045 出立準備
「と、いうわけでモーレット嬢をお借りして、明日には出発を」
「アタシはいいけどさあ」
「私はよくない」
アリエッサ姫の私室。
すでに話はアルバート王から通っているであろうに、姫様は反対の声を挙げる。
「姫様、これは王命ですので」
「王命だからって戦場に二人で行くの? マジで」
「まだ戦場ではありませんよ」
何故そんなに反対するのだろうか。
疑問に思うが、姫様には私の心根を打ち明けておく。
「どちらかと言うと、戦を起こさないために行動するつもりですが」
「どーやってよ、もう衝突寸前じゃない。オデッセイは」
「アルバート王が立場を明確に――どちらに参戦するかを表明した時点で、片方は委縮して戦乱の輪は縮まります」
「……まあ、そうでしょうけど」
正直、そう思ってでもなけりゃバカバカしくて行く気にならん。
私は戦争をしに行くのではない、戦争を縮小させに行くのだ。
私なりの大義名分が、この心に欲しい。
「また護衛がパントライン嬢だけになりますので、しばらく大人しくしててくださいね」
「いや、アンタがダンジョンにいないなら、外に出る理由も無いから」
ぱたぱたと、姫様が手を振る。
外に出る理由くらいはあるだろう。
「今度王都に出来るカニ料理店でカニを食べに行ったりとか」
「貴方が心配でそんな事、できると思う?」
しな、と少し萎れた様子を姫様は装う。
そうか、コイツ友達少ないぼっちだったな。
可哀そうな目で姫様を見つめる。
「オイ、聞いてんのか。16歳の美少女が心配に思ってるのよ。何かしら反応を」
「お前友達少ないなあ、としか。美少女なのは認めてあげますが」
「ぶっ殺すわ」
姫様は笑顔で花瓶を持ち上げようとするが、パントライン嬢がそれを止める。
隣にいたアンナ姫はそれを意図的に無視しながら、こてん、と首を横に倒しながら喋る。
「スズナリ殿。できれば我が傍付きのジルとエルの姉妹もお連れください」
「弱そうだから嫌です。むしろ邪魔」
「「また断られてる!?」」
愉快な姉妹だ。
しかし強さ的にはモーレット嬢一人にも劣るからいらない。
そもそも、モーレット嬢が付いてくるのは案内役としてだ。
「道行の性処理係はモーレット嬢だけで十分、と言いたいのですか」
「アンナ姫、何ほざいてるんです」
「12歳の身の上とはいえ、スズナリ殿がロリコンの可能性があるからと教育を受けている最中です。大人のひみつは知っています。男性は我慢できないのでしょう、アレ。ジルとエルの双子姉妹丼なんていかがでしょう」
どんな偏った教育してるんだアポロニア王国の侍女たちは。
いや、そういった教育をするのは傍付きか。
双子の姉妹に視線を向けるが、二人してぷいと横に顔を向ける。
「それは誤解です。そうでなければ今でも童貞の身でいません」
「あら……ジルとエルが耳年増の腐れ処女なだけですのね。もう二人とも25になるのに男と縁遠いから、私を騙してスズナリ殿と縁を造ろうと必死で」
「「姫様、口汚い批判はお止めください!! スズナリ殿だって腐れ童貞です!!」」
アンナ姫が顔に手を当て、ほんのりと顔を赤らめる。
私は姉妹をゴミのような目で見ながら、その場を後にする事にした。
◇
「というわけで、マリー嬢。しばしのお別れを言いに来ました」
「あら、スズナリ殿の事ですから、私は話が通っているだろうから無視していくものかと」
マリー嬢が嬉しそうに笑う。
どうやら、私が別れの挨拶に来ることを想定できなかったようだ。
「……そこまで、野暮な男ではありません」
「そのようですわね。今、スズナリ殿の男としての株が、私の中で最高値ですわよ」
私の男としての評価、そんなに低かったのか。
そんな男に惚れてるマリー嬢は何なのか。
色々言いたいことはあるが、とりあえず会いに来て良かった。
