事があっても忘れられる」
「お酒はほどほどにして欲しいんですけどね、私は。というか、最初に造ったのはドワーフと聞いていますが?」
この世界ではそうなのか。
また一つ勉強になった。
ルル嬢に感謝しながら、早速ワインを開ける。
「もう、口にした傍から……」
「この辺のドワーフの集落ってどこだっけ?」
「伯領領じゃありませんでしたっけ? 詳しくは知りませんが」
「まあいい、ギルドのドワーフ冒険者に手紙渡しておけば、あっちで勝手に動くだろ」
人間が酒造ってても、勝手に寄ってきてあーだこーだ言う種族だからなドワーフ。
「スズナリ殿もそれぐらい働いてください」
「今、働いているだろうが」
ワインを飲むが、書類を決済する手は止めてないぞ。
ルル嬢の愚痴に言葉を返しながら、ふと思い出す。
「そういえば、オマール君の騒動はどうなったんだろうなあ」
「シスターに追っかけられてた件ですか?」
「そうそう」
手紙一つでどうにかなったんだろうか。
アリー嬢からも注意が入ったはずだが、個人的にあんま信用無い。
「直接聞いてみればよろしいかと。酒場にいるはずですよ」
「ふむ、この書類の決裁が終わったら行ってみよう」
私は目の前で山となっている資料をこなすべく、燃料代わりにワインをもう一度口にした。
◇
「デートしてきたぞ。ミノタウロス退治より疲れたが」
「……お疲れ様」
完全燃焼したように、いつもの植木鉢みたいな頭をしならせたオマール君がそこに居た。
椅子に座り、まるで休憩中のボクサーのように項垂れている。
「普通のデートだったんだろ?」
「普通のデートだったはずなんだが、女性への気遣いがあんなに疲れるとは……」
「ふむ」
私はマリー嬢やルル嬢に対しても、恋愛的感情を抱いていなかったからな。
そこらへん、恋愛の成功に精魂込めたオマール君とは気疲れの度合いが違うのかもしれない。
「まあ、成功したんならおめでとう」
「ありがとよ」
ぐっ、と親指を立てて答えるオマール君。
それをぼーっと酒飲みながら見てるアルデール君。
「どうした、アルデール君」
「いえ、そんなに苦労してまで恋愛して楽しいもんなんですかね」
「苦労はしたけど、楽しくはあったぞ」
オマール君が机に突っ伏しながら答える。
アルデール君が、それを見ながら唸る。
「うーん。錬金術に惚れ薬――といっても、飲んだ人間に多少の恋愛的興奮を呼び起こす程度の薬があるのですが」
「それが何だ」
急に話がそれたな。
「いえ、実験として試しに作ってみたのですが、オマール、いるか?」
「いらん。そんなんで惚れさせても面白くない。第一どうやって飲ませんだよ」
「その様子だと、そうだよな。大量に造ったはいいが、処分先に困っていましてね」
懐から小瓶を数本取り出し、それを私に渡す。
「ちょっと待て。私もいらんぞ」
「使ってみてくださいよ。作っただけではなく、実験結果が欲しいんですよね。効果があるのかどうか」
「それが何で私なのかね」
「……」
アルデール君は沈黙する。
イマイチ、言葉がつながらないらしい。
さては――
「誰に頼まれた?」
「……白状しましょう。アリエッサ姫です」
「何故アリエッサ姫が出てくる?」
こんなもの私に使わせて、どうしろというのだ。
「私も判りませんよ。アリエッサ姫曰く、”スズナリの感情が薄すぎるから、それで何か効果出るかちょいと試してみて”らしいですが」
「感情が薄いって……」
自分でも自覚しているところはあるが。
――ふむ。
「いいだろう。そのうち飲んでみよう」
「――本気ですか? いえ、渡した私が言うのもなんですが」
「自分の愛を試してみるためにな」
先日、ルル嬢には先代を愛していると断言した。
それは一切変わらないが。
男心も複雑なのだ、自分で時に自分を試してみたいときもある。
――身内の女性に相対した時、飲んでみるのも悪くないかもしれない。
「機会があれば飲んでみよう」
「……使った際は、どんな機会だったのか、どんな効果が出たか是非ともお聞かせ願いますよ」
アルデール君は、疲れ切ってピクリとも動かなくなったオマール君に心配の視線を送りながら、エールをあおった。
「それでは早速一本目いってみましょう」
アリー嬢がポン、と私の肩を叩き呟いた。
受付業務を放棄して、いつの間にか近づいてきていた様だ。
「いや、アリー嬢に興味は多分無いから。これって恋愛的興奮と言っても、元々何の関心も無いと効果ないだろ? アルデール君」
「ええ、まあ」
キッツイ事いうなあ、と言う表情をするアルデール君。
何の効果も出ませんでした。がオチになる気がするんだ。