絶対挨拶も無しに行ったら、後日グチグチ言われるパターンだったぞコレ。
「……別れの挨拶に、食事でも、と言いたいところですが、この後準備がありますので」
「そうですか、ではキスの一つでもくださいな」
しれっと、マリー嬢は恐ろしい事を言う。
「キス?」
「そうです。キスの一つくらいしてくれてもいいではありませんか。何か月もお離れになるのでしょう?」
「冬が終わる前には帰ってきますよ」
「じゃあキスしてください」
「……」
何でキスしなければならないんだろう。
あれ、私とマリー嬢、別に付き合ってないよな。
大前提を確認したうえで、周囲を少し見る。
「……」
「……」
貴族の淑女達と、侍女たちが庭園から様子を見守っていた。
人の恋愛事情、盗み見するなよ。
「確かに、私とスズナリ殿とは未だ1度デートしただけの仲です。認めたくありませんが。でも、お別れのキスぐらいはしてくれてもいいではありませんか」
「そう言われましてもですね、世間の目が気になりまして」
「だから余計に、ですよ。側姫候補の一人としてみなされている以上、私の立場もあります」
このシーンでキスの一つも無いなんて知られたら、どんな酷い噂流されるか。
片手で反対側の腕を抑え、ブルブルと震える仕草をよそおうマリー嬢。
実にわざとらしい。
「じゃあ、お手を」
「手ですか、口ですよ、口」
「手です、あくまで手です」
何が悲しくて、こんな交渉をせねばならんのか。
普通逆だよな。逆。
もう交渉する気はない。
私は黙ってマリー嬢の前で跪いて、その手を手に取る。
「チッ」
舌打ちすんなよ。
マリー嬢はその手を私の前にやり、私はその手に優しく口づけした。
「……」
マリー嬢は口づけしたその手を自分の口元にやり、同じく優しくキスをする。
「今回は、ここまででいいですわ。スズナリ殿。ご無事を心から祈っています」
「それではマリー嬢、しばしのお別れです」
私は立ち上がり、庭園でキャーキャー言う貴族の淑女や侍女たちを無視しながら、ダンジョンへの帰路に就いた。
◇
ダンジョンギルドの受付。
そこで仕事をしているアリー嬢に声をかける。
「というわけで、アリー嬢。しばらく留守にしますので、その間仕事よろしくお願いします」
「その前に一度ベッドインしよう、この挨拶はそういう意味にとらえても」
「ただの業務連絡です」
ただの業務連絡をどんな意味に捉えている。
淫乱なシスター長を見下した目で見つめながら、私はため息を吐く。
「……私の扱いだけ何か酷くありませんか。王宮内に忍び込ませた侍女兼シスターからは、マリー嬢にはキスまでしたと、すでに私の所に報告があがっているのですよ」
「何やってんだ教会」
組織力を完全に無駄にしている。
というか、あのはしゃいでた侍女の中にシスターが混じってたのか。
「そういうわけで、私にも何かエッチな事なにかしてください!」
さあ、と胸を張り、受付で叫ぶシスター長。
ギルド中の全員が目をこちらから逸らした。
何かが狂っている。
いや、きっと何もかもがだ。
「じゃあキスでも」
「はい、キス来ました! 続いてベッドインですね!」
「……」
一体、アリー嬢の頭の中はどうなっているのだろうか。
何か、ムカムカしてきたぞ。
「とりあえず、手を出してください」
「はい!」
昔飼っていた柴犬のポチがお手をするように、アリー嬢はその右手を差し出す。
私はその右腕の下を経由して自分の左腕を首の後ろに巻きつけ、背後を取る。
そしてアリー嬢の左足に自分の左足をからめるようにフックさせ、背筋を伸ばした。
コブラツイストである。
「ぐふぅ! なんで情熱的な抱き着き! スズナリ殿の愛を感じますわ!!」
「……」
効いちゃいねえ。
むしろ身体を密着させて喜んでる。