「どうしてそんな事言うんですか、こんなにもアプローチしてるのに!!」
ぐぐぐ、と胸を寄せて私の身体に擦り付けてくるアリー嬢。
うむ、何の感情もわかない。
受付業務をやってる間は香水もつけてないようだしな。
「すまない、本当に何の感情も湧かんのだ」
「スズナリ殿、あのですね。スズナリ殿が先代を愛しておられるのは知ってますけど、女性に抱き着かれても何の感情も湧かないって正直怖いですよ。それは愛とは別次元の問題です」
「……」
冷静に言われると、私もだんだん怖くなってきたな。
いや、だからこそ惚れ薬なんか貰ったんだが。
「だから、飲んで。そして私と愛欲に溺れましょう」
「そう言う事言うから余計興味を無くすんだが」
「何故!?」
そう言いつつも、私は惚れ薬を一本グビリとやる。
少しえづく、これ味キツイぞ。
「どうですか」
「……」
身体が少し火照り、目がしぱしぱとする。
視界には効果の様子をじーっと見つめるアルデール君と――少しばかり。
ほんの少しばかりだが、輝いて見えるアリー嬢が居た。
「アリー嬢、君との付き合いは5年だっけ」
「……そうですよ、何か効果はありました?」
「……」
まあ、5年もあれば少しは愛着もあるか。
「ほんの少し、君が輝いて見える」
「……」
そう呟くと、何故かアリー嬢は両手を背中に隠し、もじもじとしだした。
「……どうした?」
「いえ、嬉しいってこういう事を言うんだろうなって」
私にもチャンスがあると知って安心しました。
そんな事をアリー嬢が呟く。
いつになく、しおらしい。
「愛情があれば、もっと爆発的な効果がみられるはずなんですけどね……」
アルデール君がそう発言するが、アリー嬢は夢見心地だ。
「……神よ、感謝します」
神にまで祈っている。
早く受付業務に戻って欲しいのだが。
「アリー嬢は受付業務に戻り給え。私も仕事に戻るとするよ」
私はアルデール君とアリー嬢に背を向け、ギルマス室への階段を昇っていく。
この惚れ薬の効き目があるうちに、ルル嬢で試してみようと思いながら。
階段を昇り、私室に居たルル嬢を見る。
やはり、少し輝いて見える。
「ふむ」
「なんですか」
「惚れ薬を飲んだ」
単刀直入に何があったかを述べる。
これで何があったかわかってもらえる気がする。
ルル嬢、アリエッサ姫と秘密裏に連絡とってる気がするんだよな。
「……ベッドインしますか?」
ルル嬢が私室のベッドを見やる。
「いや、別に性的欲求は湧いてないから」
あくまで恋愛的興奮を沸かせるものらしいからな、この薬は。
性的な興奮剤とはまた別なのだろう。
私はそう言った旨をルル嬢に伝える。
「なんか残念な薬ですねえ。アルデール君の錬金術も限界が見えるようで」
「いや、凄い薬だと思うぞコレ」
性的な興奮剤なんかアリー嬢にも作れるからな。
独学とはいえ、一部錬金術の極みに至っているアルデール君ならではの薬だと思う。
「……ま、いいです。それで、私はどう見えますか?」
「ルル嬢の姿がプリズムをまぶした様に輝いて見えるな」
正直に、今起こっている現象の答えを述べる。
「その意は?」
「私はルル嬢の事を悪く思ってはいない――少なくとも恋愛的好感は持っているとのことだろう」
素直に答える。
アリー嬢の時と同じ現象だ。
「そ、そうですか」
ルル嬢は顔を赤らめて答えた。
ちょっと機嫌がよくなった気がする。
「人間関係の再確認にはちょうどいいなあ、コレ」
「……スズナリ殿、女性関係多くなりましたもんね」
ルル嬢はねちっこい声を出して、私を罵った。
ちょっと機嫌が悪くなった気がする。
「そう怒るな――しかし、これは面白いな。女性関係相手に一通り使ってみるか」
「スズナリ殿。先代の事を愛しておられるのではなかったのですか」
「男心は複雑なんだ」
愛しているのは変わらない。
もし先代が帰って来られたら、その場で求愛するだろう――だが。
おそらく、もう、帰って来られないのではないかと思う。
だから――
「他に好きな女性が出来るなら、それも悪く無いさ」
男心は複雑なのだ。
少しは反抗したい気持ちもある。
「……言質取りましたよ」
「別に取ってもらっても構わんが、取って何をするつもりだ」
ルル嬢の言葉に返す。
ルル嬢は笑って答えた。
「一定以上の反応を返したものは、将来お嫁さんにしてもらいます。もちろん、二年後に逃げたりしないならですが」
「ふむ、よかろう」
私は軽く返した。
「よろしいんですか?」
「何、その一定以上が何人いるかという話だ――」
言っておくが、アリー嬢とルル嬢は"まだ"一定以上ではないぞ。
そんな言葉を返しながら、私はワインを口にした。
了