メイス片手にダンジョンを突破するシスターには、後衛職による締め技は無意味か。
だが、これで嫌ってるかどうかぐらいはわかるだろうに。
「……スズナリ殿、このままでいいからキスしてください」
「……」
コブラツイストを決められながら、キスをせがむアリー嬢。
なんか哀れになってきた。
コブラツイストからアリー嬢を解放する。
「……」
私は黙って跪いて、アリー嬢の手を優しく掴む。
そして優しく口づけをした。
「はい、キスしました。皆さん、私今キスされましたよ、見てますか」
「……」
うん、よかったね。
そんな表情でギルド中の冒険者が、アリー嬢を見ていた。
「なんですか、その微妙な表情は!」
「はいはい、終わったから受付業務に戻ってね」
「スズナリ殿もそんな投げやりに言わなくても!」
ぷんすこ、と頬を膨らませながら怒るアリー嬢。
あんまり怖くない。
「それでは、私がいない冬の間はよろしくお願いしますね」
「……判りました、スズナリ殿。ちょっと寂しいですけどね」
アリー嬢は、本当に寂しそうにそう呟いた後。
私が口づけしたその手を自分の口元にやり、優しくキスをした。
◇
ギルドの酒場。
適量の酒のみを口にしながら、呟く。
「もういいだろ、知ってるんだし」
「いや、ちゃんと別れの挨拶しろよ!」
「そうですよ、こういうのは気持ちの問題ですよ」
気持ちの問題か。
それをいうなら、それこそ挨拶しなくても伝わると思うが。
まあ、ちゃんとしようか。
「私がいない間、よろしく頼む。オマール君、アルデール君」
「任せろ、やることいつものモンスター退治だから変わらねえけど」
「お任せください」
これで挨拶は終わった。
出立の準備は先ほど終えたし、あとはメシ食って寝るだけだ。
「それにしてもよー、何で俺たちは呼んでくれないわけ」
「そうですよ、誘ってくれてもいいではありませんか」
オマール君とアルデール君を連れてか。
実はそれも考えたんだが。
「オデッセイは遠国とはいえ、君たちそこそこ有名だからなあ。君たちから辿られて、私の正体を予想されても困る」
「俺たちってそんなに有名か? まあ悪い気はしねえけど」
「まあ、ギルドのトップスリーですしね」
満足げな顔をして呟くオマール君とアルデール君。
だが。
「童貞三人衆として有名なのが問題なんだ。三人連れ立っていると正体がバレる」
「なんて不名誉な称号なんだ」
「女人には興味ありませんが、殊更に強調されるとなんか腹立ちますよね」
言葉を翻すオマール君とアルデール君。
下らない事を口にしていると、ふ、と目端にターナ君が見えた。
「ターナ君も私がいない間、よろしく頼む」
「……いえ、申し訳ありませんが、私達パーティーもオデッセイに向かうつもりでしたので……」
「おや、稼ぎに行くのか」
その行為を否定はしない。
戦争に参加するというなら、致し方なかろう。
「だが、敵対するなら手を緩めたりはしないぞ。それを覚悟の上で行け」
「そうなるだろうから、今迷ってるんですよね……」
「正直、辞めといた方がいいと思うぞ」
「どっち側に付くか教えて下さいよ」
酒を飲みながら、ターナ君が渋い顔をする。
そう言われてもな。
「それは現地で決める。ああ、そうそう、現地で私の事を漏らしたら殺すぞ」
「じゃあこんな酒場で喋らないで下さいよ! 今決めました、もう行くの止めます……。大人しくダンジョンでモンスター退治やってますよ」
なんだ、止めちゃうのか。
つまらん。
私は少し酔った頭でそんな感想を抱きながら、空になった杯を残念そうに見つめた。
明日には、もうオデッセイへの旅路だ。
オデッセイまでは遠い。
気を引き締めていかねばな。
そう思いながらも、私はもう一杯だけギムレットを頼むことにした。
了




